第十四話 足りない瓶
「ここが、二人の女官の部屋だ。おまえたちは皇太后様と訓薫鳳殿の遣いとは聞いているが、一つたりともここの物を持ち出すことは儘ならぬ」
太々しい中年の宦官が偉そうに顎で部屋を示す。玻璃は偉そうな男なら自分の上司を見慣れてはいるが、偉そうな上に顔も醜悪なこの宦官に比べると、顔だけは麗しい上司はまだ少しマシという気がしてきた。
行方不明になっている秋梨南と車京英という二人の女性は、皇太后の住まう青龍宮に仕える下級女官である。共に二十一歳の同期で、後宮入りして三年間、下女たちの寮となっている青龍宮の離れの宿舎で同室住まいをしていた。寮長として下女を束ねる役目も果たしていたらしい。
複数押し込まれ雑魚寝が基本の下女たちの大部屋に比べて、この部屋は二人住まいとしては十分に広い。生活感がそのまま残されており、荷物をまとめて雲隠れしたという感じでもない。不意の失踪と予測できる。
玻璃は机の上に置かれた瓶を指差し、小太りの宦官へ確認を取る。
「卓岩様。あの卓上の小瓶は香水瓶と思われます。手にとって確認してもよろしいでしょうか」
「ならぬ。現状維持のため、一切に触れぬよう」
「ちっ」
「おい、おまえ今、我に舌打ちしたか?」
「いいえ。手で確認できない以上、鼻で確認するしかなく、嗅覚の準備のために舌を鳴らしたんです。手で確認できないんですから。ちっちっ」
堂々と嘘で返した玻璃は、嫌がらせのごとく舌打ちを連発する。助手役の玲花と小雅も空気を読んで続けて舌打ち連打を始め、部屋の中は舌打ちの大合唱となった。卓岩と呼ばれた宦官は眉をひそめて怒鳴る。
「ああうるさい! 香りの確認にそこまで下品な準備運動が必要か」
「卓岩どの、手にとって見てもらうぐらい許してもよいのでは……。わざわざ調香室の者に来てもらってるのに、瓶の中の香水も確認できないというのは、あまり意味がないのでは……」
もう一人の気の弱そうな細身の宦官が、申しわけなさそうに卓岩に進言する。甘可紡という宦官で、莫卓岩とは同期だという。
この甘可紡という痩躯の宦官は皇太后からの信頼厚く、本来はこの甘可紡のみが玻璃たちを案内する予定だった。ところが、当日になって突然、莫卓岩が総監視役として割り込んできた。同期とは言え莫卓岩は甘可紡より階級が上らしく、甘可紡は莫卓岩の補佐役に回され、玻璃たち一行は莫卓岩の厳しい監視下で視察を余儀なくされることとなった。
玻璃が特にむかついたのが、入宮審査である。本来は皇太后と特級匠官の訓薫鳳の紹介状があれば荷物と服装の検査で済むという。だがこの莫卓岩は玻璃が男性である可能性もあるからと、自らの手で服の上から下半身の触診検査をしてきた。既に男ではない宦官とは言え、油ぎった肥満顔の中年から触れられるのは嫌忌感しかない。後で腹いせに薫鳳でもぶっ叩いておこうと考えてしまう。
その悪意ある検査や監視を見るに、この莫卓岩は皇太后とは相容れぬ勢力なのだろうと、玻璃は強烈に実感する。皇太后や薫鳳が甘可紡を通して何かその勢力に不都合なことをやらないか、目を光らせているのだろう。
「ふむむ……。まあ調香室に関係するものに限り、手に取って確認するぐらいなら宜かろう。じゃが、必ず同じ位置に戻し、寸分もずらすでないぞ」
莫卓岩は甘可紡の進言を仕方なく受け入れる。莫卓岩は皇太后一派に嫌がらせをしたいのか、それとも気づかれるとまずいことでもあるのか。玻璃は莫卓岩の様子からそう怪しみつつ、卓上の瓶に顔を近づける。
それは特殊な外観だった。木で組まれた台に五つの丸穴が開けられ、そこに手のひらに納まるほどの小ささの長い瓶が上から差し込み立てられている。玻璃には見覚えがある。液体実験に用いる試験管の形を応用して玻璃自身が二年ほど前に設計した、五種類の香水を楽しめる五連型の蓋付き香水瓶である。
しかし、五本の瓶のうち左から二つ目と三つ目の瓶が見当たらない。残る三本のうち、最も左の瓶には赤色、最も右の瓶には白濁、その隣りには黄色っぽい液体が入っている。玻璃は玲花と小雅に尋ねる。
「この香水って、もともとこういう色なの? それとも人工的に液体に色をつけるの?」
「こういういかにも鮮やかな色の時は着色料を使うことが多いかなー。でもその元の植物とかを連想する色をつけるのが基本だよー」
「ここの足りない二つは何色か分からない?」
「覚えてないなー。しかも完成時はこの通りの配列だったかどうかも分かんない」
どうも玲花と小雅は調香助手とは言いながら、さほど香水製品に興味がないように見える。ただ仕事だからやっている、という感じなのだろう。どうして彼女たちが二級匠官なのかが謎だ。
確かに五連の瓶の順序は確定できない。使用者の好みでいくらでも並び替えられるからだ。だが薫鳳には一つの判断材料として伝えておく必要がある。莫卓岩は備忘の覚え書きも許さないため、目で現状の配列を覚えていく。
玻璃は香水のことについては詳しく分からないが、一つ一つの瓶を開けていってその香りを嗅ぎ、玲花と小雅にも確認していく。
「この白いのは、茉莉花みたいな香りがするけど、玲花、何か分かる?」
「うーん……。茉莉花みたいな香りかもねー」
「この黄色いのは柑橘系の香り……。蜜柑の陳皮みたいな……。小雅、何の香りかわかる?」
「そうねえ……。確かに蜜柑の皮みたいな感じかな」
(こいつら、全然使えないじゃん……)
追加情報皆無の二人の答えに、玻璃は絶望する。こうなったら、自分ができる限り情報化して、薫鳳に伝えて何とかしてもらうしかない。
(赤色の香水は薔薇のような香り……、いや、薔薇は本当にこんな香り? 思い込んでいないか? 最初にツンと柑橘果実のような刺激が来て、その後に花弁のような香りがする気が……。ああ、どう伝えていいか分からない)
玻璃はこれまで香水瓶の仕事に携わりながら、瓶だけに目を向けて中身の香水に全く興味を向けなかった自分を呪った。香水を表現する方法が全く分からない。少しでも薫鳳に聞いておくべきだった。いや、なんで薫鳳はそもそも教えてくれなかったのか、と次第に腹も立ってくる。
布にでも染み込ませて持ち替えれば、薫鳳の鼻で何とかなるだろう。だが、莫卓岩が一滴でも持ち帰らせまいと目を光らせていて無理である。玻璃はなるべく少しでもこの香りを覚えていようと、ひたすらその薫香を鼻へと煽いだ。
(つづく)




