第三十六話 呼び鈴
かつての曹牙陵であれば、それを無礼な調香師の侮辱あるいは戯言と捉えただろう。だが、薫鳳の語る国への想いを知って以来、牙陵は彼の言葉の表層ではなく奥に潜む真意を探らずにいられなかった。
「どういうことだ」
「この女魔術師を救う。きっと、例の魔術府の事件の核心に近づけるぜ」
「……!」
牙陵は思わず息を詰める。
玻璃にも思い当たる節があった。
「例の事件」。それは後宮の二名の女官が殺害され、内定護衛署に薫鳳と共に出向いた折、牙陵が語っていた話である。魔術府に所属する若手の女性魔術師が立て続けに命を落としていると聞いた。
この国では、魔術は古来より男の領域であった。魔術府に所属する魔術師はすべて男、帝国魔術学院の入学者にも長らく女生徒はいなかった。だが八年ほど前から潮流は変わる。帝国魔術学院は少数ながら女子学生を受け入れ始め、この二年で魔術府にも五名の女性魔術師が入庁した。
だが、男社会の歴史に風穴を開けたはずの五名の女性のうち、三名が自殺と処理され、一名が行方不明。帝国魔術学院でも女子学生の失踪や不可解な退学が相次ぎ、「やはり魔術師の世界で女は使えない」という古い定説が、再び固まりつつあった。
魔術府は膨大な知的財産の秘匿を理由に、禁衛府をはじめ他組織の干渉を受けない強権に守られた組織である。女性魔術師の不審死も、魔術府内での処理とされ、禁衛府も手が出せずにいる。
皮肉なことに、魔術府や帝国魔術学院への女性の進出を推進したのは、堅物として知られる特級魔道師の燕該曜であった。他の三人の特級魔道師の反対を押し切り、変革の名のもとに女性魔術師の育成を主張した。ちょうど皇太后が男女同権を掲げて帝国芸術学院を創設した時期と重なり、その流れで帝国魔術学院にも女生徒の入学が始まったのである。
魔術学院を卒業し魔術府に入庁した五名の女性は、燕該曜の下に配属され、一級魔術師・牛堅儀の班に預けられた。曹牙陵の班に配属されなかったのは、当時の曹牙陵もまた「魔術は女の入り込む世界ではない」という固定概念に縛られていたからである。
五名のうち四名の女性が消え、牛堅儀が独自に調査をしているというが、進展はない。魔術府の未来を憂う牙陵にも看過できぬ問題だったが、先輩である牛堅儀の班のことには口出しできずにいた。
そして今、たった一人残された女性魔術師・姚桜果がこうして不可解な状態にある。どう考えても濃い闇が感じられる。だが、薫鳳はその闇の打破を軽々と口にしている。牙陵や玻璃が唖然とするのも当然だった。
薫鳳はきっぱりと言い切る。
「一刻ほどくれ。その成果を見せてやる」
「どうするんですか、薫鳳先生」
「オレは天才調香師だ。香りで彼女も救い、国をも救う」
「だから、具体的にどうするんですか」
「それは特級匠官の職業機密ってやつだ。たかが一級魔術師と七級愚民には明かせない。二人とも、部屋を出て扉の外で待っていてくれ」
「いや、彼女と二人きりなんて、天才変態師が何するか分からないじゃないですか。私は監視役で残ります」
「ダメだ。極度の集中力が要るからな。おまえみたいな小うるさい奴が一番邪魔なんだから、絶対に入るな」
「誰が小うるさい奴ですって」
「さっそく小うるさいだろ。オレは香りを操る天才なんだ。香りで解決する。もし彼女に指一本でも触れたら、その時は禁衛府にでも密告しろよ。だから今は、とにかく集中させろ」
薫鳳は玻璃と牙陵の背を押し、調香室の外へと追い出す。
「終わったら呼び鈴を鳴らす。それまで誰も入れるな」
「信じていいんですね」
「任せとけ」
「信じられませんが」
「相変わらず小うるせえな」
薫鳳は蝿でも払うように軽く手を振って見せ、扉を閉めた。
両扉が閉まる寸前の一瞬、薫鳳は真剣な固く頷いたように見えたが、玻璃は「何の自信だよ」と余計に癪に障っていた。
牙陵は薫鳳を疑っていないのか、長椅子に腰を下ろし、腕を組んで目を閉じて待つ。玻璃は姚桜果が薫鳳に手を出されていないかどうかが心配で、落ち着きなくウロウロと行き来する。その苛立ちの感情から着想が湧くのか、たまに新たな瓶の意匠図を走り書きしている。
すると一刻と言わず、半刻もしないうちに扉の向こうから呼び鈴が鳴った。
慌てて扉を開けて調香室に踏み込んだ玻璃だったが、先ほどとは違う室内の香りに足を止める。とても上質で優雅な、どこか懐かしい薫り……。
だが、すぐに我に返る。そこには信じられない光景があった。
寝台の縁に薫鳳と桜果が並んで腰を掛けている。桜果はほんのりと頬を染め、うっとりとした表情で薫鳳の肩に身を預けていた。幸せそうに潤む細めた目。深い吐息を繰り返しながら、薫鳳の肩に頬を擦り寄せている。
玻璃が思わず声を上げる。
「ちょちょちょちょっと! 何の事後!? 女性に触れてるじゃないですか!」
「彼女がもたれてきて支えているだけだ」
言いながら薫鳳は、指一本どころかがっつりと桜果の肩を抱いている。
さらに詰め寄ろうとする玻璃を制して、牙陵が低く問う。
「何か分かったのか」
「ああ。ある程度はな。とは言っても、若い淑女には他人には言えない秘め事もあるものさ。深くは聞くな。だが……」
薫鳳は牙陵の目をまっすぐに見据える。
「牙陵どの。この国を、もっと良い国にしたいか」
「あ、ああ……」
「だったら、オレに力を貸せ。オレは今の魔術府をぶっ潰す」
(第五章へつづく)




