フェッセンリック邸
ルネは生まれてからずっと、聖女としてフェッセンリック邸で隔離されていた。
お兄さんたちと話す機会はほとんどなく、お互い無関心に近いものがあったらしい。
今は両親ともシャルルエリ家に向かっているから、娘を嫌っていた父親も、遠ざけた母親も邸内にいない。
私も落ち着いて話をさせてもらって、シャルルエリ家の舞踏会に行きたいことを伝えられた。
お茶会の席に同席させてくれた兄は顰めっ面で難しい顔してるし、豊かな金髪の奥様もかなり戸惑っている。
「フルル様は人間と聞いています。
シャルルエリ家の舞踏会でも通用するようなダンスは、失礼ですが今から三日での習得は難しいかと……」
「お願い、一度だけでもやらせてほしいんだ。
みんながみんな難しいって言うんだけど、魔族のダンスってそもそもどれくらい難しいの?
結婚式でも確か舞踏会を開いてたけど、踊ってるってことしか見てなかったんだよね……一度見せてもらってもいい?」
「魔王妃たるフルル様の願いとあれば。私でよければお見せ致します。
アスト様、お相手を宜しいでしょうか」
「ああ、カトリーンはなんて優しい女性だろうか。
しかし僕には疑問がある。なぜ勇者のために踊らなくてはならない。
それも我が宅内への闖入者だぞ、魔王様に今すぐ突き返したいくらいだ……!」
ん?
「でもアストは、私を突き返してオルディアの不興も買いたくないんでしょ?
念話で伝えたらすぐ迎えにくると思うけど、オルディアが来ないってことは言ってないってことだ。
父親は軽んじてる魔王妃だけど、その分自分が恩を売れたらいいなーって思ってるところもあるよね、きっと。今後このコネが役立つかもしれないし」
「こっ、この女ぁああっ」
悪いけど、押せる相手には押し通させてもらう。
アストは勇者の豪胆さに歯噛みしてるけど、両腕を組んで怒りを抑えてる。理性が強そうだ。
妻のカトリーンは、私が人間でも真摯に対応してくれる。
悪魔貴族のお嬢様らしい優雅な雰囲気の彼女は、立ち上がって足先を示した。
「アスト様、魔王妃のお時間をこれ以上の議論で取らせるのは失礼です。どうぞお手を。
フルル様、魔族のダンスは特にステップが難しくなるため、足元にこそご注目ください」
「僕は踊らないぞ。父上にもその方が弁が立つ。
カトリーン、君が見せてやるだけでも十分だろう? 踊ってやればいい」
「……アスト様……」
豊かな金髪の中で青の瞳が、すう、と細められた。
頬に手を当てて小首を傾げた美人が、小さなため息を吐いている。
「フルル様にも、もはや我々の考えなど透けて見えているのはおわかりでしょう?
お父君を倒し、ご兄弟より先んじて家督を受け継ぐためにも、ご協力差し上げる方が賢明な判断かと存じます。
……魔王様がフルル様を人間の勇者と分かっていても、愛ゆえに妻として迎え入れた姿を見てきたばかりでは?
フェッセンリック卿を打倒するのに足がかりひとつない状況よりも、有効に使える義を残しておくことこそ最善となぜわからないのでしょう」
わあ、冷静だなぁ、カトリーン。
計算高さもあえて見せた彼女に再び歯噛みしたアストが、ついに立ち上がった。
妻を支えるように腕を回したアストに、カトリーンも体を寄せる。
「それでは参ります」
踊ってくれたけど。
……なるほど、なぜ魔族のダンスは難しいと言われるのか、目で見て、音で聞いて理解した。
上半身は優雅でありながら激しさも感じる、人間界でも見たことあるダンスだ。
でも足は、複雑な動きで幾重にも魔法陣を描いている。
魔族の歌と一緒で魔力をこめながら動いて、細かく、素早く、円と点と線を組み合わせていく。
音でステップの感覚も掴もうとしたけど……一曲分終わって二人が止まった時には、知らずに止めてた息が溢れてた。
「魔族って、全部難しくしないといけないの?
途中から音の間隔変わってたし、魔力の込め方もちょっとずつ違う……覚えること多いね……」
「生涯が長い魔族の楽しみのためです。
簡単ではつまりませんし、魔神もお認めにはなりませんから……」
アストとカトリーンが離れると、溜まった魔力が消えた。
ステップを踏んでいたカトリーンがうっとりと頬を染めて、自分を抱きしめてる。
「あぁ、邪神が、今、お喜びに……お褒めの言葉まで授かりました。
この高揚感も相まって、ダンスを覚えたくなるのです……神に抱かれているような、至福の時間が、まさに今、訪れています……っ」
邪神の祝福に身慄するカトリーンが、恍惚感を味わっている。
勇者として邪神に抱かれるのはやだなってちょっと思っちゃったけど、アストも満足したらしく、席に着くと新しい紅茶を運ばせて口にした。
「どうだ勇者。もはや人間の身で出来ないことは十二分に分かっただろう?
シャルルエリ家の舞踏会は、たったの三日後。
無駄な時間を使わせずにいてやった僕たちに恩義を感じながら去るといい、はっはっは!」
「……ねえカトリーン。一個ずつ教えてもらってもいい?
最初の足の動きが神語かな……チャイヤ遺跡に繰り返し書かれてた言葉と同じだったから、こうして……こう?」
私も見よう見まねだけど、立ち上がってつま先を滑らせ、踵で点を踏む。
線で文字を描いて、点で区切って、って動き始めると、カトリーンがしっかり監修してくれた。
「まあ、すごい。
そうです、まずは神へのご挨拶を描いて……」
「馬鹿な、人間がたった一度見ただけで理解しただと!?」
「この文字は遺跡で苦労した経験があるんだ。
重要な文字だと思ってたらただの『こんにちは』だったんだよね……悔しかったからよく覚えてる」
冒険の中で、神語はいくつか見たことがある。
解き明かすのに歴史書を読み込んだ記憶も引っ張り出しながら、カトリーンに次の動きも教えてもらった。
「アストには悪いけど、カトリーンと一緒に三日間付き合ってほしいな。
教え方がわかりやすくて助かるよ、これなら間に合いそう!」
魔法陣を描きながら踊り始める。
先生役の美女は頬をふんわり緩ませて、綺麗に口角を上げた。
「もちろんです。
是非ともフルル様に協力させていただきたいです」
悪魔貴族らしく目の奥が笑ってない。
私のこと、利用する気満々だね。
わかっていても私が手を取るしかないことを、カトリーンは理解している。
一癖ありそうだって感じる美女は青の瞳を緩ませて、それでも私に新たなステップを教えてくれた。




