第八話 オニア
私は必ずや魔術の高みへと至らなければならない。
今年卒業する姉もほぼ確実に首席での卒業となる。兄妹の末席たる私も魔術の高みへ至ることが出来たのなら、魔術界においてオニアの地位は盤石の物になる。私は何としてでもこの学園を首席で卒業しなければならない。
私は実りのある会話がしたかったと言うのに、久しぶりに会った姉は私に友人は出来たかどうかだとか、地元の皆は元気にしているかどうかとか、他愛もない会話ばかり振って来るではないか。私は差し迫る魔術教練大会の具体的な内容の話を聞きたいと言うのに、実利の無い無駄な話ばかりで正直うんざりだ。
私が立派にオニアの人間として相応しく振る舞っていることなど先の入学式を見て分かっただろうに、根掘り葉掘り色々な人間関係や家の者との友好について、とやかく言う事は無いではないか。姉のいる寮を訪ね、姉に言われるがまま姉の寮の応接室の様な小さな部屋で一緒に軽食をとっていたが、些か不快だ。
レックは姉の機関銃の様に繰り出される質問をどう切り抜けて、自分のしたい会話を切り出そうか思案していた。
「今年の新入生たち……お前の学友はどうかな?」と言った姉の大雑把な質問を問い返す様に
「どう? とはどう言う事ですか?」と、レックは言った。
「見込みのある子はいた?」と言って、シアはレックとは違う赤みのかかった瞳を光らせた。
「お前も混じり物とはいえオニアの眼を持っているんだ、勿論初日である程度見定めているんだろう?」と、シアは続けて言った。
混じり物。その言葉にレックは恐縮としてしまって、言葉を返せずにいた。少し沈んだ静かな空気が場を包んだ。開け放した窓から清かな春の夕風が部屋に吹き込んできていて、レックの気持ちとは裏腹な清かな空気を部屋の中へ招き込んでいる。静寂を切るように同席していた一人の女子生徒が口を挟んだ。
「シア、そんな言い方は無いわ。血の繋がった弟に対して少し言葉がきついよ」少し赤みのかかった髪を短く切り揃えている端正な少女が、シアを窘めた。少女はシンシアという名前でシアの付き人をしている三年生だ。
「……ええ、そうだね、少し言葉が悪かったね、ごめんよレック」と、シアが素直にレックに謝った。その姿はどこかしおらしく、レックも少し緊張が緩んで言葉を発する事が出来た。
「一人だけ見込みのある者がいました、魔力量だけで語ると兄様よりも多いと思います。対峙していると、まるで巨大な壁に迫られているかのような圧迫感を感じました」
「ヨウカ殿よりも大きな魔力か、それだけでも大きな戦力になるな」と、シンシアが言った。
「ええ、それだけでは無く、戦闘の身の熟しも新入生離れしているように見えました。恐らく実戦経験もかなり有り、相当場馴れしている様に見えました」と、レックが説明を付け足すように応えた。
「戦ったの?」と、シアがレックに聞いた。
「いいえ、私は戦っていません。彼が彼の連れの者と小競り合いしているところを見ました」
「……連れ? その人も相当な手練れじゃんないの?」
「いや、そいつは大した実力は無いように思えます。身の熟しは例の彼と同様に熟達者のそれでしたが、見える魔力は……おそらく新入生の誰よりも小さく見えました」
「……。レック、魔力が小さいといだけで相手を侮ってはいけないよ」
「ですが姉様、本当に驚く程にそいつは魔力を持っていませんでした、魔術を使えない人間と同じかそれ以下だったのですよ。聞けばそいつは師の推薦とやらで選抜試験を受けずに入学したらしいのです。何か姑息な手段を用いたに違いありませんよ」と、レックは少しむきになって言葉をまくし立てた。
「冷静になりなさい、いつからオニアの人間は非術師を蔑む様になったのですか。魔術が使えるからと言って我々に特別な利など無いのですよ、まずはそれをしっかりと理解しなさい。そして相手に対して偏見の目を持つべきでは無い、足を掬われますよ。レック殿、その高潔な魔眼はいつの間にか曇ったのでは無いですか?」と、シンシアが言った。
「レック、その例の見込みのある彼の名前は何と言うの?」と、シアがレックに訊ねた。
「薬師広平と言います」と、レックは短く答えた。語気が少し拗ねている子供の様だった。
「そう。名前からしてヤマト出身かしら? レック、あなたから見て薬師くんは相当な実力が有るように思ったのでしょう?」
「ええ、少し心中の読めない部分も多いのですが、胆力もあり、かなりの手練れの様に思えました」
「そうだよね、そしてもう一人のその連れの彼の名前は何と言うの?」と、言ったシアの問いにレックは何とか思い出す様な考える仕草をした後に
「確か……リュウと言ったかと思います。姓は無く、特別な家系と言う訳では無さそうで血統魔術の類も何も持ち合わせては無いかと思います」と、言った。
「それはあなたの私見でしょう。あまり家系だとか、血筋だとかに拘らない方が良いよ、この学園に入学する様な子達はかなり特殊な事情を抱えている子も多いからね、シンシアも言っていた通りに足を掬われるわよ。それに強者の傍にいる人間は殆どの場合弱者では無いよ、覚えておくと良い」
「……肝に銘じます」と、言葉に出しはしたが全然納得のいかない様な表情のレックであった。
……あのような虚弱な魔力しか持たない者が強者で有るものか、あいつの魔力は量も僅かで色も希薄、姉さんは血筋に拘るなと言うが、あのような脆弱な人間が我々の様な血統魔術の使い手に並び立とうと望むのならば、同じく何か強力な血統魔術を使えないと到底無理だろう。血統とは則ち家系だ、姓はそれを象徴し証明する物だ。それを持たない者はそれだけで持っている者に劣っているのだ。そう家では教育されてきたではないか……姉さんはオニアを否定するのか?
レックの心中はリュウへの訝しみと、姉への疑心がぐるぐると渦巻いて澱んでいた。
「レック殿、行き過ぎた優生思想は魔術師に相応しく無いよ。自分の身を自身の行いで滅ぼす前に改めるべきだ」と、シンシアがレックの心中を見据えたような事を言った。
「見上げた金言だな」と、レックは少しの皮肉を込めてシンシアに言った。彼女の方を見向きもせずに言ったものだから、誰の目にも彼の不機嫌は見て取れただろう。
それから暫く三人は無言で食事をしていた。物を噛む音まで響いていそうな音の無い時間だった。三人は食事を終えたあとも無言であった。