ギルド
ギルドの二階。
一階の酒場からは、騒がしい声と、食器のぶつかる音が絶え間なく響いてくる。
立派な木のカウンター越しに受付嬢が微笑んでる。
そのあたりから、ほんのりといい匂いがした。
思わず深呼吸してしまう。
カウンター越しに立ち尽くし、つい袖口をいじりながら小狐に目を向ける。
小狐はちょこんと座って、周りをきょろきょろと見渡していた。
そのとき、カウンターの向こうから一枚の紙が差し出される。
「では、これを書いてくださいね」
ペンを手に取ると、指先がわずかに震えた。
まさか、こんなとこで来てまで書類書かされんのかよ。
「俺みたいなやつが、ギルド……ねぇ」
小さく息をついて顔を上げると、
受付嬢は、口元だけで軽く笑っている。
紙を見ると名前とスキル欄。意外と、あっさりしてんだな。
日本語でいいのか?てか、“夢野想馬”なんて書けるわけねえし。
ペンを握る手が妙に汗ばんでる。
「……やべ、紙まで湿ってんじゃん」
俺は一度、深呼吸してから“ソーマ”とだけ書いた。
スキル欄には「テイム」……嘘だけど、大丈夫か?
ちらっと小狐の方を見ると、耳をぺたんと伏せて、じっとこっちを見ていた。
「――ちょっと待ってな」
クソっ、もう言っちまったし、覚悟決めるしかねぇ。
そっとペンを握り直して、顔を上げる。
「最初って、ちょっとドキドキしますよね」
「えっ、はっ、はい。」
引きつる笑顔で紙を受付嬢に差し出す。
受付嬢は紙を受け取って、静かに頷いた。
「こちらの水晶に手を乗せてもらいます。すぐ終わりますからね」
水晶? そういうの触るの初めてなんだけど……
受付嬢はカウンター下の引き出しをごそごそと探る。
……カチャン。
そして、手のひらに乗せて出てきたのは――
野球ボールくらいの透明な水晶玉。
まじまじと見つめる。綺麗だなあ。
……って、俺は何を感動してんだよ。
こんな時に呑気すぎるだろ、バカか俺。
「これ、スキル確認用です。手をかざすと一発で分かるんですよ」
「……は?」
受付嬢が、笑顔のまま水晶を差し出す。
「二段階認証かよおおお!!」
受付嬢と小狐が揃ってビクッと肩を跳ねさせた。
ギルドの空気が一瞬だけ凍る。
ヤバイヤバイヤバイ!!!!
何やってんだ俺! なんでテイムとか書いちゃったんだよ!!
嘘つくんじゃなかった。まさか、こんなバレ方するなんて思ってなかったし!
……いや、小狐と一緒に村に入るために嘘をついたのがそもそも悪い。
やばい、ここで追い出されたら…泊まるとこも飯も全部アウトだろ……
嘘、よくない! バカバカ俺のバカ!!
焦るな。考えろ。突破口があるはずだ!
手のひらに汗が滲む。喉が渇く。
だめだ、何か手を打たなきゃ。
その時、ふと視線を落とすと――
子狐を見る。首を傾げてこっちを見上げてくる。
かわいい。いやでも今はそうじゃない!!
ダメだ、なんにも思い浮かばねえ。
あーもう……。
気づけば、手が勝手に――水晶に向かって伸びていく。
(やばい、止めなきゃ!)
そう思っても、指先はぴくりとも止まらない。
力が抜けていく。
もう、どうでもよくなってきた。
俺は絶望的になって、考えるのをやめた。
“流れ”に身を任せて
気がつけば、指先が水晶にそっと触れていた。
「これは……!?」
受付嬢が、これまで見たことないくらい驚いた顔をした。
俺の顔は、きっと真っ青になってる。
……沈黙。
「スキル、ちゃんとありますね~!」
パッと切り替わる営業スマイル。
「………」
それだけかよ!!!
びっくりしただろ!心臓止まるわ!!!
はぁ……肩から力が抜ける。
――もう、マジで嘘はつかない。たぶん。いや、もう絶対。
「では、これで登録完了です」
受付嬢が、いつもの調子で小さなカードを差し出した。
「はい、これがギルドカードです。発行手数料は最初の報酬から自動で引いときますんで、大丈夫ですよ」
その手数料、今さら出てくるのかよ……
俺はカードを受け取りながら、内心で小さくため息をつく。
「あ、あと、登録から一週間依頼ゼロだと消えちゃうんで、それだけ注意しといてください」
彼女は髪を耳にかけ直しながら、淡々と続ける。
「依頼は、そちらの掲示板に貼り出されています。内容はご自身でご確認ください」
受付嬢は書類を片付けながら、すでに次の仕事モードだ。
「あの、水場とか治療所なんかはありますか?」
「水場でしたら、ギルドの裏手に共用の井戸があります。治療はスキル持ちの方に頼めますが、有料です」
さっきまで普通に話してたのに、急に冷めた声。
……これがツンデレってやつ?いや、絶対違うな。
「じゃあ、井戸に行ってみます。ありがとうございました」
受付嬢にお辞儀をして、子狐を抱えようとした――そのとき。
「おい!」
俺のすぐ後ろから、野太い声が響いてきた。
一瞬、心臓が跳ね上がる。
……
「おい!! てめえだ、魔物使いのクソ野郎!!」
きた。そういうやつ。うんうん、異世界のお約束イベントですね。
はいはい、俺がターゲットだよね。わかってた、こうなるって。
「ふざけんなよ……誰に断って魔物なんか連れ込んでやがる!」
ドンッ――!
突然、背中に強い衝撃。
バランスを崩して、そのまま前のめりに倒れ込む。
「いってえええ……!」
手と膝をついて、思わず呻いた。
周りからクスクスと笑い声が聞こえる。
ギルドの中の空気が一気に凍った。
恐る恐る顔を上げると、
肩幅ゴツい男が二人、こっちを見下ろしている。
一人は泥だらけの鉄の鎧。
もう一人は、背中の大剣を片手でガシッと持ってる。
どっちも目つきが悪くて、鼻の穴までふくらませてる。
「この村で勝手なマネしてんじゃねぇぞ。ぶっ殺されてぇのか?」
片方の男が、首をゴリゴリ回して、バキッと指を鳴らす。
ちくしょう、ふざけんじゃねえよ。理不尽すぎんだろ、こんなの。
「うるせぇよ!俺にだって事情があんだよ!!」
声は震えてた。
それでも拳を床に叩きつけた。
男がニヤリと口角を歪めた。
足音を立てて、一歩、また一歩……俺に近づいてくる。
「はあ? 口答えしてんじゃねぇぞ、ゴミが」
男が俺を睨みつけ、鼻で笑う。
「その態度、すぐ直さねぇと、痛い目見るぜ?」
背中に冷たい汗が流れる。
男は、腰に下げていた剣を、ギラリと音を立てて抜いた。
ちょっ……マジかよ、本気で来る気か――!?
剣の冷たい光。
一瞬で、今までの“異世界ごっこ”は終わった。
足も手も、思い通りに動かない。自分でも分かるほど、体が震えていた。
そんな俺を見て、男の仲間がクスクスと笑う。
「なぁおい、泣きそうな顔してんぞコイツ!」
「へっ、腰抜けの魔物使いだな」
笑い声が、周りからじわじわと広がる。
頬が熱くて、視線が泳ぐ。
――そのとき。
小狐が、俺の前に飛び出してきた。
「コンッ!!」
一歩前に出たその瞬間、足がカタカタと小刻みに震えているのが見えた。
それでも、金色の瞳だけはまっすぐに男を睨んでる。
小狐がぴょこっと後ろを振り返る。
尻尾が少し下がって、耳もぺたんと倒れている。
その目は「本当は怖いよ」って言ってるみたいだった。
でもすぐに、また前を向く。
牙をむき、毛を逆立てて、体を大きく見せようとしている。
俺は思わず息を呑む。
……なんだよ、お前、
こんなに小さいのに――俺を、守ろうとしてくれてんのか。
「なあ、お前、魔物がどうなるか分かってんのか?」
男が、剣をゆっくり振り上げた。
思わず、目を見開いた。
景色が一瞬、スローモーションになる。
――やめろ。やめてくれ――
声が出ない。体が固まって、動けない。
その時――
小狐の体が、ほんの一瞬、ふわっと淡く光った気がした。
え……?
空気がピリッと変わる。その瞬間――
「やめなさい! またトラブルを起こす気ですか!」
受付嬢の鋭い声が、ギルド中にビシッと響いた。
男は剣を構えたまま、俺たちの前でぴたりと動きを止めた。
男がふいに視線を逸らす。
その刹那、ハッとし、俺の体はもう動いていた。
小狐をグッと引き寄せる。
「チッ……嬢ちゃんには関係ねぇだろ」
男は睨みつけながらも、剣が揺れる。
その一瞬を見逃さず、俺は小狐を抱えてギルドの扉へと駆け出した。
「あれ見ろよ、逃げてる逃げてる!」
「おーい、お母さんに泣きつけよ!」
「ビビリはギルドにいらねえぞー」
ギルドの野次、笑い声、冷たい視線――全部が背中に突き刺さる。
うるせぇ。泣くかよ。
……でも情けねぇ。悔しい。ムカつく。
小狐がギュッと俺の腕にしがみつく。
息を切らして扉に手をかけた、ちょうどそのとき――
2階から駆け下りる足音がした。
「……ちょっと……!」
受付嬢の声が、ギルドのざわめきにかき消される。
俺は立ち止まらず、外へ飛び出した。
それからのことは、あまり覚えてない。
途中、誰かとすれ違った気もするし、声をかけられたような気もする。
でも、耳には何も残っていなかった。
ただ、腕の中に残った小さな温もりだけは、ずっと消えなかった。
いつの間にか、日は傾きかけていた。
オレンジ色の光が、地面に長く影を伸ばしてる。
村の家々も、静かに影に飲まれ始めたみたいだ。
どこかの家の戸が、ギィ…とゆっくり開いてまた閉じる。
ふと我に返ると、広場の真ん中に立ち尽くしていた。
はあ、はあ……
肩が小さく上下して、うまく息が整わない。
足も震えて、言葉にならない声が漏れた。
くそっ、なんで、俺は何もできねえんだ。
金も寝床もない。小狐も守れない。もう、何やってんだよ俺。
立ってるのもしんどい。とりあえず、座りたい。
ぼんやりと周りを見渡すと、広場には誰もいなかった。
視界の端に、木製のベンチが見えた。
なんにも考えず、ふらふらとベンチへ歩いて、
そのまま、力なく腰を下ろす。
膝が笑って、座るだけで精一杯だった。
腕の中で、小狐がぺろぺろと俺の手を舐める。
「……守ってくれたんだな。ありがとな」
そう言いながら、肩がガクッと落ちる。
小狐はじっと俺の顔を見上げてくる。
金色の瞳が「大丈夫?」って聞いてるみたいだ。
「俺のほうが、お前に助けられてばっかだな」
そう呟いて、小狐の頭をそっと撫でる。
ぴくっとしっぽが揺れた。
ポケットに手を突っ込む。いつものクセでスマホを取り出す。
画面に視線を落とす。どうせ、何も繋がらないくせに――
なんで、こんな時にまで、昔のメッセージを探すんだよ。
今はもう、全部文字化け。
どれだけスクロールしても、意味不明な記号しか出てこない。
画面を戻すと、目に入るのはテーマパークのアイコン。
“笑顔を増やせ!”って……今の俺にそんな余裕、どこにあんだよ。
ブランコ一つで、何ができんだよ、この状況でさ。
はあ、と小さくため息が漏れる。
がっくりと肩を落としたとき、自分の足が目に入った。
裸足で歩き回ったせいで、足は血がついてる。
枝や石に引っかかった無数の切り傷。
見るだけで痛々しいけど、正直もう感覚も麻痺していた。
こんなの、俺が想像してた異世界じゃねぇ。
何もかも嫌になって、力が抜けた。
耳に入るのは自分の呼吸と、木の葉が揺れる音だけ。
まるで、世界に俺と小狐しかいないみたいだ。
ベンチの下を小さな虫が、カサカサと走っていく。
こんな時でも、虫は普通に生きてんだな。
ぼんやり、それだけを見ていた、その時――
コツ、コツ……。
足音?
誰かの気配なんて、気のせいだと思った。
でも、だんだん砂を踏む音が大きくなってくる。
――影が足元に落ちた。
「お兄ちゃん?」
懐かしい声が、すぐ耳元で聞こえる。
……え?
顔を上げると、そこには――
小さな女の子が、心配そうに俺を見下ろしていた。
ワンピースはヨレてて、髪もボサボサ。
花を握る手は泥だらけ。
でも、その全部が――なんか、すげえ懐かしく見えた。
俺も昔、こうやって道端の花とか拾ってたっけ。
「どうしたの? 困ってるの?」
その声を聞いた瞬間、一瞬だけ心臓が跳ねた。
(……美咲?)
思わず固まる。
今の声――どこか美咲に似ていた。
でも、目の前の少女をよく見ると、やっぱり違う。
目元も、雰囲気も、別人だ。
けど、どこかで見たような、懐かしい感じがする。
この村で、初めて“誰かに呼ばれた”気がした。
ゆっくりと、俺は息を吐いた。
その瞬間、胸の奥がほんの少し温かくなった。




