あなたと過ごせる時間
ユミスは顔を覆って膝をついたまま、絨毯の上で震えている。
その背中を見ている私たちの前で、幾つも涙の粒がこぼれ落ちていく。
「スカイ・ルー……」
嗚咽しながら頷く彼が、どれだけお父さんたちを愛してくれていたのか、伝わってくる。
魔界に帰って、自分が出来る方法で勇者パーティを守ろうとした。
力が全ての魔界で、協力者の誰もいない世界で、それでもユミスは、人間に害をなすことはしなかった。
……お父さんたちは、スカイ・ルーが魔物だって語らないことで守ろうとしたんだ。
私たちがもう、空高く飛ぶ自由な龍を探さないように。
魔物だってことも何もかも、あえて言わなかった。
「スカイ・ルーの笛。
宝箱にしまって、ずっと大切にしてたよ」
お父さんの冒険の思い出だけは、いっぱい聞いている。
「スカイ・ルーは優しくて、力持ち。
きのみと果実が大好きで、気づいたら自分でご飯探して食べてる。
静かで、おとなしくて……神官様がお父さんにからかわれて膨れてると、同じものが好きだから分けてあげるんだ」
私も膝をついた。
たった一人で今もお父さんたちを守ろうとしてた龍の背中を撫でて、同じ人を思い出してた。
「お父さん、幸せだったよ。
お母さんと一緒に、毎日笑って。子供達に囲まれて。
笑ってない日、なかったもん」
自由で、強い元勇者。
嗚咽を隠して何度も頷くスカイ・ルーもきっと、思い出してる。
明るくて、大きな背中。
世界中の人を幸せにするため、旅を続けた元勇者を……私だって思い出しながら、堪えきれない涙をこぼしてた。
……その後、泣き顔を回復した私たちは舞踏会の会場に戻った。
ユミスとは後日お父さんの話をする約束をしたから、今はそれだけでも十分だ。
主催者らしくユミスが宴を盛り上げて、オルディアは主賓としての最後の挨拶も格好よく決めた。
拍手が溢れた舞踏会は無事終わって……私たちは夜更けの魔王城に帰り着いた。
「おかえりなさいっちゅ魔王様、勇者もご苦労だったっちゅ」
「ただいま、チュチュ。みんなも遅くまでありがとう」
「本日最後の一仕事を頼もうか。
着替え終わったらフルルは執務室へきてくれ。僕の方が早いだろうから、先に行っておく」
待機中の侍女に後を任せた魔王が出ていくと、髪を解いてドレスを脱がせて、みんながいつもの私に戻してくれた。
全部終わって冒険者服に戻ったから伸びをしてると、お針子ネズミのチュチュが赤薔薇のドレスを纏めながらそばに来た。こっそり声が聞こえる。
「勇者、魔王様の隣に立つ赤薔薇を見せてもらえて感謝しているっちゅ。
チュチュはお前を認めたっちゅ」
「えっ、ほんと!?」
そばにしゃがみ込んで目線を合わせると、小さな丸メガネをあげながらチュチュは頷いてる。
「お前は誰もが不可能だと思っていた舞踏会で踊って、魔王様への愛を示したっちゅからね。
呪いを解く協力もしてやるっちゅ。覚えておくといいっちゅ。
チュチュの神名は『衣の神エルヴィナー』っちゅ」
……神が名前を教えてくれるのは、特別なことなんだ。
私を『祈り』で呼び出してすら良い相手として認めてくれたんだって……どこか誇らしげなチュチュに、たまらず抱きついてた。
腕の中のお針子ネズミはお仕事中だから、そっぽを向いて鼻を鳴らしてる。
「ふん、魔王妃がいるだけでチュチュたちは仕事を終われないっちゅ。
ほら、話も終わったからとっとと出ていくっちゅ。迷惑っちゅ」
「えっごめん、気づかなかったっ。
それじゃみんな、オルディアと合流しに行くね。
今日は綺麗にしてくれてありがとう!」
頭を下げてくれた侍女たちを残して廊下に出ると、私は執務室に向かって走り始めた。
勇者の魂まで破壊するための魔神の同盟は、まだ続いてる。
それでもチュチュが認めてくれたことが幸せで、夜の風景を駆けながら胸の奥の温かさを感じてた。
残る魔神の手がかりは、厨房だ。
料理長も調べるって言ってくれてたし……明日には尋ねてみようかな。何か進展があるかもしれない。
考えていると、広い魔王城でもすぐに執務室まで到着した。
門番ゴーレムに扉を開けてもらったけど……一番奥のいつもの机に、オルディアがいる。
椅子に深く腰掛けた魔王は、副官さんと話してる。
だから扉の近くでいつもみたいに待機すると、オルディアに一礼した副官さんが書類を手にこちらに向かってきた。
「母からも羨まれました。今後とも努力してくださいね」
「えっ、母?」
すれ違いざまの言葉だったから聞き返したんだけど、それ以上の何も言わずに多分シィさんが出て行った。
事情を知ってそうなオルディアを見たんだけど、窓からの月を背景に笑ってる。
「シィたちの母君が会場にいたんだ。
僕がフルルと踊るのを見て、仕事中なのに念話が賑やかだったらしい」
「あ、そっか。悪魔貴族なんだから家ごと呼ばれてるよね。
副官さんたちのお母さんには気づかなかったな……見てみたかったかも」
「名の知れた大貴族で、多くの商店の取締役もしている。いずれ会う機会もあるはずだ。
僕への話は後日と言ったことを忠実に守ったから、近寄りはしなかった。気づかなかったのも無理はない」
これは魔王の覚えもよさそう。副官さんたちが優秀なのも頷けるね。
どんなお母さんか想像してると、椅子に腰掛けたオルディアが少しだけ机との間を空けた。
肘掛けに頬杖をついて、ポンポン、って膝を叩いてる。
「……シィに『どうぞごゆっくり』とでも言わせればよかったか?
僕の可愛い猫は控えめで、まだまだ慣れてくれないからな」
色っぽい目元と猫を呼ぶ仕草に気づいたら、近づくか迷っちゃう。
でも思い切って足を踏み出すと、オルディアの膝の上に乗った。
落ちないように腰を抱かれると、それだけでもちょっとドキドキする。
「慣れるまで言ってくれれば、ちゃんと来るようになるよ。勇者も学習する。
お仕事の邪魔するのは嫌なんだけど……今日はもう終わったの?」
「フルルが着替えるまでの間に報告を受けていただけだ。
僕も色々あって疲れたから、帰る」
「えっ、魔王も疲れるの!?」
「当然。……父さんの仲間が魔界にいたなんて、それもユミスだったなんて、思ってもいなかったからな。
色々思い出して疲れた気分だ……」
オルディアが私を抱き寄せる。
顔をギュッと胸に押しつけられたから、私も広い背中に腕を回した。
……そうだね、オルディアは何も言わなかっただけなんだ。
ユミスはオルディアが人間界の侵攻で、魔界にさらわれてきたことを知ってる。
だから幼馴染で同じ村にいたはずの勇者を見て、お父さんがもういないことも察した。
オルディアはユミスに政策の協力をしてもらっている以上、話すことも多かったはずだし……仲間だったって考えるだけで複雑なのかもしれない。
「……」
魔王軍に焼かれた村の光景は、私たちの記憶にいつまでも焼きついて残っている。
旅立ってからも勇者としての押しつぶされそうな苦しみや、泣き叫びたくなるような日々がたくさんあった。
オルディアも、きっと魔王として同じようにいろんなことを味わってきた……そう思える沈黙だった。
「……ね、オルディア」
「ん……?」
「過去に苦しいことはたくさんあったけど、私たちは乗り越えて、こうして出会えたね。
ユミスのこと、私よりもオルディアの方がずっとずっと知ってるから、色々考えちゃうと思うけど……私ね、今はお父さんの仲間に出会えた奇跡こそ喜びたいな」
辛い気持ちはもちろん、分かっている。
それでも私は、オルディアを見上げて明るく笑った。
「ユミスに神官様たちのお話、また聞けるね。
やったー、新たな冒険譚があるかもだよ!」
両手を広げて、誰より一番に笑って見せる。
そんな勇者に目を見張ったオルディアに、私からギュッと抱きついた。
「実はお父さんたちの仲間ってね、全世界回っても全員に会えてなかったんだよ。
知らない冒険の話が聞ければ、同じ場所を探すのもいいよね。
そうしたらオルディアとも一緒にお父さんたちの冒険を追体験できる。私たちの憧れを実現させられるねっ」
小さい頃のオルディアも、勇者イグリスの冒険譚を聞くたびに目をキラキラさせてた。
豪奢な装備が格好良かった魔王の両手を掴むと上下に振ったけど、舞踏会も今日、すっごくよかった。
「ダンスも最高に楽しかったな。
『闘争』なんてオルディアと戦えたし、理解して対応してくれるのがさすがだって思ったよ!」
疲れたって言うくらい落ち込んでた魔王は、今も苦しそうに銀の眉を顰めてる。
それでも勇者が笑ってると……オルディアも釣られたみたいに笑った。
「魔神に呪われて、今度は魂まで砕かれようというのに。
僕の勇者は強いな」
「えへへ、精神力の高さが売りだからねっ。
そうだ、オルディアがくれた情報で魔神が見つかったよ。呪いを解くのにも協力してくれるって。
衣の神なんだけど、名前まで教えてくれたんだ」
「衣の神?
……ああ、なるほど。だから僕にあれを渡したのか……ようやく謎が解けた気分だ」
「あれ?」
「フルルが着てくれただろう?。
ほら、神の加護がある『いやらしい下着』」
思わず魔王の唇を押さえた。
楽しそうに吹き出されたのが吐息とか体の揺れでもわかるけど、確かに来歴を聞いたことがある。『魔神に勝手に放り込まれていた』はずだ。
回想して真っ赤になった私の手をオルディアが外すと、指先に艶やかな唇が触れた。
「こうして、女性と睦む夜を彩るための品だ。
踊り子の服もそうだが……刺激的な衣装ばかりを放り込まれているな」
指の一本一本に、さっきまで触れてた柔らかい感触が温もりを残す。
くすぐったくて魔王から目が離せないでいると、色っぽく笑われた。
「魔神は己の楽しみのために動く。
城の従者なら、僕に感謝されたかったのか……確かめるためにも、フルルに着てもらおうか」
「まっままま待って、ときめかせるためにも安易に手を出しちゃダメなんじゃなかった!?」
「安易な気持ちでもないし、ときめかせるためでもないな。
……理由は、会場で伝えたはずだ」
私の頬に、オルディアが顔を寄せる。
魔王の熱い吐息が耳に触れて、思わず体が震えてた。
「今日は素晴らしい踊りで魔族に興奮と感動を与えた勇者に、責任をとって気を鎮めてもらう。
僕も魔族の一人……なら鎮め方は分かっているな、フルル」
耳元で囁かれて、目がまわる。
顎を引き寄せた魔王の唇が、重なって……甘く疼く胸の奥を感じながら、私も腕を回して受け入れた。
だって、恋した人だもん。
二人きりの今は、求めるキスにも応えて……聖剣のベルトを外してくるオルディアに、素直な気持ちで身を任せてた。




