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第二話 銀髪の調香師


「男……。今までの香水……、全部その男の人が作ってたの……?」


「そういうことじゃ……。じゃが(はり)璃、とりあえず落ち着きなさい」



 孫娘の(はげ)しい声色にたじろぎながら、玻丈(はじょう)はなんとか宥めようとする。


 これまで玻璃に調香師が男であることを伏せてきたのは、祖父なりの気遣いであった。


 玻璃は昔から、男が女を侮る気配に敏感であった。ひとたびそれを嗅ぎ取れば、記憶と共に胸の奥にある怒りが、たちまち炎となって噴き上がる。


 ゆえに玻丈は、取引先の調香師の性別と気質を隠してきた。「麗しい相手」と言い含めていたせいで、玻璃はいつしか気高い美女を想像して勝手に憧れていた。


 玻璃は机を強く打って、祖父に言葉をぶつけた。



「落ち着いてる! でも、この変更だけは絶対に承服できないよ。私が直接言うから、その人に会わせて」


「うーむ……」


「何が心配なの、おじいちゃん」


「相手は皇宮内でもとても地位の高い方なのじゃ」


「え、そうなの」



 玻璃は意外そうな声を上げる。高貴な美女を思い描いてはいたが、てっきり自分たちと同じように市井の者だとばかり思っていた。


 しかし玻璃は思い直して伝える。



「それでも、会いたい。私はただ、自分の考えを伝えて、相手の真意を確かめたいだけ」


「……先方の御仁は、天与の嗅覚と稀代の技術を持つ傑物の調香師じゃ。しかし……、人間性にちょっと癖があるというか、玻璃とは性格的に合いそうにないというか……」



 玻丈の歯切れは悪い。玻璃は大きく息を吐く。



「何言ってるの。これは人間性とか性格とかの問題じゃない。職人と職人のお互いの仕事についての擦り合わせでしょ」



 語気こそ強いが、それは感情のためではなく、設計師としての矜持から来るものだと分かる。


 そんな職人魂を孫娘に感じ取った玻丈は、観念したようにうなずく。



「分かった分かった。ちょうど今日の夕刻、その方と会って、次の試作瓶を見せることになっておるんじゃ」


「本当? それなら、私も一緒に行きたい」



 ぱっと表情を明るくした玻璃に、玻丈は苦笑する。



「まあいいじゃろう。ただ、今回はあくまで次の試作瓶の打ち合わせじゃ。白い香水の件は、今日のところは持ち出さないこと。付き添いとして控えておくのじゃ」


「……うん。そこは分かった」



 不満がないわけではないが、会わねば何も始まらない。


 しかし、同行の条件はなおも続いた。



「今日は男物の衣服を着ておいで。お父さんが使っていた作業服を借りるといい。ちょっと大きいだろうが、まあいいじゃろう」


「え、なんで。わざわざ男の格好なんて、やだよ」



 玻璃は露骨に顔をしかめた。


 祖父はますます言いにくそうに、言葉を選ぶ。



「その……なんじゃ……、女の設計師だと分かると、軽く見られるじゃろ。取引というものは、最初の威厳が肝心じゃから……」


「女だからって侮ってくる男なら、私がその場でバシッと言い返すけど」


「それは頼もしいが……、初手は様子見ということで、今日だけはじいじの言うことを聞いておくれ。次からは、ちゃんと正式な製瓶師として紹介するから。とりあえず今日は、工房の男弟子の一人として連れて行くでの」


「……分かった」



 祖父の煮え切らない言いぶりには、なおも拭えぬ違和感がある。


 しかし、何事もまずは相手を見極めなければならないのも事実。


 玻璃は祖父の言いつけに従うことにした。



 その日の夕刻。 


 玻璃が祖父に連れられて足を踏み入れたのは、広大な皇宮の中の園庭であった。


 絢爛豪華の宮殿群を背に、美しい木々が夕陽を受けて輝く。色とりどりの花々の芳香が、風に乗って広がっていた




 今や香水はこの帝国にとって重要な産業。


 かつては剣と魔術の力で周辺諸国を制圧していき、野蛮と評されたこの帝国も、重商時代へと移ってからは交易と物流によって文化国として繁栄している。


 中でもこの国に莫大な利益をもたらしているのが、香水であった。


 古来より良い絵画は目を、良い音楽は耳を豊かにしてきた。そしてこの十年で、良い香りもまた豊かな芸術の一つとして迎えられた。帝都の貴族から異国の富豪にいたるまで、芳香を求めぬ者はいない。香水はもはや単なる嗜好品ではなく、この帝国の美と権勢とを象徴する財となっていた。



 (おん)玻丈(はじょう)はその隆盛の一端を担ったと言える職人である。


 この国ではいまだ珍しい、西洋伝来の硝子(グラス)の製造技術を持つ。


 かつては帝都から離れたのどかな郊外で、長男の玻充(はじゅう)と二人だけで、窓や皿などを細々と作る一介の技術者に過ぎなかった。当時はまだ硝子(グラス)という素材が広く価値を理解されておらず、需要が乏しかったのである。


 だが十年前、一人の若き調香師に出会ってから香水瓶を手掛けるようになった。それが玻丈と工房の運命を大きく変えた。


 繊細な香水に見合う器として、精微な硝子(グラス)瓶はたちまち評判を呼んだ。大きな利益を上げ、温玻丈は帝都の一角に工房を移設し、新たな硝子(グラス)職人たち集うようになる。



 そして四年前からは、帝国美術学院を卒業した玻璃が設計師として手伝うようになってから、温玻丈工房の名声はもう一段高まった。


 粗悪な香水商品も世に出回ってはいるが、玻璃の設計による芸術的な香水瓶に収まる香水はそれらとは一線を画し、富裕層たちの心を奪い、その価格は近年急激に高騰している。


 近年では海外からも熱烈に求められ、この国の輸出総額のうち香水が占める割合が四割に達したとも言われている。


 温玻丈は孫娘の才能を、心から誇りに思っている。


 それだけに、あまりにも凄惨な過去を背負い、いまだここの傷を残し感情の起伏が激しい玻璃のことを、玻丈は常に案じていた。




 玻璃が祖父玻丈に連れられやって来たのは、広大な園庭の一隅に設けられた、八角形の屋根を戴く四阿(あずまや)であった。



「玻璃は、なかなか肝がすわっとるのう……」



 並んで石造の椅子に座っている孫を見て、玻丈は肩をすぼめながら小声でこぼす。



「学院はそこの祝融殿(しゅくゆうでん)の中だったからね。見慣れてるよ」


「わしは何度来ても、この皇宮の豪華さは落ち着かんのじゃ……」



 平然としている玻璃を感心しながら、玻丈は園庭を見回した。


 この国における皇宮とは、政務と祭事を司る南の外朝と、皇帝や皇族が私生活を送る北の内廷とを総括した宮殿群域を指す。


 広大な大陸の覇者として富と権力を集めた象徴とも言える、広大な宮廷。


 近年は砂漠地帯の中継都市の発展や船舶技術の進歩などによって、はるか遠方の東西の異国との交易が活発化。帝国の歳入が急拡大したことで、皇宮内の宮殿は増築に増築を重ね、回廊や庭園、殿舎や楼閣が幾重にも連なり、まるで一大都市のようである。


 貴族、官吏、使用人を含めれば、常時四千人を超える人々が暮らす、閉じた一つの迷宮世界であった。


 その外朝南東部に広がるこの自由園庭は、森と見紛うほどに樹木が建ち並美、四季折々の花が色鮮やかに咲き誇る広大な敷地である。


 ここは身分を問わず立ち入りを許されてはいるが、そのあまりの規模と静謐な威圧感に、都人はほとんど恐縮して寄り付いていない。


 だが、玻璃には畏れよりも懐かしさが先に立つ。


 幼い頃より、南の祝融殿の中に設けられた帝国美術学院に通学していた。園庭を見下ろす廊下を何度も歩き、創作意欲を刺激するために園庭を散策していた学生生活の日々を思い返してしまう。



 しばらくすると、植え込みの木々の奥から三つの人影が現れた。


 ふわりと甘く艶やかな香りが風に乗って玻璃の鼻先を掠める。



(女官……?)



 玻璃はそう直感して目を凝らしたが、予想は外れた。


 確かに両側を歩くのは、眩く華やかな広袖の服を着て笑う、若い美女である。


 しかし、その二人の肩を左右から抱き寄せている人物は、長身の男であった。


 群青の官服の上に、真紅の外套(がいとう)。官吏には珍しく、背に流れるほどの長く美しい銀髪。


 年の頃は二十代後半。端正という言葉すら控えめに思えるほど、整いきった顔立ち。そこに立つだけで世の女性の視線を奪うような、圧倒的な存在感がある。



「よう、爺さん。待たせたな」



 品のある外見に反して、口調は案外軽かった。


 端麗なその男は四阿に上がると、玻丈と玻璃の向かいに置かれた三連の石椅子に腰を下ろし、当然のように両側へ美女を座らせた。


 風に揺れる銀髪から、さらに濃やかな香りが舞う。



「次の香水瓶、できたんだってな」


「ああ。薫鳳(くんぽう)どのにもきっと、気に入ってもらえる出来じゃ」



 軽口の男に、玻丈は親しげに応じる。



(この人が……、おじいちゃんの取引相手の調香師……)



 玻璃は即座に悟った。


 その直後。


 薫鳳(くんぽう)と呼ばれたその美丈夫は、翡翠色の瞳を玻璃に向けた。



「で、そっちの娘さんは?」



 美丈夫は玻璃を顎で示して、玻丈に訊く。


 玻丈は動揺する。


 なぜ女子と分かるのか。玻璃には晒し布を撒きつけて胸の膨らみを押さえ、美術家の娘婿が愛用していた男物の衣類を着せ、髪も無造作に整え、男性用の香水を纏わせてまで、男に見せているというのに。



「い、いや、こいつは、うちの工房で新たに預かった弟子の男で……」



 玻丈はしどろもどろに説明したが、薫鳳は口元を歪ませ苦笑する。



「おいおい、爺さん、戦友のオレに嘘は無しだぜ」


「……なぜ嘘だと」


「香りで分かるだろ。どう嗅いでも若い女の肌の香りじゃねえか」


「……」


「なぜ男物の香水なんかつけて、そんなに見た目を汚すんだよ。女性ならもっとこう、芳しい香水と香ばしい服装ってのがあるだろ。な?」



 美男子はそう言って、両側の美女の肩をぐいと引き寄せ、交互に視線を送って彼女たちに同意を求めた。



「もぅやだぁ、薫鳳さまったらぁ」



 女性二人は甘えた声でくすくすと笑っている。どちらの女性も、この美丈夫に気に入られようとしているのが見え見えだ。


 卓を挟んだ距離がありながら、香りだけで性別を見抜いた薫鳳の嗅覚に、玻璃はひとまず感心した。


 だが、玻璃は厳しい視線を薫鳳に向けている。


 女を侍らせ戯れる下品な姿には嫌悪感しかなかった。いかに美貌良く秀麗に着飾っていようと、女性を軽く扱う男は美から遠い。


 帝国美術学院で美術を学んできた玻璃の目には、この男は美しい存在には映らない。むしろ汚物である。


 諦めたように、玻丈は事実を告げた。



「……さすがは薫鳳どの。やはり見通しておったか。そう、彼女はわしの孫娘じゃ」


「……」



 薫鳳はしばし、玻璃を見つめる。


 だが、その両手は両側の美女の柔らかな肩を摩り続けているままである。こんな無礼な男にナメられてたまるかと、玻璃と薫鳳を睨み返す。


 玻璃は理解した。祖父が自分をこの調香師に女性として会わせたくなかったのは、女性の商売相手だと軽く見られるからではなく、この品行甚だ悪き男なら若い女と知ると平然と手を出すからだろうと。「女の設計師だと分かると、ナメられてしまう」という玻丈の言葉は、本当の意味で舐められることを表していたのかもしれない。


 薫鳳と玻璃の視線が交錯する。


 やがて薫鳳は、玻璃から目を離さぬまま横の玻丈に問う。



「おい、爺さん」


「なんじゃ」


「この孫娘、しばらくオレに貸せよ」





(つづく)

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