第三十四話 急襲
「本当に彼女が魔術師なら、例の <瞬移> の魔術で来たんじゃないですか?」
「いや、この朝萌山を囲む塀には魔力の結界が張られていて、移動魔術でも入り込めないようになってるんだ」
玻璃の考察を、薫鳳は冷静に否定する。
魔術は魔術府のみの専権でもない。禁衛府にも魔術を扱う部門があり、衛士が警備する朝萌山の防壁には、かつて陸家邸で曹牙陵が見せた<魔壁>という魔力無効化の魔術の応用が施されている。
ならば、彼女は一体どこから入ってきたのか。玻璃は女性が倒れていた位置の土と茉莉花の圧し潰され方を見ながら、半ば冗談で指を天に向ける。
「周囲の塀が魔力で封じられてるっていうなら、上じゃないですか? 空中を移動してきて、上から落ちてきた場合はどうなります?」
「確かに。否定できないな」
「ここの警備体制、完全にザルじゃないですか! 上が無防備って」
玻璃は思わず憤り気味の呆れた言葉を投げた。陸家邸での牙陵の<魔壁>は確か半円型で、上部も覆われていたはずだ。
「予算の都合ですか」
「予算の都合だ」
玻璃の言葉に薫鳳は即答する。玻璃の大袈裟な溜め息を薫鳳は微塵も気にせず、意識を失ったその女性を両腕で抱え上げていた。
玻璃は反射的に注意する。
「ちょっと薫鳳先生。若い女性だからって気安く触らないでください」
「うるせえな。おまえらには運ぶの無理だろ。男のオレに任せろ」
「担架とか持ってきますから」
「その時間が惜しい。行くぞ」
薫鳳は有無を言わせぬ勢いで、香水工場に併設された自分の研究室に急ぐ。玻璃は二つの意味で女性の身を心配して後を追った。
薫鳳専用の研究室は朱雀宮のものよりも一回り広く、壁一面の棚に無数の液体入りの小瓶が並んでいる。
部屋の一角に、芳香療法の研究用と思しき寝台が設えられている。朱雀宮の調香室のものに劣らぬ広さである。
「ひとまず、ここに寝かせよう」
「何でですか。いかがわしい。何人の女を抱いたかも分からないこんな寝台の上になんか」
「おまえはそればかり言ってるな。欲求不満か?」
「誰が」
「違うなら、ちょっと黙ってろ」
薫鳳の襟につかみかかろうとしていた玻璃を肩で制し、薫鳳は柔らかな敷布の寝台へ女性を静かに横たえた。呼吸は浅いが胸の上下は規則的。生存は明らかである。
薫鳳は真紅の外套の内側から小瓶を一つ取り出し、その蓋を器用に開けて、意識のない女性の顔に近づけ揺らす。
薫鳳の後方にいた玻璃の鼻に異様な刺激臭が届き、思わず顔をしかめて鼻と口に手を当てる。
「うっ……、何ですかそれ」
「気付け薬だ。主成分は樟脳と芥子。樟脳というのは楠の葉や枝を蒸留して抽出したもので……」
薫鳳の説明が始まった途端、玻璃は反射的に筆と紙を取り出して記録している。
やがて、女性の細い眉がわずかに動き、まぶたがゆっくりと上がる。
薫鳳は瓶に蓋をして外套に収めると、静かに声をかける。
「大丈夫か」
「あ……」
女性は虚ろな目で薫鳳の麗らかな瞳を見つめていたが、はっと正気に戻ると目を見開き、跳ね起きた。
「く、訓薫鳳……っ!」
血走った目で腰に手を伸ばし、帯に差し付けた短剣を鞘から逆手で抜き放つ。名を叫びながら刃を振り上げ、そのまま薫鳳へと突き下ろした。
「先生っ!」
玻璃は突然のことに身体が動かず、先に声を発する。
薫鳳はとっさに短剣を握る手首をつかんで、動きを封じた。
「訓薫鳳ぉ……っ!」
女性は目を見開き唸りながら、薫鳳へ向けた短剣に力を込める。薫鳳も押し支え、刃は震えて先へ進まない。
彼女の瞳を見据えたまま、薫鳳はもう一方の手を自らの外套に滑り込ませせ、一本の瓶を取り出した。先ほどの気付け薬とは違う小瓶。親指一つで器用に蓋を開けると、その口を女性の顔へ近づける。
女性の表情が歪む。苦悶に呻くと短剣が手から落ち、再び力が抜け落ちて薫鳳にもたれかかった。
薫鳳は彼女を受け止め、小瓶を外套に仕舞うと、そのまま再び寝台に横たえる。
玻璃は思わず尋ねる。
「い、今の瓶は何ですか……」
「気絶薬だ。曼荼羅華やら何やらを組み合わせたらできた」
「なんでそんな危険のものを持ち歩いてるんですか。特級性犯罪者ですか」
「失礼だな。護身用だろ」
薫鳳は淡々と答えるが、玻璃は疑惑と不審の細めた目で薫鳳を見つめていた。
(つづく)




