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第三十五話 二重の魔術


 薫鳳(くんぽう)は再び意識を失った女性の介抱を自分が引き受けると言い、玻璃(はり)には帝都に帰るように指示した。しかし、玻璃は受け入れず首を横に振る。



「何かあったら危険なんだぞ、玻璃」


「いいえ。目を離した隙に女性の身体に何をするのか分からない変態調香師のほうが、よっぽど危険です」


「違う。危険なのはおまえかもしれないということだ。その女魔術師、魔術に操られている」


「え……? 何で分かるんですか」


「さっき、瞳が赤く濁っていた。魔術に侵された人間の目はそうなる」



 薫鳳の説明に、玻璃は息を呑む。


 薫鳳は先ほど女性の短剣を封じた時、咄嗟に目からそれを読み取ったということになる。



「次に目を覚ました時、何をしでかすか分からない。暴れ出すようなら、意地でも守らなければならないからな」


「私をですか」


「この調香室内の全ての原液の瓶をだ」


「ですよねー……」


「魔術については、牙陵(がりょう)どのに聞くしかないな」


「私が馬を走らせて知らせてこいってことでしょ」


「いや、伝書鳩がある」


「……!」



 玻璃は頭にカッと血が上る。


 これまで何度、連絡や伝言のために朱雀宮(すざくきゅう)からこの朝萌山(ちょうほうざん)へ馬で往復させられたことか。伝書鳩などという便利な通信手段があるなら不要だった過去の労苦がいくつも思い浮かぶ。


 伝書鳩を放って一刻ほど過ぎて、朝萌山に曹牙陵(そうがりょう)が姿を現した。連絡を受け取るとすぐに<瞬移(しゅんい)>の魔術で来たようで、息も乱れていない。ついでに温泉に入れるからか、案外すぐ来る。


 調香室の寝台に横たわる女性を見た曹牙陵は、すぐに断じる。彼女は魔術府所属の二級魔術師、姚桜果(ようおうか)であるという。


 魔術府には四人の特級魔道師がおり、それぞれの下で四人から五人の一級魔道師が副官として班を率いる。特級魔道師の燕該曜に仕える五人のうちの一人が曹牙陵だが、この姚桜果は別の一級魔道師・牛堅儀の班に一年前に配属された若手の二級魔術師である。


 燕該曜はすでに老境にあり、後継者選びも視野に入っている。五人の一級魔道師の中で最年長である四十代後半の牛堅儀が最有力候補。曹牙陵は三十代前半で最年少ではあるが、その実力から次点に挙がるという。


 それを臆面なく自分で説明している曹牙陵に、薫鳳は苦笑する。



「牙陵どの。この桜果という女魔術師が、誰にどんな魔術をかけられているのか、あんたの魔術で分かるのか」


「誰にかけられたかまでは分からない」


「なんだ。魔術も大したことねえな」


「だが、かけられた魔術の種類は分かる」



 牙陵は二本指で桜果の片目を開き、その瞳を見ながら何やら呪文を唱える。動いている眼球が淡く妖光を帯びた。



「二重に魔術をかけられているな。一つは<忘去(ぼうきょ)>。記憶や意識の一部を消却する魔術だ。もう一つは<改憶(かいおく)>。記憶や意識の一部を違うものに書き変えてしまう魔術」


「どんな記憶を消されて、どんな記憶に変えられてる?」


「そこまでは分からない」


「なんだよ。分からないことだらけじゃねえか、魔術って」



 牙陵の説明に、薫鳳は呆れて大きく溜め息をつく。半ば馬鹿にしているが、いつものことのようで牙陵は特に意に介さない。できることとできないことの線引きは、一級魔道師であれば十分に悟っている。


 横でなぜか筆を走らせていた玻璃が、思わず考えを口にする。



「記憶を消す魔術があるなら、記憶を戻して語らせる魔術っていうのはないんですか? 潜在的な記憶を取り出すっていうか」



 牙陵は「良い質問だ」という感心の表情を見せて、即答する。



「<自白>という魔術がある。相手の記憶を語らせるというものだ。だが、<忘去>で消された記憶、<改憶>で改変された記憶までは復元ができないから、<自白>で語らせることは不可能だ」


「うわー、ほんと魔術って肝心なところで使えないんですねー」



 玻璃まで大きな溜め息をついて肩を落とす。牙陵の眉がわずかに吊り上げる。


 薫鳳が玻璃をたしなめる。



「おい。牙陵どのは一級匠官だぞ。いかに魔術が使えない代物(しろもの)と言っても、おまえは二級匠官だということを忘れるな」


「牙陵さま、失礼しました。うちの先生の無礼もお詫びします」


「オレは特級匠官なんだよ」


「無礼は無礼です」



 なぜか薫鳳にだけ、玻璃の当たりは強い。


 薫鳳はひとつ息を吐き、曹牙陵を見据えて告げる。



「牙陵どの。今からあんたに、思い知らせてみせようか」


「何をだ」


「魔術師よりも、はるかに調香師が優れてるってことをだよ」




(つづく)







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