第十六話 発見
匠官服の上から玻璃の胸に顔を埋めている薫鳳は、後宮帰りの移り香を鼻でクンクンと確かめながら玻璃に告げる。
「確かにおまえの言うとおり、一つは陳皮、つまり蜜柑の皮が主の香水の香りだ。黄色の液体の瓶というのは陳皮主体で間違いない」
「合ってたんだ」
玻璃は自分の胸部に鼻を深く密着させている薫鳳に殺意を抱きながらも、直接液体をかけたわけでもない衣服の残り香で分析ができる薫風の鋭敏な嗅覚に、感心もしている。何より一つ言い当てられたことが嬉しかった。
薫鳳は鼻先を玻璃の胸に擦り付けるようにうなずく。
「ああ。ただ、茉莉花と言ってた白の香水は、鈴蘭が主のようだな」
「鈴蘭」
「そう。鈴蘭も茉莉花のように白い花だが、香りが少し柔らかい。この胸のおまえには酷かもしれないが、その自生地から『谷間の百合』という別名もある」
「この胸は関係ないでしょ」
「それから、おまえが薔薇と言ってたのは……、芍薬だ。西洋芍薬。確かに香りは薔薇にも似ているが、独特の爽快さと甘さがある。奇しくも立ち姿のおまえには申しわけない話だが、古来から『立てば芍薬』という淑女を形容する言葉もある」
「なぜ私には申しわけないんですか」
「黄の陳皮、白の鈴蘭、赤の芍薬の組み合わせとなれば、今まで作った五連瓶の中でも、二年前に後宮に納入したものしかない。覚えてるぜ。足りない二本は、青の露草と緑の香茅のやつだ」
薫鳳はぶつぶつと玻璃の胸の中でつぶやいている。玻璃はあまりの密着度にうんざりしながら、薫鳳に嫌味たっぷりに伝える。
「結局薫鳳先生が直接嗅ぐんでしたら、別に私じゃなくて、玲花や小雅でもよかったんじゃないですか。彼女たちのほうが胸が大きくてお好みの谷間でしょうに」
「だから、前にも言っただろ」
ようやく玻璃の胸から顔を離した薫鳳は、玻璃の肩をポンと叩いて背を正すと、麗しい笑顔を見せる。
「おまえには女特有の <邪な香り> がない。人間味がない無臭の女だから、オレも余計な <邪な香り> に惑わされず集中して微量の移り香に気付けた」
「つまり?」
「つまり、そういう意味ではおまえは最高の女だということだ。そして、そういう意味じゃなければただの最低の女ではある」
一瞬褒められたので嬉しさが口角に出てしまった玻璃だが、結局は渾身の張り手を薫鳳の頬にぶち込んだ。乾いた音が朱雀宮の回廊に響き渡った。
「……痛ってえな。めちゃくちゃ褒めただろうが」
「『ただの最低の女』のどこが褒め言葉なのよ! 集中して嗅ぎたいなら、わざわざ私の胸に密着して嗅がなくても、この服を脱いで渡して、服だけ嗅げばよかっただけの話じゃないの!?」
「……確かに。おまえ、頭いいな」
「ふざけんな。次やったら殺す」
玻璃は最後に薫鳳に満身の蹴りを入れると、膨れっ面で調香室に入り、自分の作業机に座ってひたすら瓶の絵を描き始めた。込み上げて燃え盛る怒りが、創作意欲と化すようだ。
それから三日ほど、玻璃はようやく本業である香水瓶の設計に取り掛かることができた。薫鳳から次の香水の構想を聞いて書きまとめ、それを元に大まかな図案に表していく。薫鳳の案は十六にも及んだが、玻璃は瞬時にそれらを画案に描き出した。
皇宮に勤務して数日、玻璃はまともな製瓶設計の業務はできていなかったが、広大な皇宮を目にしたこと、そして後宮に入って女性の世界を見たことは、玻璃に思わぬ利点をもたらしていた。その豪勢で絢爛な世界に触れたことで、次から次に着想が湧いてくるのである。祖父の硝子工房の一室では出てこなかった発想が、この調香室では限りなく湧いてくる。薫鳳への怒りと嫌悪感の大きさもまた、着想の発奮材料になっていた。
そんな折、調香室に思わぬ訪問者があった。
比較的長身の薫鳳よりもさらに高い、屈強な武人。その軍服を見れば、禁衛府の役人であることは一目瞭然だ。歳の頃は三十過ぎ。女性ばかりの調香室に、勇壮な衛士令の姿は非常に浮く。
「薫鳳どの。邪魔するぜ」
「おう、丁峡どのか。どうした」
「死体で見つかった」
「梨南と京英か?」
丁峡と呼ばれた衛士は、勧められた打ち合わせ用の長椅子に腰を下ろすと、薫鳳の質問に無念そうな表情で首を縦に振った。
(つづく)




