白い結婚は最愛の貴女の為
「お前の様な辛気臭い女が寝所にいるのは不愉快だ、私に近づくな」
寝室の扉が乱暴に開けられ、白い夜着を纏った今日結婚したばかりの花嫁マリールイーゼ王妃が、乱暴に突き飛ばされる様に出てきた、頬にはぶたれた様な赤い痕がある。
「お待ちください陛下、私はいやです、こんなのはいやです、ここにいさせてください、お願いです」
マリールイーゼは寝室に戻ろうとするが、夫であるエルマン国国王ルートヴィッヒは、彼女を蹴って押し出すと
「近づけば殴りたくなる、寄るな」
顔は怒りで赤くなり拳は震えている。
衛兵や侍女があわてて走り寄ってきた。
「この者をどこか私の目に入らぬ所へ連れて行け」
国王の言葉に逆らう事はできない、マリールイーゼの実家からついてきた侍女のアリスは、主人を抱きかかえる様にして寝室から遠ざけた。
「あの人の所に行かせて、お願いあの人の所へ」
頬が腫れ足を引きずりながらもマリールイーゼはそう言い、泣き崩れた。
「なぜ、こんな事をなさるのでしょう、マリールイーゼ様にはお優しい方でしたのに」
マリールイーゼとルートヴィッヒは幼い頃に婚約者となり、この結婚式まで親しく交流してきた。それに付き添ってきたアリスは、この夜に豹変したルートヴィッヒの態度が不思議だった。
マリールイーゼは泣くばかりで寝室で何があったのか話す事はなかった。
アリスは国王ルートヴィッヒが、今の王国の政情不安で精神的にまいっていて、妻にあたってしまうのかと考えたりした。
今この大陸の様々な国で市民革命という言葉が、嵐の様に吹き荒れていたからだ。まだ20歳のルートヴィッヒが国王になったのも、父母である国王夫妻の乗った馬車に爆弾を投げられ、命を奪われたからだ。
戴冠式も結婚式も最低限の式を行い、民衆に披露するなどできる雰囲気はなく寂しいものだった。
「ここは落ち着くまで陛下から離れられたほうがよろしいと思います」
アリスは傷の手当をしようとしたが、
「ルートヴィッヒ様ここを開けて下さい、開けて下さい」
マリールイーゼは扉の前でそう叫び続けるのだった。
その後もルートヴィッヒはマリールイーゼを寄せ付けなっかた。式典などで出席しなければならない時は並んだが、終わるやすぐに離れ近づこうとする王妃を、時には手を挙げて振り払った。
言葉の暴力もあった。
「お前がいるから気分が悪くなった」
「上手くいかないのはお前のせいだ」
「結婚などしたくはなかったんだ、親が決めたから仕方なく」
人前でもルートヴィッヒは容赦なく王妃に罵声を浴びせた。
王妃に対してだけでなく、臣下対してもルートヴィッヒは苛烈だった。
罪の有るなしを調べる事無く気に入らない貴族を処刑した。
家宝を無理矢理献上させて王宮に運びこませた。
革命の機運が高まるのは誰の目にも明らかだったが、ルートヴィッヒの政治は市民に敵対し、市民寄りと思われる官吏は投獄された。
遂に革命の蜂起が始まったのはマリールイーゼと結婚して1年が経った頃だ、何十万の民衆に王宮は囲まれ、兵士は守り切れないと次々と武器を手放し、狂ったような群衆が王宮になだれ込んだ。
ルートヴィッヒ王は、寝室で一人でいるのを見つかり引きずり出された。
マリールイーゼは王宮の一番奥の部屋にアリス達侍女と衛兵達に守られていて、群衆よりも先に革命の主要メンバーに発見されて捕獲されたが、乱暴に扱われる事はなかった。
国王夫妻の不仲、王による虐待は広く国民が知っていたので憎悪の的はルートヴィッヒ王で、王妃は残虐な王の被害者という意見もあった。
ルートヴィッヒは牢獄に入れられたが、マリールイーゼは侍女アリスと二人で監視付で修道院に入れられた、ルートヴィッヒの裁判次第でマリールイーゼの裁判もあるかもしれないと言われた。
処刑は決まっていたが裁判を公開して行い王家がいかに悪辣に国民を苦しめたか、貴族達が特権を使い民衆を虐げたか、ショーの様に裁判が開かれ、群衆が見つめる法定でルートヴィッヒは一方的に断罪された。
気に入らない、特に民衆側の貴族を処刑したり、財産をとり上げて国外追放にした。美術品を無理矢理取り上げて自分の物にした、しかもそれらは隠されていて、王宮を探しても見つからなかった。優秀な文官でも民衆よりと思った者は牢に入れられた、証人も出廷して糾弾の証言をする、そしてついに、王妃への虐待の罪が問われ、証人としてアリスが証言台に立った。
「国王の王妃様への仕打ちは本当に惨い物でございました。手を挙げられる時も、蹴られる時もありました。言葉はもっと惨く、傷つける言葉以外は聞いた事がないほどでした。けれども王妃様は王妃としての矜持で全ての仕打ちを我慢なさいました」
アリスはすらすらと証言した、結婚しても一度も寝所を共にしなかった事も言うと、場内はシンとした。アリスは最後にルートヴィッヒを見た、革命の日以来数か月ぶりだ、痩せて、打たれたようなあざもあり、囚人服を着ていたが、目の奥の光がアリスにはわかった。そして微かに微笑むのもわかった。
王妃への虐待はルートヴィッヒの沢山の罪の一つとなり、マリールイーゼは被害者になった。
ルートヴィッヒの処刑はこの革命最大の見せ場だった、衰弱して足を引きずる国王に石を投げ、嘲笑い、歓声の中ギロチンの刃が落とされた。
ショーが終わり日常が戻ってきた。
革命を興し民主主義国家になった国々の迷走はここから始まる。
王家が無くなり貴族を追い出して、民衆が豊かになるという結果にはならない。革命を先導したグループが新しい権力者になり、税金が安くなる事も、不正が無くなることもなかった。
治安は良くなく、貿易は止まり、経済活動は停滞する。
この大陸の各国が革命の後遺症に悩まされた。
エルマン共和国はその中で比較的うまく新政府が機能できた。収監されていた民衆側の役人にそのまま仕事を引き継がせたからだ。行政の仕事は上が変わっても下の仕事に変わりはない。新政府のリーダーも他国に比べて強欲ではなかった。元貴族階級でも早くから革命よりの態度を示していて、王家を裏切るようにして革命政府に取り入り、重要なポストに収まってから権力を使って私服を肥やす、そんな人間に各国の革命政府は悩まされたが、エルマン共和国の新政府には少なかった。
大陸の各国が革命の嵐の中戦争を始めたり、もう一度革命が起こったり、独裁者を選んでしまったりと混乱した。
世界大戦と言われた大きな戦争を経て、
民主主義国家が落ち着いてきたのは、エルマンの革命から30年たっていた。
エルマン共和国の30年記念行事が、王城に民衆が攻め入った8月17日の革命記念日に、中央広場で行われる事になり、その式典に初めてマリールイーゼ元王妃が出席する事になった。
マリールイーゼはこの30年修道院の中で過ごした。ルートヴィッヒ王の被害者としての立場から、市井に出ても良いと新政府から許可されたが、革命で命を散らした全ての人を弔いたいと修道院に残ったのだ。その傍らには侍女アリスもいて、二人は慎ましく暮らしていた。
革命記念式典に元王妃が出席するのは事情があった。
エルマンの新政府は革命の後他国よりも早い段階で他国に逃れたり、市井に紛れ込んでいた貴族を復帰させ、政界、財界に起用するようにしてその人的資源を国家経営に役立てていた。
そのおかげで、紛争に明け暮れた大陸の国の中で最も早く混乱から立ち直り、世界大戦を勝ち切り大陸最強の国になっていたのだ。
旧貴族階級の力は国民に広く理解されたので、貴族達の元主君への敬愛を無視する事はできない、他国から帰国したり、隠遁生活から出てきた貴族の多くがマリールイーゼの修道院を訪れていたからだ。
この式典を主催する、第5代大統領も伯爵家の出身だった。
30年ぶりに公の場に現れた最後の王妃の姿は、会場の人々の驚きで迎えられた。
マリールイーゼとルートヴィッヒの結婚式の写真は広く人々に知られていて、その時とあまり違わない美しさ、そして会場での佇まい、長い記念行事の間の美しい姿勢や時折の上品な笑顔に皆感心した。
「やはり王妃様だ」老人の中にはその姿を誇らしく見るものも多かった。
演説、パレード、色のついた花火、空を覆う風船、一日をかけた記念行事は終わった。
貴賓が去り、民衆が帰っていく中央広場に修道服のマリールイーゼの姿があった。
丁度そこは、30年前に王を処刑したギロチンのあった場所だった。
マリールイーゼは紙の束を持っていて、それを空に向ける様に放り投げていく、周りの人々はその紙を拾い上げてそこに書かれた文字を読もうとした時に
「最愛のルートヴィッヒ様、私は貴方の元へ参ります」
そうマリールイーゼは叫び、鮮血が散った。
細いナイフがマリールイーゼの首を切り裂いていた。近くの人があわてて助けようとしたが、ためらいなく自分で切り付けた傷は深く血は流れ続け、マリールイーゼはすぐに絶命した。
なぜ彼女はこんな事をしたのか、それはこの紙に書かれているのか、みなその書かれた文字を読んでいった。
ーーー私とルートヴィッヒ様が結婚式を済ませ、夜になり二人きりになった時、陛下は私を長い間抱きしめて下さいました。
「最愛のマリールイーゼ、貴女をどうすれば守る事ができるのか、考えに考え抜いてこの方法しかなかった。すまない、私との結婚が貴女をこんなにも危険にさらすことになるなんて、革命思想に酔った民衆がこんなに早く我々に近づきあのように残虐な行動をするなんて思い及ばなかった。」
陛下の涙が私の髪を顔を濡らしてゆきました
「私は貴女を愛さない、私は妻を蔑ろにする最低な男だ、そして民を虐げ、悪政をしき、国を亡ぼす暗愚な国王だ。それを演じて貴女とエルマン国を守ってみせる。私を信じてくれ、そして生き延びてくれ」
私は陛下の言葉の意味はわかりましたが、それに従う気持ちはありませんでした。私は陛下と共に滅びる事を、最後まで一緒に革命の炎の中で死ぬことを懇願しました。けれども陛下は私を突き放しました。ーーー
紙には全てマリールイーゼの直筆で、この文章が書かれ、そしてルートヴィッヒが行った民衆派の貴族の処刑が悪徳な腹積もりのある人物である事、美術品は革命の混乱による散逸を防ぐためで隠してある場所はどこであるか、官吏の大量収監も行政が革命後速やかに運営される為である事。
ルートヴィッヒがエルマン国の民の為に力を尽くしたと書かれていた。
次の日からマリールイーゼの書簡は、国のあちこちで見つかった。
革命記念日の翌日に届く様に郵便で、役所に、学校に、新聞社に、教会に、全てマリールイーゼの直筆で書かれた書簡が送り届けられたのだ。国中の人々がそれを読むことができたといっていいだろう。
その膨大な量は30年という時間をこの作業に使ったのがわかった。
この書簡を読んであの時代に感じていた違和感が腑に落ちた人もかなりいた。
新聞社の編集長ジャン・ダレスは30年前は駆け出しの記者だったが、貴族の腐敗をを調べていた。ルートヴィッヒが処した貴族も腐敗貴族なのに、あの時は革命派に取り入る動きをしていた、国王に処刑されたので革命後に英雄扱いされていたが、真実は違うと声をあげたかったが、革命政府ににらまれたくなくて口をつぐんでいた。自分も真実と向き合おうと決意した。
外務省次官のユーリ・スペンサーは、ルートヴィッヒに投獄された若き外務省官僚だった。ユーリは男爵家の出身でもあり、自分では王家派だと自負していたのに投獄され、やはり王は狂っていたのか、味方さえ分からなくなっている、と考え、王を恨み、革命後に職に復帰してからは国の為に全身全霊で働いた。その働きをルートヴィッヒ王は望んでいたのだと、外務省次官は理解した。
国立美術館の学芸部長マーサ・ハイデル女子は、他の国よりも散逸せずに革命を乗り越えた絵画、彫像、そして一番無くなりやすい宝飾品があるのを、ずっと不思議に思っていた。他の国は混乱の中で、焼失したり、私物化され闇のマーケットに流れ、数多くの国宝が失われたが、ルートヴィッヒ王の美術品の召し上げ、そして王宮の最深部での厳重な保管で、結果的に国宝を守った事になった。それが意図的なのだと、書簡を読んでわかり、また、未発見の美術品の保管場所の知らせに歓喜した。
第5代大統領アレクス・フォン・ハノーヴァーは、ルートヴィッヒ王のマリールイーゼ王妃への白い結婚などの仕打ちが、なぜ愛する人にそのような事をしなければならなかったのか理解できた。革命前夜の高位貴族社会は恐怖の中にあった。いつ暴徒に襲われるか、いつ暴動が起るか、そうなったら惨い私刑に遭うのが想像されていた。民衆の怒りが高位貴族に向けられ、監視されている様な状態になり、他国に逃れるのも、身分を隠して地方に隠れるのも難しかった。老人や親達は覚悟を決めた人も多かったが、せめて子供は逃したいと皆思い、密に脱出させようとしたが、見つかって私刑に遭う者も多かった。特に令嬢は標的にされた、底辺の生活など出来そうもなく金を持たせてしまうのが親心だが、それを知るからこそ見つけ出し金を奪い、身を売られた。アレクスの妹も行方不明になり、娼館で亡くなっていたのが確認された。恐れから自死した令嬢は何人もいた。顔を広く知られていたマリールイーゼに逃げ場はなかった。この私刑は革命政府の負の側面だった、この犯罪に加担した人々は今だ裁かれていない、革命は正義ではない、権力の移動なのだ、正義の元に行われた卑劣な犯罪は白日の下にさらされねばならない、それが自分の政治的使命だとハノーヴァー大統領は考えた。
ルートヴィッヒ王の墓は集団墓地の片隅の小さな石だった、けれどもそこはいつも掃除され、必ず花が供えられていた。
議会は満場一致で、そこから歴代王室の霊廟に移し、マリールイーゼと並んで埋葬する事を決めた。
マリールイーゼの葬儀も国葬ではなかったが、国中が喪に服す盛大なものになった。
侍女アリスは最後の奉公に、葬儀委員に一つの提案をし、それは受け入れられた。
革命後管理されていなかった王廟は美しくなり、訪れる人も増え、花も絶えなくなった。ルートヴィッヒとマリールイーゼの廟は特に人気があった。
二つ並ぶ墓のルートヴィッヒの方が空なのは、皆知らない。
ルートヴィッヒの骨はマリールイーゼの身体を包む様に一緒に収められている。
現世ではかなわなかった互いのぬくもりを、永遠に感じる為に。
終わり