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第十二話 心底怒られる


 新作の香水はどれも皇太后(こうたいごう)から評価高く喜ばれ、訓薫鳳(くんくんぽう)一行は嬉し顔で紅玉(こうぎょく)()を退室する。(こう)玻璃(はり)だけがまるで屍体(したい)のように青ざめた顔で、玲花(れいか)小雅(しょうが)の肩を借りてかろうじて足を引きずり歩いている。


 調香室へと戻ろうとする一行を追いかけてくる足音が近づく。



(ひぃっ、皇太后様の横で(にら)んでた侍女(じじょ)の人……っ!)



 ()け足の音の主を見た玻璃(はり)は、それが先ほど皇太后の(わき)に立っていた侍女頭(じじょがしら)だと認識すると、薫鳳(くんぽう)の肩にがっちりと(つか)まりブルブルと震えた。


 女官服でなければ高貴な姫と見られそうな美しい顔立ちの、二十代後半と思われる侍女頭。駆けながら薫鳳を呼び止めてくる。



「お待ちなさい。陳珍鳳(ちんちんぽう)どの」


訓薫鳳(くんくんぽう)だよ。あんたいつもオレの名前を間違うな。わざとだろ」


「この国に(くん)という(せい)の人を見たことがないから、覚えられないのよ。訓珍鳳どの、皇太后様に気に入られるからって、調子に乗らないことね」


(すご)むなよ、沁泉(しんせん)どの。うちの製瓶師の子犬が震えてるじゃねえか。名前も訂正されてねえし」


「あなたなんかが、皇太后様を惑わすのを見てられないの」



 侍女頭が至近距離で薫鳳を睨みつけている。侍女頭の甄沁泉(しんしんせん)はどうやら皇太后の薫鳳への寵愛が気に入らないらしく、明らかに薫鳳への敵意を見せている。その点では、玻璃はこの甄沁泉とは仲良くなれそうな気はした。


 次の瞬間、薫鳳が(そで)から親指ほどの小さな香水容器を取り出し、片手で蓋を開けて沁泉(しんせん)の鼻元へ向けた。思わず()いだ沁泉は「はぁぁぅん」と官能小説の台詞のような声を出し、切れ長の目が(とろ)けて下がる。よろけそうな沁泉の(あご)を二本の指でクイとつまんで、薫鳳は迫る。



「あんたは毎回俺に突っかかってくるが、本音では俺の香りが気になって仕方ないんだろ? 何なら、試しに俺に一晩抱か……」


「け、(けが)らわしい」



 正気に返った沁泉は顎を払って手から逃れ、嫌悪の表情を見せた。どさくさに紛れて、玻璃も薫鳳の尻に蹴りを入れている。


 だが薫鳳は動じることなく、沁泉の手を取るとその(てのひら)の中に先ほどの小さな香水容器を滑り込ませて(つか)ませた。



「こ……、皇太后様のご期待に……応えなさいよ……」



 沁泉は顔を赤らめながらその容器を服の袖にしまい、強がってつぶやく。一連の光景を見て、玻璃は急激に沁泉に失望する。麻薬取引の現場を目撃した時のような気分だ。麻薬取引の現場を目撃したことはないけれど。



「それに訓どの……」



 甄沁泉が絞り出すような声で呟く。赤らんだ顔は思い詰めたような表情となり、涙が浮かんできそうだ。



「彼女たちは大事な後輩だったのです……。真相を知りたいの」


「ああ、全力は尽くす」



 無念そうな顔をしている甄沁泉の肩を、薫鳳は優しく(さす)って答えた。玻璃は薫鳳への女性への優しさに一瞬感心しそうになるが、よく見ると先ほどの小さな香水容器を二本三本とこそこそ手渡していて、全く美しく見えない。


 甄沁泉はそそくさと紅玉の間へと駆け足で戻っていった。玲花(れいか)小雅(しょうが)は「沁泉様ってツンデレだよね」「あれは薫鳳様と何回か寝てそう」とコソコソ(ささや)きあっている。


 玻璃はわけが分からず混乱してしまい、調香室に戻るとその苛立(いらだ)ちを一点にぶつけるかのように、薫鳳の(えり)を強くつかんで怒鳴るように迫った。



「何なのよ! 真相がどうだとか、全力を尽くすとか。私にも分かるように、説明してよ!」



 いつもは玻璃の勢いに押され気味な薫鳳だが、この時は違った。


 額に青筋を立て眉を吊り上げた怒りの形相で、逆に玻璃の襟を掴んで引き寄せた。



「さっき皇太后様が全部説明してただろうがっ! おまえが心ここに()らずで聞き流してただけじゃねえかっ。おまえには二級匠官(しょうかん)の官位も手配して、紫喬(しきょう)に衣装まで用意してもらって、皇太后様に有能製瓶師として紹介するお膳立てをしてやってんのに、いきなり皇太后様の前でピョンピョン土下座体操繰り返しやがって。誰が高尚な香水の発表会で、珍獣雑技団の実演会を始めろって言ったんだよ。おまえはどれだけこの国の香水産業に打撃を与えようとしてんだ。二級匠官じゃなくて七級愚民という階級をおまえ一人のために新設しようか!? オレにまた説明しろと物申せる立場か! おまえは何様だ!? ああ!?」


「あ……はい、それはもう、おっしゃる通り……、(ワタクシ)はしがない七級愚民の製瓶師の子犬様でございます……」



 薫鳳の鼻先での激昂に、玻璃は先ほどの失態を思い出してしおしおと脱力していって、瞳は再び生気を失い、薫鳳が襟をつかむ力に軽々と揺り動かされている。


 背後で玲花と小雅のこそこそ話も聞こえる。



「薫鳳先生があんなに女性に怒るの、初めて見た……」


「いや、あれは女性というより人間の()(かた)として説教されていると思う」



 年下の子たちの冷ややかな声に、玻璃はいっそう薫鳳のマジギレ度合いを実感する。子どものような自由奔放の変態と思っていた淫乱調香師に、完璧主義の自分がここまで正論で叱られる日が来るとは思わなかった。


 死に体同然に(しお)れて泣き出しそうな玻璃の様子を見て、薫鳳は怒りを体内から出し切ったのか、一つ溜め息をついてポンポンと玻璃の頭を軽く叩くと、打ち合わせ用の長椅子に玻璃を座らせる。



「皇太后様からの話をもう一度言うから、よく聞け」



 薫鳳は向かいの椅子に腰を下ろすと、玻璃に順序よく説明を始めた。




(つづく)



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