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第十一話 紅玉の間


 朱雀宮(すざくきゅう)は北の男子禁制の後宮(こうきゅう)と南の外朝(がいちょう)を結ぶ役割を持つ唯一の宮殿である。


 巨大な宮殿内には数十人は入室できる謁見の間が複数あり、琥珀(こはく)の間、翡翠(ひすい)の間、柘榴(ざくろ)の間など宝石の名前がつけられ、それぞれ特徴的な雰囲気の内装を持つ。



 訓薫鳳(くんくんぽう)から新作香水完成の報せを知るたび、皇太后は朱雀宮に出ては発表会と称して薫鳳直々の製品説明を受ける。皇太后たる方が頻繁に後宮を出る行動を危険視する重臣も多いが、訓薫鳳は特級匠官(しょうかん)の高官位を持ち、またその香水が莫大な国益となっているため、誰も手出しができない。「文句を言うなら、それぐらい稼いでみろ」というわけだ。


 新作香水の発表会は、皇太后が特にお気に入りだという紅玉(こうぎょく)の間で行なわれる。同じ朱雀宮の中にある調香室からは徒歩で数分。いつもは皇宮から皇太后と侍女たちが四名ほど、そして薫鳳は調香室にいる四名の女性助手を連れていく。この参加者以外には、紅玉(こうぎょく)の間で香水発表会がどのように行われているのかを知る由もない。


 今日はそこに初めて、二級匠官になりたての(こう)玻璃(はり)も加わっている。本人はその参加をわずか数十分前に聞かされ、ようやく落ち着ける職場設計を終えたばかりというのに、人生史上最大の落ち着けない空間に放り込まれて顔面蒼白である。


 奥の豪勢な革張りの椅子には、卓抜した美貌を放つ皇太后が座る。その左右に二人ずつ御付きの侍女が立ち並ぶ。



薫鳳(くんぽう)もみんなも元気? 調香室での仕事は順調?」



 皇太后は威厳に満ちてはいるが、その口調は存外(した)しげである。御年(おんとし)は六十代と聞くが、見た目は五十歳前半かと思える麗しさ、声だけを聞けばその艶は四十代と言っても分からないと思えるほどだ。


 輝かしい真紅(しんく)の宮廷衣装に、まるで天女の羽衣(はごろも)のような()き通る紅絹(もみ)(まと)い、高潔に整えられた髪には紅玉や尖晶石(せんしょうせき)(かんざし)。特に赤色を愛していることが分かり、紅玉の間の内装と相まって、皇太后はまるで慈愛に満ちた女神のような温かい美しさに輝いていた。ただ一人、玻璃にはその鮮紅(せんこう)の雰囲気が血塗られた地獄の色にしか見えないが。


 玻璃ひとりがガチガチに硬直していて、玲花(れいか)小雅(しょうが)ら女性助手陣は畏まってはいるものの特に緊張もなく謁見を楽しんでいるように見える。


 玲花が明るい声で皇太后に申し上げる。



「玻璃さんが来て、調香室の中の動線をガラリと変えてくれたんですぅ。今日から、すっごく仕事がしやすくなりますぅ。玻璃さんはすごいんですぅ」



 玲花は屈託ない明るさで玻璃を紹介する。皇太后の視線が玻璃へと移り、目が合った瞬間に玻璃は視線を下に逸らして頭を深く下げた。



(ひぃぃぃ……)


「そうなのね。……紅玻璃。忘れていないわよ。あなたのこと」


「すっ……すみません、すみません!」



 縮み上がった玻璃が、いきなり膝を屈して土下(どげざ)座の体勢で額を床に(こす)りつけた。突然の行動に、薫鳳も助手たちも目を丸くする。



「立ちなさい、紅玻璃!」


「は、はい、皇太后様、お(ゆる)しください……ぃ」



 皇太后の叱責に、玻璃はバネ人形のように飛び上がって、再び礼の姿勢を取ってブルブルと小刻みに震えている。しかもあの訓薫鳳にこの体たらくを見せてしまっていることに絶大な屈辱を感じている。


 玻璃を心身から震え上がらせているのは、過去の恐怖体験が原因であった。玻璃が皇太后の御前に出るのは、これが三度目のことである。



 一度目は、帝国美術学院の入院式の時。


 そもそも帝国美術学院は、美と芸術を愛する皇太后の肝入りで開校した教育施設である。性別関係なく男女が学べるべきという皇太后の意向が大いに反映されているが、この国では芸術分野も旧来の男性優位の世界であり、女性の入試合格の前例は少数あれど、なかなか目立った成果は出なかった。そこに、開校以来初の女性の入試首位合格者が出る。それが紅玻璃であった。


 入院式では毎年、入試の首席が新入生代表として宣誓をするのが学院の(なら)わしである。女子が代表を務めるなど国立施設の威厳としてちょっとどうなのか、という意見が老齢の重臣や男性教授どもから強く()がったが、女性の有能さを信じ社会進出を願う皇太后の意を汲んで、成績順位どおりに紅玻璃が代表者に決定した。


 玻璃は幼少期から、女性が活躍する時代の可能性を発信し続けている皇太后の存在に大きな憧れがあった。帝国美術学院への挑戦も、入院式や卒院式で皇太后が出席するという話を聞いたからというのも大きな理由だ。しかも代表の宣誓で皇太后に自分の姿を見てもらえる。天に舞い上がる気持ちだった。


 ところが入院式では喜びより緊張に覆われた。玻璃は前に出て代表宣誓をした際に、「入院(にゅういん)式」を「乳輪(にゅうりん)式」と言い間違って男どもに失笑され、列に戻る際に緊張で足がもつれて入学生たちの列に頭から飛び込んで連鎖的に転倒させるという事故を起こした。祝辞で女性の奮闘の素晴らしさを説いた主賓の皇太后の面子は完全に丸潰れである。玻璃はこの悔しさを在学中に学問へとぶつけた。



 玻璃が二度目に皇太后に会ったのは、帝国美術学院の卒院式である。この時も創立者である皇太后は主賓として列席していた。


 卒院式では最終試験の首位の者が卒院生の代表として壇上で謝辞を述べるのが決まりだが、それもまた開講以来初の女性首席となっていた玻璃の出番となった。


 入院式の失態の悔しさをバネにして学問に打ち込み、最終試験も首席を取れたことは皇太后の女性への期待に応えた面目躍如(めんもくやくじょ)だと言え、玻璃も鼻高々であった。


 しかし玻璃は、この卒院式での代表謝辞でも「ご臨席(りんせき)の皆々様」を「ご臨終(りんじゅう)の皆々様」と言い間違って失笑され、列に戻る際に緊張で足がもつれて燭台(しょくだい)に頭から飛び込んで、火が移った卒院証書を媒介に広間が半焼するという大事故を起こした。完全に主賓の皇太后の顔を潰してしまった。


 結局、女性の卒院生は使いものにならないのではという噂が広まり、同期生の男子たちが続々と宮廷匠官や美術関連施設に就職していく中、玻璃にはどこからも声がかからず、仕方なく家業の硝子工房で働くしかなかった。


 完璧主義の玻璃が失態を犯すのは珍しい。その二回はどちらも憧れの皇太后に会えたことからの緊張が引き起こした失態だ。しかし三回目の今回は、もはやそんな憧れは恐怖と絶望に変わっていた。



(な、なんで私、勤務三日目でこんなことに……!)



 入院式と卒院式の忌まわしい記憶が脳裏を走り回り、今どうしてこんな状況になっているのか理解が追いつかず、玻璃は全く皇太后の話が耳に入ってこない。ただ打ち震えるばかりである。



「薫鳳」


「はい」


「いいわね。潰しなさい」


「分かりました」



 皇太后と薫鳳の会話の途中で我に返った玻璃は、話の流れも分からない。



(ヒィィィィッ! これヤバいやつだ。潰されちゃう……っ)



 玻璃はまた思わずいきなり跳躍土下座をかまして薫鳳たちを驚かせ、皇太后から「立ちなさい!」と叱責を受け、また飛び上がって最敬礼に戻る。まるで叱られた幼児のように萎縮し震える。実際叱られていた。


 謁見が終わる頃には、玻璃は百日間の断食の後のようにげっそりと衰弱していた。





(つづく)





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