第十話 衣装
「玻璃さん、おつかれー。お茶にしましょ。お菓子もあるよ」
溌剌とした少女二人が盆に急須と湯呑みを載せてきて、打ち合わせ用の長椅子で肘掛けにもたれてぐったりしている玻璃に声をかける。玻璃はその無邪気な好意を受け止めて、「ありがと」と礼を添えて座り直した。
この三日間、調香室内の配置換えを全力で主導した。他の部屋から手頃な調度品を譲り受け運び入れたり、祖父の硝子工房から余剰の瓶をたくさん持ち込んだり、徹底的に掃除したりして、調香室は見違えるほどに機能的な研究室として生まれ変わった。
室長の特級匠官である訓薫鳳は、女性助手たちに「紅玻璃の指示には必ず従うように」と厳命していたらしく、常在する主要の四人の助手はそれなりに手伝っていた。
その四人の女性のうち、いま目の前でお茶を入れてくれている乙女二人は玻璃に好意的で非常に協力的だったが、自分の作業机に座って手元で何やらやっている大人びた美女二人は、仕方なく手伝ってはいたが明らかに玻璃には敵意剥き出しの様子。両者とも自分と同じぐらいの年齢だろうが、いずれも無口で何を考えているのかは分からない。
座卓を挟んで向かいに座ってお茶に興じる二人は、確か名前を玲花と小雅と言った。どちらも自分より年下で、うら若い無邪気な笑顔。
「玲花と小雅は、今日は良い服着てるよね。どうしたの」
玻璃は共同作業で打ち解けてきた二人に訊く。初日と二日目は作業用の女官服だったが、今日の二人は前掛けの下はお洒落な旗袍だ。玲花がきょとんとした表情で返す。
「だって今日、皇太后さまにみんなでお会いする日でしょ。玻璃さんはまさかその格好で謁見しないよね」
玲花の言葉に、玻璃は口に流し込んだばかりのお茶を盛大に噴き出し、ゲホゲホ咽せる。玲花は慌てて濡れた座卓を布巾で拭き、小雅は玻璃に駆け寄って背中を摩る。
「玻璃さん大丈夫?」
「こ、皇太后さまに……? どこで?」
「どこって、この朱雀宮で。薫鳳先生の新作の香水をご覧いただくんでしょ。薫鳳先生から聞いてないの?」
「嘘……。あ……あの淫乱調香師、肝心なこと伝えてないで……。後で絶対殺す」
玻璃が歯軋りをしながら頭を沸騰させていると、調香室の入口の扉が開いて、聞き慣れた男性の美声が飛び込んでくる。
「よう、みんな。あと一刻で皇太后さまの……」
「このぉぉ、薫鳳ぉっ! いま殺そうかぁっ」
玻璃は口まわりの茶を手の甲で拭うと、薫鳳めがけて飛びかかった。薫鳳は玻璃が繰り出した右手の手首を反射的につかんで止める。
「お、玻璃。どうした。危ねえな」
「皇太后さまに会うなんて、そんな大事なことどうして私に伝えないのよっ。どんだけ嫌がらせするんだ、このタコ」
「敬語」
「皇太后さまにお会いするなんて、そんな大事なことどうして私にお伝えにならないのでございますかっ。壮絶な淫獣先生の嫌がらせでございますね、このナマコ」
「今伝えてるだろ」
「おふざけになるようでしたら、二、三回殺させてもらいましょうか、このウミウシ」
「うるせえな。早く彼女に着せてもらえよ、玻璃」
薫鳳は頭に血が上って語彙が混乱している玻璃の手を押し返すと、親指を立てて自分の背後をクイクイと指した。よく見ると、一人の女性が美しい色の服の束を抱えて薫鳳の後ろに立っている。長身で小顔の麗人だ。年は玻璃より五つほど上だろうか。その女性は玻璃と目が合うとニコッと笑った。
「あなたが玻璃ね。皇太后さまにお会いするための衣装を持って来たわ。寸法もちょうど良さそうね。さ、奥で着替えましょ」
女性は玻璃の両肩に手を置いてくるりと身を回すと、玻璃の背中を押して調香室の奥へと進んでいった。薫鳳への怒りが収まっていない玻璃は、つい語気荒めに訊いてしまう。
「あなた、誰ですか?」
「あたし? あたしは衣裳師の紫喬。これでも一級匠官」
「え、すみません、紫喬さま」
「紫喬さん、でいいよー。仲間みたいなものだから。調香室のみんなの衣装の面倒を見てあげてるの。もちろん、薫鳳先生のもね」
倉庫として使っている小部屋に入ると、紫喬と名乗った女性は鼻歌を唄いながら玻璃に一枚一枚衣装を合わせていく。いかにも仕事ができそうな感じの女性だ。玻璃は衣裳師という職種を知らず戸惑い、言われるがままに人形のように着せられていく。
「紫喬さんのようなお仕事の方も、調香室に関わり合いがあるんですね」
「関係大アリよ。今日のような場もあれば、大型商談の時にも服装で結果が左右するんだから。交渉事や商売には格好は超大事。薫鳳先生なんて、いつも装いがお洒落でしょ?」
「まあ、装いだけは」
「そうそう。薫鳳先生情報、欲しいひとー」
「いや、要らないですけど」
「いやいや、玻璃は絶対欲しがると思うなぁ。じゃあ一つお試しで。ちょっと耳貸して」
紫喬が嬉しそうに手招きするので、玻璃はそっと耳を寄せる。紫喬は手を添えてこそっと伝えた。
「薫鳳先生の装いのお洒落は、全部私のおかげなのよ。薫鳳先生ね、ああ見えて、普段の時は服装がクソダサい」
「ぷっ……!」
玻璃は予想外の情報で噴き出しそうになる。今後薫鳳をとっちめるための材料を得たようで、玻璃の顔に不敵な笑みが浮かんできた。玻璃はこの後、紫喬から薫鳳先生情報の続編をいろいろと手に入れることになる。
(つづく)




