第十三話 後宮潜入
後宮は男子禁制、まさに「女の園」である。
皇室の血統を守るために男性社会とは完全に隔離された世界。妃嬪の生活を支えるために、何千という女官や下女が住まう。
その後宮内の柱や植え込みから若い女性たちが隠しきれていない顔を出し、鮮やかな黄檗色の匠官服で歩いている人物を惚れ惚れと眺めている。集まる視線に居た堪れなくなったその人物は、女性たちを見てペコリと会釈する。自分だけに目が合ったと思い込んだ女官や下女たちが、キャーキャーと黄色い声を上げる。
(なんで私がこんなことに……)
玻璃は冷や汗をかきながら、心の中で呟く。だが恥ずかしさはあれど、同性とはいえ周囲の大勢から憧れの目を向けられるというのは、まんざらでもなかった。人気の踊り子にでもなった気分だ。
玻璃は二名の案内役の宦官の背後を歩き、その後ろに下級匠官服姿の玲花と小雅を連れている。
玻璃が身につけているのは、衣装師の紫喬が選んだ匠官礼装と礼帽である。男女兼用とのことだが、ほぼ男装と言っていい。「歌劇団の主役みたいね。人気出るわよ」と明らかに楽しんでいる紫喬の見立て。しかもキリッと凛々しい男子風の化粧まで施されている。
この国では女性は髪が長ければ長いほど美容度が高いと評される。だが玻璃は制作作業の邪魔になるからと、普段から髪をばっさり短くしている。それが逆に男装に映えるのか、男性姿に目が飢えている後宮の女官たちには絶好の興奮材料になっているようである。
玻璃がそんな格好をして初めて後宮へと踏み入れた理由は、数日前の皇太后に謁見した日。紅玉の間での新作香水の発表会での奇行を薫鳳から大いに怒鳴られた後に聞かされた話の中にあった。
「私が後宮に行くんですか」
「そうだ」
「陛下の子を産めって言うんですか」
「言ってねえだろ。調査をしに行くんだよ」
「なんで私が行くんですか」
「オレが行けないからだよ」
紅玉の間では皇太后の前で狼狽えて土下座を繰り返していたため、全く話が耳に入っていなかった玻璃に、薫鳳は呆れて溜め息をつきながら説明をする。
皇太后の話をかい摘むと、梨南と京英という二人の侍女が、一昨日に後宮から外出して以来行方不明になっているという。
玻璃は偶然その二人の顔を知っている。祖父に連れられて皇宮の園庭で初めて薫鳳に会った時、その薫鳳が両手で肩を抱いていた二人の美女だ。
宦官による外出記録によると、調香室への遣いと報告されている。しかし皇太后や侍女頭がそう命じてもいないし、薫鳳の調香室も二人を呼び出してはいない。後宮の外で何かの事件に巻き込まれているのかもしれない。
説明する薫鳳は、玻璃が目を細めて冷たい視線を向けているのに気づく。
「何だよ」
「いや、薫鳳先生のところですよね。両手に花で喜んでたじゃないですか」
「いつの話だよ。おまえと初めて会った時だろそれ」
「え、じゃあ薫鳳先生が呼び出して、自宅に監禁してるというわけじゃないんですね。これは難事件だー」
「誰がいつおまえのガバガバの推理を求めたんだよ。おまえ、オレのことが嫌いなのか?」
「嫌いか大嫌いかはご想像にお任せしますが、話の腰を折らずに続きをどうぞ」
「話の邪魔をしてんのはおまえだろ。侍女頭の甄沁泉が言うには、その侍女の部屋の香水瓶がいくつか足りないらしいんだ。天才のオレが行けばこの嗅覚で即刻解決するのは間違いないんだが、この美貌だろ。女官どもが大量に殺到して将棋倒しにでもなると危ないからな」
「いや、男子禁制だから男は入れないってだけですよね。そんなの、玲花や小雅に頼めばいいじゃないですか。彼女たち、調香助手なんでしょ。私はただの瓶を設計してるだけなんで、香水や香りのことなんて全く分かりませんし」
玻璃が薫鳳の背後に目を移すと、玲花と小雅は首をすくめて「はい無理ですぅぅ」と両手を振っている。薫鳳は首を振った。
「いや玻璃、おまえでいい。どんなことでもいい、彼女たちの部屋をくまなく見て、できる限り目に焼き付けて気になることをオレに細かく教えてほしい。おまえは帝国学院出の才女だろ。目に入れたことを言語化することは他の人よりはできるはずだ。だから、おまえが行け」
「……それが、人にものを頼む態度ですか?」
「は?」
「才女に用事を頼むつもりなら、それなりの態度ってものが」
「特級匠官の上司が七級愚民の部下に頼むに十分な態度だろ」
「はい、そうでした……」
「紫喬が明日、後宮での服を持ってきてくれる。皇太后様には話は通っているから、玲花と小雅を連れて二人の侍女の部屋を調べてきてくれ」
つまりは男性だから後宮に入れない薫鳳の代役として、玻璃が調査をしに行くということだ。玻璃はまだ朱雀宮に勤務を始めてから、自分の専門分野である瓶の設計をまだ一本もやっていない。正直なところ至極面倒で不満だらけだったが、皇太后絡みの事件とあれば仕方がない。
むしゃくしゃした玻璃は、服を持ってきた衣裳師の紫喬から新たな「薫鳳先生情報」を追加料金で課金して仕入れることにした。追加料金で銅銭十六枚版と銅銭四枚版を提示されたので迷わず銅銭四枚版を選択したが、
<薫鳳先生が好きな香りは、女性の胸の谷間の匂い>
という嘔吐必須の最悪情報で、薫鳳への殺意が増幅するだけに終わった。
こうして、図らずも玻璃の後宮初潜入は始まったのである。とはいうものの、あまりに紫喬が合わせた匠官服が玻璃を男前にしすぎて、女官たちの声援がうるさく飛び交う、潜入と言うには程遠い騒然の視察となった。
(つづく)




