メッセージボトル1・手紙
残業を終わらせて疲れた時、いつもとは違う遠回りな道で少し気分を変える。それが私のマイルールだ。
普段通りもしない暗い夜の田舎道を歩いていると、「無罪販売所」と書かれた旗と、やけに酒臭い木造の建築物があった。よくある無人販売所の間違いかと思いきや、しっかりと店員であろう人影がその中にいる。
無罪を売るというのはどういうことなのだろうか?もし仮に弁護士事務所だとしたらもっと町や都会に行ったほうが稼げるだろうに。そう思っていると販売している無罪のことが気になったので、中にいた小柄な青年に話しかけてみた。
私「すみません。ここでは何を売っているんですか?」
「ん? ここは無罪を売ってるよ」
私「えっと......弁護士とかを雇えるってことですか?」
「いやいや、むしろ逆です。何せ無罪を売っているんですから」
関わってはいけない人とあった。本能的にそう思った時、さらにこんな嫌な思考が頭をよぎる。「こういう時に限って相手は好戦的で逃がしてくれない......」と。実際、思っていた通りに相手はさらに畳みかけてきた。
「もしよければ買ってみませんか?無罪。例えば――」
さっきの軽いタメ口から一変、急に丁寧な口調で今売っている無罪を解説しだしたが......正直あの解説は全く思い出せない。今起きた不可解な状況を頭の中でじっくり考察することができたくらいには相手の解説が長く退屈だった。むしろその考察に熱中して覚えていなかったまである。
結局、一向に終わらないセールストークから早く逃げたいという思いで、長話を遮って衝動的に無罪を買ってしまった。
その時の私は長話によって思考を狂わされていたのだろう。逃げたいという思いを超えて無罪を買うことに少しだけ興味を持っていたことが物語っている。
今思えばこの時点で逃げることも可能であった。実際に最初はその判断をとろうとしていたし、走る体力もあったはずだ。ただ、なぜかその時はその選択肢を選ぶことに億劫になっていた。
一定のスピードで喋り、息継ぎをしている様子が一切見えないのにも関わらず、少し高いはずのこちらの目線を合わせ続け、長いセールスを延々としていたあの青年が人間らしく見えなかったからだろう。
話を遮ってまで買った無罪はたしか二千円前後。何か損した気分だが、買った時にあの青年から翌日には自宅に届いているはずだと言われ、損得感情がプラマイゼロに変わったのを感じた。
もうここに用もなくなったのでさっさと家に帰ることにした。しかし、帰ろうと帰路の方向に体を向けた瞬間にそれは起こった。
街灯のない暗い田舎道から、いつも仕事から帰るときに見ている景色に映り替わっていた。テレポートをしたかのように、私はいつのまにか遠くの田舎道から最寄り駅のホームにいたのだ。
この時の私は異常な出来事の連続により不安感が頂点に達していたであろう。帰ってからすぐにいつもの布団で寝ようとしても、直近の意味不明な不安は羊を数えるだけでは解決しない。
その日は先ほど飲んだ物が分からないまま、ただ目を閉じていることしか出来なかった。
翌日
少しけだるさが残った朝七時。いつものようにゴミ出しをしつつ郵便受けを確認していた時、ポストに見慣れない封筒が入っていた。
その封筒は見た目がネットで見た督促状ぐらいカラフルなのに、文字が一切書かれていない。意図も意味も分からない謎のデザインの封筒であった。
この時点で違和感を覚えたが、中に入っていた文書の内容はもはや恐怖に近い不信感を抱かせた。
『あなたに無罪横領罪の疑いがあります。三日後に近くの裁判所に出廷してください。その日に出廷されなかった場合、警察直々に家宅捜索を行います。 無罪販売所委員会』
要約するとこのような内容であったが、調べても無罪横領罪なんて罪は無いし委員会についても実在するものでは無かった。
空虚な罪と委員会に少しでも動揺してしまった自分がなんとも悔しく、恥ずかしかった......が、同時に昨日のあの男に対しての怒りが湧いてきた。
急に湧いてきた反抗期的な怒りがとった行動は、差し向けられた令状に対して無視を決め込むということであった。
もちろんこの行動による後悔なんてものはあるはずがない。むしろ清々しいぐらいであった。
――封筒が入っていた日から三日が経った午前九時ごろ、鳴っているインターフォンを確認したら、大きく屈強な体の警察が居た。きっと封筒の内容通りに家宅捜索のために来たのだろう。
本当に来るとは思わなかったため少々パニックになっていたが、ほんの数パーセント残っていた冷静さを使い、言葉巧みにこの場をやり過ごそうと考え付いた。
覚悟を決めてインターフォン越しに対話を試みようとしたその一瞬、泥にまみれた拡声器のような怒号が私の耳に攻撃してきた。
一分も耐えられず、半ば諦めの感情で玄関を開けることにした。ドアを開けた先には、響き渡った怒号の主であろう警察が仁王立ちで待ち構えていた。
こちらがほんの一声かける間もなく、警察は赤い謎のスプレーを私の顔に吹きかけて悶え苦しませた。そこからの記憶は一切脳みそに入っていない。おそらくそこで気絶していたのだろう。
いつのまにか横になっており、私のぼんやりとした目には見慣れない灰色の天井が映っていた。
意識がはっきりしてから気づいたが、私は牢屋にいるようだ。石の壁に覆われてドアや窓の代わりに鉄格子が使われているドラマでもよく見る牢屋だ。トイレやベッドはあっても時計や明るい日差しは一切ない。
しかし、この地の獄で目が覚めたばかりなのにも関わらず、冷静に分析ができているのは我ながら凄いと思う。その後もここがどこなのか。どうやってここに来たのか。あの罪と委員会は本当に存在しなかったのか。
脳内に溢れかえっている多くの疑問を自己解釈しながら、解決しようと自問自答を繰り返している。唯一今の状況でも解決できそうなことは、「無罪を買う」という行為に別の意味があるのだろうということ。ただ、それだけだった。
――そこから、徐々に時間の感覚が無くなっていき、自問自答の回数が減っていった......それは絶望ではなく、一つの希望のためである。
牢屋に入れられていくらかの時間が経ってから、朗らかそうな細身の看守が来るようになった。ただ、その看守は刑務所のルールに則っていないあり得ない行動をとっている。
本来誰かを贔屓して争いの種を生まないように看守は受刑者に対してタメ口で話すものである。しかし(確定していないが)受刑者であろう私にタメ口ではなく敬語で話しているのだ。さらに、私が要求した物を断りもせず持ってきたことも異常と言わざるを得ない。
記録をしたいと思いとてつもなく下手に紙とペンを要求したが、「少しお待ちください」と言った後、あまりにもあっさりとペンとノートを渡してきたのだ。
襲われる可能性もあるのに1人で来て、凶器になりえるペンがあるのにも関わらずだ。そのゆるさに驚きつつも感謝し、今この文を記録と私を探し出すための材料として書くことにした。
外部への連絡手段が全く無いこの牢屋から出るための最初の一歩はただ一つ。あのゆるい看守にこの文を託すことであった。
ここを出るためなら家族でも、友人でも、何なら赤の他人でもいい。何としても私に付きまとう「無い罪を買った」という謎の事実を塗り替えたいのだ。
その翌日......なのかは分からないがそれくらい時間が経ったはずだ。今から通りかかった看守を呼び止めようと思う。大丈夫......きっと大丈夫、今まで好きでもなかった自己暗示をかけてしまう。
覚悟を決めた後なのに、疲れなのか不安なのかなぜか、本当になぜか涙がぶわっと溢れ出てしまった。そうなってもしっかりと服で拭いこの文を託す。ここで終わらせないための希望のために―― 鯊原 秀




