第十七話 禁衛府
禁衛府とは皇宮内を取り締まる警察組織である。帝都やその周辺の有事の際には禁軍として動く軍事組織の側面も持つが、普段は衛士と呼ばれる衛兵たちが皇宮内の警備や消防に従事している。
衛士を統率する部隊長階級は衛士令と呼ばれ、衛士たちとは制服も少し異なる。いま調香室に来ている馬丁峡という男は、この衛士令の一人である。
禁衛府は宮中の治安を司る役割とはいえ、その組織内もまた派閥争いや腐敗の歴史を繰り返し、時に政治に利用されてきた。誰がどの権力者に結びついているのか、複雑で容易に信用ならない。そんな中で、この馬丁峡という衛士令はなぜか皇太后から深く信用されており、皇太后一派の訓薫鳳も安心して付き合っている。
梨南と京英の名を耳に聞くや、設計作業の専用机から飛んできた玻璃は、長椅子に腰掛ける薫鳳を臀部で横へ押しやって隣りに座り、向かいの馬丁峡に食いつくように訊いた。
「丁峡さま。欠けていた二本の香水瓶は見つかりましたか。うちの薫鳳は、どのような手口で二人を手にかけてましたか」
「なんでオレが犯人なんだよ。あっち行ってろ」
薫鳳が手で玻璃を追い払おうとする。その玻璃の顔を、馬丁峡はきょとんとした顔で見ている。玻璃は気になって尋ねた。
「……私が何か?」
「いや……。薫鳳どの、好みが変わったのか?」
初対面の玻璃を、馬丁峡は薫鳳の新しい愛人だと思ったようだ。玻璃はイラッとして、手頃な位置にあった隣の薫鳳の足の甲を上から踏みつけた。
「私はここの製瓶師の紅玻璃です。薫鳳先生とはそれ以上の関係はありません。随分と失礼なことを言う衛士令どのですね」
「これは失敬。あまりに閨秀で俊英な方に見えたので、つい」
「随分と素敵なことをおっしゃる衛士令さまでいらっしゃいますね」
「玻璃どの。香水瓶は二本とも、見つかったんだ」
「えっ」
本題に戻った馬丁峡の短い報告に、玻璃は驚きの声を上げた。
衛士令の馬丁峡の話では、今朝に帝都の南東部の森の中で秋梨南と車京英の死体が発見されたという。帝都は外朝と内廷を囲む内城と市街地を囲む外郭という二重の城壁構造になっており、現場はさらにその外郭の外側で、人目のつかない広大な森林の中であった。
屍体は禁衛府の検死部署に回され死因の解析中である。現場で発見された時、屍体の傍にはそれぞれ青色と緑色の液体が入った小さな硝子瓶があった。香水であろうということで、調香師の訓薫鳳が参考人として呼ばれることになり、捜査担当の一人となった馬丁峡は薫鳳を呼びに調香室に来たというわけである。
「仕方ねえな。行くよ。玻璃も一緒に来てくれるか」
「私はまだ瓶の設計の仕事があるんですけど。どうして先生と一緒に逮捕されないといけないんですか」
「犯人じゃねえって言ってるだろ。まあ天才のオレが一人行けば、真相解明も瞬殺なんだろうが、瓶のこととなればおまえの目も必要になるかもしれないからな。上司命令なんだから、黙ってついて来いよ」
「嫌ですよ。本業に集中させてください」
「あれ、皇太后さま」
「ひぃぃっ、すみませんっ!」
薫鳳が振り返って冗談を言うと同時に、玻璃は確認もせず反射的に長椅子から飛び上がり、床に頭を擦り付けてブルブル震えながらひれ伏した。馬丁峡は唖然として見下ろす。腹を抱えて爆笑している薫鳳はその後、玻璃の終わりなき肘打ち膝蹴りを喰らい続けることになる。
馬丁峡の後に続いて、薫鳳は朱雀宮を出る。玻璃は薫鳳の背中に正拳突きを繰り返していたが、突然振り返った薫鳳は玻璃の手首をつかむ。
「玻璃、ここからは政治だ。皇宮の中だということを忘れるな。オレと入魂の仲の丁峡どのの前ならまだいいが、他の衛士が見たら、特級匠官に二級匠官が危害を加える場面を見ただけで現行犯逮捕になって、杖刑が待っているぞ」
「あ、はい……」
薫鳳に諭され、玻璃はシュンと小さくなった。特級匠官の権威は分かっているつもりだが、なぜか薫鳳といるとそれを忘れてしまう。きちんと部下らしくしよう、と今さらながらに背筋を伸ばして後をついていった。
禁衛府の本庁舎は外朝にあるが、馬丁峡が向かったのは朱雀宮のすぐ隣り。内廷護衛署という建物であった。機密事件の場合は外部と遮断されている内廷署内で処理されることが多い。
後宮の女官である梨南と京英が行方不明後に死体で見つかったことは、内廷の問題であり世間には秘匿とされる。禁衛府の中でも限られた者しか知らされていない。
馬丁峡以外の衛士どもはどの権力者と繋がり何を企んでいるのかも分からない。あまり迂闊な接し方をすると命取りに繋がる。いつもは奔放な薫鳳も、詰所に来てからは他の衛士に対して慎重に接していた。
向かった検視室の前の長椅子に、思わぬ人物が待っていた。薫鳳は目を見開き、玻璃も言葉を失う。
(つづく)




