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第二十七話 朝萌山


 朱雀宮(すざくきゅう)内に所在する魔術府の一角。薄暗い執務室の中で、曹牙陵(そうがりょう)がいつもの険しい顔で、上司魔道師の燕該曜(えんがいよう)に陳情する。



「該曜様。風呂に入りたいと思っております」


「……何を言い出しておる。牙陵」



 思わぬ内容に、燕該曜は眉間に(しわ)を寄せる。古来の風習を死守する方針の魔術府では、入浴習慣を禁じている。自分を律することに誰より厳しいと思われる曹牙陵が言い出すとは心外だった。



「おぬしほどの者が、さような戯言を。陸弦翔(りくげんしょう)の一件で訓薫鳳(くんくんぽう)に唆されて、憎き調香室に肩入れするようになったか」


「逆にお考えくださいませ。訓薫鳳は魔術府の中でなぜか、私にだけは警戒心を解いているように思われます。調香室は所有する東の朝萌山(ちょうほうさん)に自前の温泉を設けており、薫鳳は私にはやたら勧めてくるのです」


「だから」


「調香室は朝萌山への魔術師の立ち入りを禁じておりますが、温泉の勧めに乗れば、朝萌山一帯を内側から偵察することが叶いましょう。もし入浴による皮膚感染があるならば、私一人が自分に焼身の自害をすればいいだけの話でございます」


「ふむう……」



 何を世迷いごとを、と牙陵の話を一蹴しようとした燕該曜だったが、「朝萌山」の名が出ると興味を示した。


 魔術府が魔術を提供して生産される香水商品が、調香室が生む香水よりも粗悪でどうしても販売継続率が低い。品質を高めるためには、調香室の内部情報は一つでも多いほうがいい。



「よかろう、牙陵。調香室と懇意になり、薫鳳の叛心を炙り出せ」


「入浴を断れぬ場合は、お赦しください」


「よい。抜かるな」


「はっ」



 曹牙陵が恭しく頭を下げ、退室する。燕該曜は不適な笑みを浮かべた。



 帝都から東北東の方角に馬の速歩で一刻弱ほどの場所に、朝萌山はある。訓薫鳳は特級匠官(しょうかん)となって調香室を新設した際、この朝萌山全体を調香室管理の研究地として私財を投じ購入した。出資比率は薫鳳と朝廷で六対四。


 南向きのなだらかな斜面には、段々畑が無数に開墾され、草花、香木、果樹など様々な天然香料の栽培が行われている。その一角に建てられた建築物は、植物の研究室と香水の生産工場である。


 近年、香水はこの帝国の重要産業として急激に成長したが、その原動力がこの朝萌山である。薫鳳が調香室の立ち上げと同時にこの朝萌山の整備に取り組んだことで、香水の研究と生産は加速度的に前進し、この地は香水の一大産地となったのである。



「こんなに大規模な栽培地を調香室が持ってたんですね。朱雀宮のあんな小さな一室で、どうやって香水を作ってるのかって疑問だったんです」



 玻璃が高台から様々な色に揺れる段々畑を眺めながら、薫鳳に言った。



「朱雀宮の調香室は文字通り、調香の創成の場なんだ。オレを特級匠官にしてくれた皇太后様の手前、後宮に近い朱雀宮にも拠点が必要でね。調香という頭脳部分だけを朱雀宮に置き、心臓部分がこの朝萌山というところだな」



 薫鳳は暖かな風に揺れる長い銀髪を手でかき上げながら、自慢げに眼下の畑を見渡す。玻璃の目には薫鳳がそういう自分に陶酔しているだけにしか見えないが、巷の女性であればこの自信と爽やかな笑顔に惹かれていってしまうのだろう。



「ところで薫鳳先生。前から聞きたかったんですが」


「なんだ、玻璃。何でも答えるぞ」


「朱雀宮の調香室に玲花(れいか)小雅(しょうが)たち、四人の助手がいるじゃないですか。彼女たちはなぜ助手をしてるんですか。調香師を目指していると言っても、誰にでもできるようなことをやってるだけで、調香の技術があるようにも思えないんですけど」


「一言で言うと、見込み違いだな」


「え、どういうことですか。そもそも、どうやって彼女たちを助手に選んだんですか」


「玲花は城下の花屋の娘なんだ。小雅は香辛料問屋の娘だ」


「……それで?」


「花屋の娘、胡椒屋の娘なら、なんか鼻が良さそうな気がしないか?」


「……はぁ?」



 薫鳳の無頓着な説明に、玻璃は眉をひくつかせてくる。



「花屋と胡椒屋の出なら素質がありそうだろ。だから誘ったんだ」


「採用計画雑すぎじゃないですか! じゃあ、沈思妍(しんしけん)さんと劉蛍舞(りゅうけいぶ)さんでしたっけ、あのお二人は? もともと女官だって聞いてますけど」


「ああ。皇太后様が香水にとても興味がある侍女が二人いるって言うんだ。それが思妍(しけん)蛍舞(けいぶ)でな。だから預かることにした」


「なんで」


「好きこそ物の上手なれ、という(ことわざ)があるからな」


「下手の横好き、っていう言葉もあるでしょ。薫鳳先生は、ご自分の調香技術は天下無双のようですが、人を見る目と教育観念に関しては超底辺の雑魚室長のようですね」


「言い過ぎだろ。花屋生まれ、胡椒屋生まれ、それに香水に興味のある女官だぞ。なんか調香師の素質の香りがしないか」


「アホなんですか!? 自分はこの国の香水産業を高めただとか何とかご自慢のようですけどね、その産業に持続性を持たせず将来衰退させるのも薫鳳先生、あなたじゃないですか。なんだこいつ」


「いや、一生懸命やってるだろ」


「あああああ。調香室の調香師育成の仕組みから作らないといけないぃぃ!私はなんでこんなゴミみたいな組織で働くことを選んだのか。訓薫鳳のタコォォォォ死ねぇぇぇっ!」


 <しねぇぇぇっ……> 


 <しねぇぇぇっ……>



 頭を抱えて玻璃は思いっきり叫んだ。


 上司の悪口が周囲の山々に山びことして共鳴し、畑で農作業中の作業員たちが一斉に高台を見上げる。


 薫鳳は言われたことのない評価に唖然と立ち尽くしていた。





(つづく)



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