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第三話 女の香り


 温玻丈(おんはじょう)は、額に浮かぶ冷や汗を袖で拭う。



「いや……、この子は亡き娘から預かった、何より大事な孫娘でな……。日頃お世話になっている薫鳳(くんぽう)どのの頼みとは言え、そう易々と差し出すわけには……」


「別に夜の相手をさせろと言ってるわけじゃない」



 薫鳳は玻璃(はり)の瞳を見つめて、興味深そうに言う。



「この子なんだろ、これまでの瓶を描いてきたのは。今度の瓶もそうなのか?」



 薫鳳は視線を玻璃に据えたまま、玻丈に人差し指でクイクイと物を差し出すように合図した。


 その仕草だけですぐに意図を悟った玻丈は、大切そうに抱えていた袋の中から、箱を取り出す。


 石の卓上で蓋を開け、梱包の布を一枚ずつ開いていく。


 そこに現れたのは、玻璃が設計して工房で作り上げた香水瓶の試作品であった。


 金剛石を思わせる多面体に加工された意匠。夕陽を受けてキラキラと光る美しさに、薫鳳の両脇の美女たちが「わぁ……」と感嘆の声を漏らす。


 玻璃から瓶へと視線を移した薫鳳は、その造形をまじまじと見つめる、口角を僅かに吊り上げる。



「いいじゃないか。四年前から試作に女の手が入っているだろうなとは、匂いで分かってたんだ」



 薫鳳は再び翡翠色の瞳を、玻璃に向けた。



「おまえ、名前は?」


「玻璃です」


「玻璃……。おまえ、玻璃という名前なのか……?」


「そうですけど、何か」


「……どこで学んだ?」


「帝国美術学院です。建築科の卒業生なんで」


「そうか。道理でむさ苦しいオッサン職人どもの感性とは違うわけだ」



 薫鳳は感心したようにうなずいている。



「玻璃……と言ったな。しばらくオレの調香室に来いよ。最強の香水を開発する。これから一緒にやるぞ」



 ようやく「孫娘をオレに貸せ」という薫鳳の言葉の意味が明らかになった。玻丈は胸を撫で下ろしているが、玻璃は全く納得していない。



「行くわけないでしょう」


「なんでだよ。効率的だろ」


「あなたみたいな色に溺れる人のところに行ったら、何をされるか分かったもんじゃない」


「何を言っている?」


「ふしだらな女漁りの色ボケには迂闊に近寄れないって言ってるんです。さっきの『これから一緒にやるぞ』ってのも、怪しいったらない」


「おまえは自分が分かってねえな」



 薫鳳は両側の美女たちの肩から手を放す。椅子から腰を上げ、石卓に両手をつけて身を乗り出した。翡翠色の瞳が玻璃に一気に近づく。



「玻璃。おまえ、設計ひとすじだろ」


「ええ」


「女っていう生き物は大抵、財欲、色欲、名誉欲、そういう我欲をやたらプンプン匂わせてやがるもんだ。だがそういう <(よこしま)な香り> が、おまえからは全く感じられねえ。ひたすら世のため人のための設計を追求したい。そんな職人の鑑のような、我欲の香りのない、無垢で純粋な女だ」


「お褒めの言葉を、どうも」


「褒めてねえよ。職人としては上等だが、女としては<(よこしま)な香り>のない奴なんて、人として面白味のかけらもねえ最低部類なんだよ。そして今のこの俺から放たれてる至上の香水の香りすら、ピクリとも(とろ)けてねえ面白くねえ女だ。天才調香師のオレが、そんな面白味のない女体に手を出すわけが……」



 蔑む言葉の途中。玻璃は立ち上がって踏み込み、右手の(てのひら)で薫鳳の頬を全力で張った。


 パァァン、と乾いた打撃音が庭園に響く。


 横へ弾かれた薫鳳の美しい頬が、みるみる赤く染まる。だが玻璃は気にせず、吐き捨てる。



「あなたのような失礼で下品な劣情の男が、天才調香師? 笑わせないで」



 玻璃は女性が軽んじられ蔑ろにされる理不尽をを何より嫌う。


 通学した帝国美術学院も、男尊女卑の世界であった。その反発心を糧に勉学に明け暮れ、首席で卒業したほどである。薫鳳の女性蔑視の態度は、玻璃には到底許せるものではなかった。



「こ、これ、玻璃。控えろっ」



 玻丈が慌てて立ち上がり、玻璃の腕をつかむ。



「何よ、おじいちゃん。こんな人、三回ぐらい殺したほうがこの国のためでしょ」


「相手を誰だと思っておるんじゃ。薫鳳どのはこの国唯一の宮廷調香師じゃぞ。皇族お抱えの特級匠官(しょうかん)で、爵位も持っておる。本来はわしらなど相手にしてもらえぬ立場なんじゃぞ。手を上げるなど言語道断。不敬の重罪を問われるぞ」



 玻丈の必死さを見ると、薫鳳が皇宮内で高い地位にあることは伝わる。


 薫鳳は赤くなった頬をさすりながら、愉しげに笑う。



「いいって爺さん。この孫娘にはもっと、人間臭い感情を匂わせていくべきだ。全く面白味がねえからな。いや面白味じゃなく、面白臭か」


「このぉ……っ!」



 玻璃は再び逆上して腕を振りかぶり、玻丈は全身で玻璃を制する。



 その時。


 薫鳳が玻璃から目を逸らす。その隙に殴りつけることはできたが、玻璃はつい薫鳳の視線を追った。


 ほどなくして、ザッザッと庭園の砂利を踏みしめる足音が、遅れて耳に聴こえてきた。この淫乱調香師は足音よりも先に匂いで察したのか、と玻璃は驚く。


 威厳ある深紫の寛衣を身に纏った白髭の老齢の男が、萌葱色の道衣を羽織る若手の者どもを十数名引き連れて、夕陽を背にしてこちらへと歩いて来ている。


 魔術を司る魔術府(まじゅつふ)に属している、地位の高い魔術師の一行であった。



「あれは……」



 玻丈はその姿を見るや、即座に四阿(あずまや)の階段を降り、深く頭を下げる。玻璃も後に続いてそれに倣った。この国では身分の低い者が高い者を見下ろす位置に留まることは、無礼に当たる。


 だが、薫鳳は動かない。


 四阿の石椅子に掛けたまま、ニヤニヤしたまま老魔道師を見下ろしている。


 老魔道師は鋭い眼光を放ち、心なしか錫杖を強く地に突きながら、四阿に近づいた。緊迫した空気が走る。





(つづく)







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