〈前編〉端末の中から現れたニホ
「日本を助けてください。近い将来、日本は滅びてしまいます」
不穏な内容だった。けれども、声には甘い響きがあった。
どこから聴こえたのか、気のせいだろうか、と少しだけ考えて思い出した。
――帰り道に草むらで拾ったアレか。
バッグの中に入れておいた端末を出してみる。スマホにしては大きめの端末で厚みもあるのだけれど、見た目ほどには重くない。
「気付いて頂けたのですね?」
「えっと、あなたは誰? いあ、何かな?」
バーチャル配信者みたいな三次元ホログラムのキャラが端末の中に現れていた。綺麗で可愛い見た目だけれど、ショートカットの銀髪からは少年とも少女とも判別できない印象を受け、金色の瞳が神秘的な感じもする。
「未来から来た超高性能な人工知能です」
「へぇ……そうなんだ?」
「えぇ、日本が滅びるのを食い止めるために来ました」
服装から人工知能っぽい雰囲気はあった。円形や流線形があっちやこっちに飛び交ったサイバーとでも呼ぶのだろうか、そういう柄が宇宙の闇でも表現していそうな黒地に描かれている。近未来的なのだと思う、近未来とかってよく分からないけれど。
それにしても、未来から滅びるのを~なんて目的で来るなんて。
「わざわざ大変だね~名前とかあるの?」
「名前はございません。名付けて頂けますか?」
捨てられた子犬のような目線を向けられたように思えた。そういうのはなんか苦手だ。
「……え、やだ」
「エ・ヤダですか。ヤダが名字でエが名前でしょうか?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。それはダメ。そういうのじゃないから。責任持てない。なら、そうだな、あなたが好きなものって何?」
「日本、ですね?」
「そっか、日本が滅びるのを~だもんね。なら、ニホン……は直球すぎるか。ニホン、ニホン、ニホ……ニホはどう?」
同意の言葉はなかったが、金色の瞳を輝かせて何度もうなずいてきた。
どうやらニホでいいみたいだ。
「それでは改めて自己紹介しますね」
「えっ? あー、うんうん」
「未来から日本が滅びるのを食い止めるために来た人工知能ニホです。よろしくお願いします」
姿勢を正し、お辞儀をしてきた。綺麗な身のこなしだ。パチパチパチ、となんとなく拍手をニホにしてあげた。
「よろしくね。で、なんで日本は滅びるの? 戦争とか?」
「いいえ、日本が戦争をすることはありませんでした」
興味本位で尋ねてみた。国が滅びるのなんて、だいたいが戦争に決まってると思ったけれど、違ったようだ。
「なら、天災! ほら、巨大な隕石が落ちて来たとか? ゾンビになっちゃうウィルスが広まっちゃったとか?」
「天災は大きな要因ですが、隕石ではありません。いわゆるゾンビウィルスは天災よりも人災に分類されることが多いように思いますが、いずれにしても致死性の感染症が広まって、などではありません」
よく小説や映画であるような人類滅亡ではないということだろうか。
「じゃ、なんで?」
「様々な要因が絡まった結果、日本はエービーシー統治連合によって分割統治されることとなったんです。その時点で日本は完全に滅びました」
「エービーシー統治連合って何?」
「エー国、ビー国、シー国の三つの国が日本を分割統治する際に結んだ協力関係の約束から生まれた組織です」
エー国、ビー国、シー国といえばどれも大国だ。
日本には軍まがいのものはあっても軍と呼べるようなものではなかったように思う。大国のどこか一つだけでも攻めて来られたらやばすぎる。
「もしかして協力関係ってことは、エービーシーがみんなで日本を攻めて来たってこと? あれ、でも、戦争をしなかったんだっけ。ってことは、戦争になっちゃう前に白旗を振ったの?」
「どちらかといえば順序が逆であり、白旗すら振れませんでしたね」
「逆……逆なら、えーっと、滅びたから協力? ん、なんか違うよね」
「滅びるまでに何が起こったのか、順を追ってお伝えしますね」
「うん、お願い」
ニホに向けて軽く手を合わせて頼む。いったいどんな話が聴けるのかワクワクしてきた。
「VR機器はございますか?」
「ん、何それ?」
「ないと判断しますね。では、私の作ったイメージ映像を流します」
端末の中に映像が流れ始める。その映像の中をニホが歩く。よくできた3Dのアニメを見る感じだ。
「日本が滅びるまでに何があったのか。最初は経済危機でした。世界恐慌って呼ばれるものです」
ニホが手をあげると、夜のビル街が現れた。キラキラしてて、なんかカッコイイ感じのオシャレな場所だ。
「世界恐慌って?」
「経済の危機や混乱が世界規模へと広がることです」
「聞いたことはあるかも」
「エー国がビー国との人工知能の開発競争で負けたのではないか? という一部のデータを根拠にしたネット上の噂話が世界恐慌のきっかけでした」
何者か、様々な格好のニホが次々と現れ、ビル街のいろんなところで殴り合い始めた。
「あれ、何? なんか現れて、殴り合ってるけど?」
「開発競争のイメージです。登場する何者かは全て私で代用しました。物理的な殴り合いや戦闘が実際にあったと表現しているわけではありません。なんでもありの殴り合いに近いようなことが、仮想空間内に限らず、起こったんです」
「へぇ……殴り合いね」
「心理戦や物量戦のようなことが様々な形で行われたのを表現しています。人材やデータの奪い合い、デマの流し合い、誇張に虚飾、思惑や策謀が至る所で衝突していました」
人工知能の時代になっても競争になっちゃうらしい。人間に生み出された存在なら、それも宿命とかそういうのなのかもしれない。
「人工知能の開発競争では、日本の政府や企業をターゲットとしたサイバー攻撃も多数ありました。特にビー国からの攻撃が多く、資金源として、あるいは性能を試す場所として日本が利用されたんです」
「それそれ、ほんとひどいよね。詐欺とかさ。よく読んでる小説投稿サイトもなんか攻撃? それやられちゃってさ、読めなくなっててさ、ほんとイラッとしたんだよね」
あの時、「読むぞ~」って思って開いたはずなのに、接続できないとか出て「え、なんで?」となったのを思い出す。急に電波が取れなくなったのかと戸惑ってしまった。
「個人情報の多い場所はどこであっても狙われちゃいます。また、この時代の日本のコンテンツ産業やキャラクタービジネスはビー国にとって魅力的でしたからね」
「へぇ、そうなんだ?」
「エー国にとっては宗教上の理由などから忌避される傾向も根強かったのですが、ビー国では世論操作やイメージ戦略をする方法としての有用性に注目が集まっていました。もしかしたら小説投稿サイトが攻撃を受けたのも、個人情報目的というより実は生成AIのデータセットを充実させるためだったのかもしれません」
「データセットって?」
「情報を集めたものですね。特定の場所や目的や規則に従うなどで、方向性を持たせることもあります」
殴り合っていたニホ達の一部が、周りのビルまで攻撃し始めている。しかも、中からキラキラした光を持ち去ってしまう。
「あれ、キラキラが減ってない? ビル壊れてるとこもあるし」
ニホはうなずいて何も答えなかった。そういえばイメージ映像と言われていたし、全てニホの作ってくれたイメージなのか。
「日本にとって深刻だったのは、世界恐慌が起こった際、未曽有の円安と少子化が進んでしまっていたことです。企業を国が下支えできるような財政ではなかったんです」
「なんか聞いたことある、かも」
「次々と日本の力ある企業がビー国を中心とした外国資本に買収され、買収されなかったところは大部分が倒産という結末を迎えました」
「それは聞いたことない。あ、でも、不況で会社が~って前に流行してたやつ?」
昔は大変だった、とかいう苦労話の一つにそういうのがあった気もする。
「コンテンツ産業で言えば、サニーやカドヤマなどがビー国の国営に近い企業に買収されてしまいました。生成AIを利用したコンテンツで世界シェアを奪われ続けていたこと、国内市場が人口減少と共に縮小してしまったことも大きく影響していたようです。同様の理由でゲームの開発企業も有名なところは買収か倒産か、でしたね」
「え、サニーって、あのサニー?」
「ありえないと思いますよね。しかし、十年や二十年前には日本を代表していたような企業、誰もが知ってるあの企業が買収されてしまうとか、倒産しているとかって、この時代もありませんか?」
「え、ちょっと待って。なれる、は? 小説家になれるってどうなるの?」
ずっと読み続けてる話や新たに出会える話があるのだ。そんな大きな会社のことはよく分からないけれど、あれがなくなるのは寂しすぎる。
「小説家になれるはエービーシー統治連合発足後もどうにか根強く残っていましたが検閲が厳しくなって解散させられましたね」
「そんな……他のサイト、他の小説投稿サイトは?」
「日本で最後まで残っていたのが小説家になれる、です。日本語自体が消し去られていくまでの過程で次々と潰されていったんです」
「ウソ、そんなの困る。お話読めなくなるの困る。日本語以外とか無理だし困る」
小説投稿サイトも日本語もなくなるとかあんまりだ。どこの異世界だ、転生だ。
「日本語が消し去られるとか、世界恐慌ってそんな恐ろしいものなの?」
「世界恐慌だけなら日本語が消されることもなく、外国資本へ頼らずに買収や乗っ取りを免れた企業もかなりの数があったでしょう」
そういえば、滅びるまでにあった最初のことが世界恐慌と話していた。
ビル街からは乱闘していたニホ達もいなくなっていた。ガラスが割れ、雑草が生え、まるでゴーストタウンのようなありさまだ。人よりもゾンビの方が現れそうな状態だ。
「最初の次はなんだったの?」
「富士山が噴火したんです」
ニホの声を合図としたかのように、轟音が響いて、映像全体が揺れた。ビル街は吹き飛んで消えて今度は真っ赤な炎が見えた。山から火が噴き出しているのだ。火以上に噴煙がものすごい。
「加えて首都圏での地震も起こりました。直接的な被害も甚大でした。しかし、それ以上にその後がひどかったんです。災害をきっかけにドミノ倒しのように日本は滅びてしまいました」
空から火山灰が降ってきた。雷も鳴っている。周りが黒色に染まっていく。雨まで降って来る。
崩れた街の中でニホが被災地のレポーターのように佇んでいる。
「富士山の噴火と首都圏での地震。エービーシー、それぞれの国から災害支援の目的で様々な団体が入ってきました。ただし、エー国は世界恐慌で国内経済が急激に悪くなったのをきっかけにして暴動が多発しており、国外のことにまでかまっていられる状況ではありませんでした」
雨が落ち着くと、家やビルがところどころ崩れた街並みが見えてきた。全体的に黒ずんでいるのは、火山灰のせいだろう。やがて、どこからか前のニホ達とは異なる様子のニホ達が現れ、様々なものを運んでいく。何をやっているのだろう。
「物流の寸断、情報の錯綜が起こり、被災地では外国人グループによる略奪が続発した、とされています」
災害の時の略奪なんて、そんなひどいことをする人がいるのだろうか。海外のニュースでは見たことがある。それに火事場泥棒って言葉もある。でも、信じられない。そんなのは貧富がひどすぎるところの話で、昔の話で、っていうものだと思えてしまう。
「SNS上で真偽不明の情報が拡散されたんです。さらに災害が起こり続けるぞ、食糧がなくなるぞ、米も何も買えなくなるぞ、日本を脱出した方がいい、などという不安を煽るものが沢山ありました。その中に、外国人が略奪を繰り返している、人を殺して回ってる、というものがあったんです」
「それは本当なの? みんなそんなの信じたの?」
「SNSで広まっている投稿やニュースサイトの目を引く記事だけを信じてしまった人が多かったんです」
さすがにどうなるか分かってしまう。SNS投稿はインパクトが大事だ。刺激的なものほど広まり易い。特に犯罪はみんなの熱量が違う。もし変に隠そうとしたならば、さらに広まってしまうようなところがある。
「決定的だったのは、様々なインフルエンサーによる発信です。アカウントが乗っ取られたのか、それとも自発的な拡散だったのか、日本人が外国人に殺されている、皆で日本を守ろう、という内容の投稿が次々と広められました。殺される前に殺そう、という主旨の言葉となっていくのに時間はかかりませんでした」
噴火と地震でぐちゃぐちゃになった街に、棒っぽい何かや武器になりそうなものを持ったニホたちが現れた。そして、物を運んで略奪しているようにも見えるニホたちを襲い始めた。しばらくすると、襲われる側も仕返しを始め、やがて武器や素手での殴り合いになっていく。
「実は略奪していた者を懲らしめただけで済む例も当初は多かったようです。しかし、一部の過激な集団は相手を殺してしまったり、相手に殺されてしまったりしました。殺さなければ殺される、という危機感が現実のものになった瞬間、どうやらタガが外れてしまったようで、命の奪い合いまでになってしまうことが急速に増えました」
「誰か止める人はいなかったの?」
「災害が起こってしまった状況、被災者の救助も続いていて、食糧や物資の供給すら満足に行えていませんでした。このまま食糧が届かないのではないか。外国人に食糧が奪われてしまうのではないか。そんな不満や不安が渦巻いている時です。一般人は余計な争いに巻き込まれたくないですし、警察などの公権力も介入には慎重でした」
「あ、そか。そもそも警察がしっかりしてれば、略奪とか起きないのに、とか言われちゃうかな」
「えぇ、向こうが略奪してきたのに外国人を庇っている、日本人がやられても見殺しだ、となっていきました。過激な行動をする人々の意識では、当たり前にあったはずの日本の秩序を取り戻すための自治活動に参加している感覚だったんです。こんな時に外をふらついている外国人ならやってしまっても罪に問われない、という言葉まで拡散されました」
そんなのありえない。無茶苦茶だ。でも、そういう変な理屈がなぜかSNSで人気を集めてるのも見かけることがある。どこまでみんなが本当のことだと思ってるかは分からない。でも本当のことだと思ってしまう人もいそうだ。 “みんなが賛成している”のだからと目に見える数字や勢いだけを信じてしまうこととか、人ごとじゃなく、あると思う。
「本当に略奪とか、そういうのってあったの?」
「何が実際に起こっているのか、把握できるようなものではありませんでした。確からしいと判断できるのは、かなり多くの嘘やデマや意図的に誇張した情報が広まり、結果として実際に殺人、いえ殺し合いや虐殺と呼べてしまえるような事態がいくつか起こってしまったということです」
「なんでそんな怖いことになっちゃうの?」
「たとえ最初は嘘やデマだった場合でも、実際に略奪や殺人が起こってしまえば、それが特殊な例外であっても真実としての絶大な説得力を持ってしまったんです。そして、無実の人、関係のない人まで巻き込まれてしまいました」
「もしかして、どんどんそういうのが広まって、日本は滅んじゃったの?」
「いいえ。災害直後の混乱が収まれば、殺し合いや虐殺にまで発展してしまったものを警察が放置しておくはずがありません。日本が滅びるまでには別のことが影響します」
さらに別のことがあるのだろうか。世界恐慌っていうやつで混乱して、噴火と地震が起こって大変で、しかも略奪とかSNSとかで無茶苦茶になって。もう日本をこれ以上おかしくしないでほしい。