第七話 入寮
「リュウがまだ帰って来てない?」と、寮に戻った広平が寮長の教員に若干の憤りを言葉に滲ませて尋ねた。
「ああ、今日が正式な入寮日だから帰ってきた生徒たちを順番に部屋に案内しているが、リュウはまだ着いていないよ。一緒じゃなかったのかい? てっきり薬師と一緒だと思ったのだが、正式に部屋がそれぞれ割り当てられたんだ。二人部屋で君とリュウは別部屋だし……先に案内しようか?」と、短髪で筋肉質の大柄なヘイと言う名の寮長が広平に言った。広平もそれに頷いて先に部屋へ案内して貰うことにした。
二人は寮の入口の直ぐ側にある階段から二階へ上がった。そして広平は廊下をすらすらと奥の方へ歩くヘイの後ろについて歩いた。一番奥の角部屋の扉の前に着くと、ヘイ寮長はトントントンと三回戸を叩いた。すると、中から少し気怠げな返事が返ってきた。それを聞いてヘイ寮長は「入るぞ」と言って戸を開けた。部屋の中には眠たそうに目を虚ろにさせて床に自分の荷物を床に広げている男が居て、ドアを開けた二人を床から気怠そうに見上げていた。
「薬師が僕のルームメイトか」と、広平を見ながらその学生が言った。
「ああ、そうみたいだな」と、広平が答えた。
「そうだ。今日からお前たちは共にこの部屋で生活するんだ」と、言ってヘイは広平に鍵を一本渡した。
「鍵? 随分と古い鍵ですね」と、広平は素っ頓狂な声を出した。広平が苦い顔をするのも無理は無い。広平に手渡されたのは古い鉄製の棒鍵であった。錆びては居ないが随分と使い古されたのか、燻された様にくすんだ色をしていて、手に持つとずっしりと重みを感じる物であった。
「冗談ですか?」と、広平はヘイに尋ねた。
「冗談なもんか、それはこの部屋の鍵だ。お前たちが昨日まで仮住まいしていた大部屋は普段は客間だから錠は無かったが、この小部屋はお前たちの個人的な空間になるからな、鍵を掛けることが出来る。電子錠では無くて前時代的な金属の鍵だが、こちらの方がかえって信頼できるんだよ、寮の入り口は君達の学生証が電子鍵になっているから入口の端末にかざせば自動で開く。明日からは施錠するから、絶対に学生証は失くすんじゃないぞ。学生証はセンサーで個々人の魔力を識別しているから、自分の物でないと開錠出来ないから絶対に紛失しない様に」と、ヘイが得意げに言った。
「まあ、今話した内容が入寮説明になるから、細かいところは都度聞いてくれな。薬師の荷物はもう部屋の中に入れてあるから、整理し終わったら一度寮の入り口横の寮長室まで来てくれ」と、言ってヘイはその場を後にした。ヘイは去り際に
「バース。冷房の温度低すぎ」と、広平のルームメイトに忠告する様に言って、一階に降りていった。
「寒い?」と、バースは広平に聞いた。
「……少し」と、広平は答えた。
少しの沈黙の後、再びバースは荷物をごちゃごちゃと触り始めた。広平の目にみて、それは整理していると言うよりも、ただ言葉通り触っているだけに見えた。むしろ散らかしている様にも見えた。バースが、手を動かしながら広平に声を掛けた。
「薬師も荷物解けば?」と、言って自分の荷物を大雑把に退かして、ここですれば良いと言った様に部屋に空間を空けた。
「ああ、ありがとう」と、広平は短く返事をして、バースの荷物を踏んでしまわないように、忍び足を踏むように部屋の奥に歩いて行って、自分の荷物をバースの開けてくれた床の空間に広げた。
「え? それだけ?」広平の荷物を見たバースが目を丸くして、呟くように言った。
「ああ、着の身着のまま地元からここまで出て来たからな、そんなに多くの荷物はないよ」と、広平はその呟きに応えた。
広平の荷物はバースの荷物の半分も無い様な少量であった。
着替えが一着と、足袋と草鞋と手拭いに一振りの小刀、それと薬の調合器が一組あるだけだった。
「何だいそれは?」と、広平が広げた荷物を興味津々にまじまじと見ながらバースが言った。
「興味がある?」と、バースの大雑把な質問に広平は応えた。
「その綺麗な色の布切れと、その道具さ。それ魔法薬の調合器だろ? 僕の本家の屋敷の中で同じ物を見た事がある。そんな貴重な物持ち歩いているなんて、薬師、君も国では相当良い身分なんだろ?」
「そんな事無いさ、ただ、家柄的に薬の勉強を強いられているだけだよ。それにこれは簡易的な物であまり良い物では無い、魔力の取込効率も凄く悪いしね、出先でも薬の調合の練習が出来るようにって持ち出したんだよ」
「その奇麗な布切れは?」
「これは手拭い。俺とリュウの祖国の伝統的なタオルみたいな物だよ、国内の地方にそれぞれ数え切れないくらい多くの模様や柄の物が作られている。相当昔からの伝統らしいよ」と、広平はバースに見せるように両手に手拭いを持って話した。
「ふうん」と、バースは物欲しそうな視線を広平の手に掛かっている手拭いに向けていた。
「良かったら、あげようかこれ」と、広平はバースの方へ手拭いを差し出した。
「良いのか?」と、バースは瞳を輝かせた。バースの濃く深い青い虹彩が燦々とした潤った輝きを湛えていて、少し広平はぎょっとした。
「ああ、手拭いは余分に持って来ているし良いよ、気に入った柄を選ぶといい」と言って、バースは持ってきている手拭いを展示する様に、バースの目の前に並べた。バースは顎を人さし指と親指で挟んで、悩む素振りを見せた後に「これが良い!」と言って、籠目文の模様が入った手拭いを手に取った。広平は、刹那に少し躊躇うような顔色を見せたが、バースに快くそれを渡した。
「なあ、さっき寮長に呼び出されてなかった?」と、再び荷物の片付けを始めたバースが忙しなく手を動かしながら広平に尋ねた。もらった手拭いを余程気に入ったのだろう、頭に被って後ろで縛ってバンダナにしていた。
「リュウが帰って来てないみたいでな、多分その事だろうな」と、広平が話すと、バースは驚いた様に
「帰って来てないって? もう日が暮れちゃうよ!」と、少し狼狽えて見せた。
「ね、もう暗くなっちゃうね。まあ、あいつに限って、無事では無いという事は無いのだろうけど、何かしらの問題は有ったんだろうなあ」と言いながら広平も手を動かしている。バースは意外にも冷静な広平の態度に何故か安心感を覚えて、特に返事をするわけでも無く荷物整理に再び取り掛かった。
「じゃあ、ちょっと下に行ってくるな」と、荷物整理を一段落させた広平が相変わらず忙しなく手を動かしているバースに声をかけた。
「おう!」と、バースは短く返事をした。
バースが一階に降りると、寮の入口横にある寮長室の小窓に向かって話をしている人影があった。話相手は寮長室の中にいるであろうヘイだろうか、楽しげに談笑する声が聞こえてくる。
「おお、広平、帰っていたか。リュウが戻ってきていないんだって? 一緒じゃなかったのか?」と、広平に声をかけた大男は、ヘイと共に二人でこの寮を監督している大楠幹雄と言う男でその名に違わぬ筋骨隆々の凄みさえ感じる程に全身の筋肉が大きく発達している大男だった。ヘイもかなり筋肉の発達した肉体を誇っているが、この男はそれ以上に身体が大きく発達している。しかし、本人は能ある鷹は爪を隠すものだと言っていつもダボついた服装をしているから、実際よりも少し華奢に見える。
「皆、僕とリュウをセットみたいに思うのやめてもらえませんか」と、広平は少し嘲るように言った。
「いつも、一緒にいるじゃん」と、大楠が少し呆れた様な顔で言った。
「四六時中一緒にいないですよ、リュウとは午後に学園の方で別れたきりです。ヘイ先生、この様子だと、まだ帰って来てないんですね?」と、広平は大楠の体の向こうにいるであろうヘイに尋ねた。
「ああ、私はずっとここで寮に出入りする人を見ていたが、広平の後に来たのは大楠先生一人だけだったよ」
「ちょっと遅いですね」と、不機嫌そうな様子の広平。
「おいおい、俺越しに会話するな煩わしい」と、大楠が素っ頓狂な事を言うので
「君の身体がでかすぎるんだよ!」と、ヘイが間髪入れずに指摘した。
「そんな事ないだろうよ、俺はまだ華奢な方だろうよ」と、大楠が馬鹿な事を言うので広平が我慢できずに
「どの口が言ってんですか」と、大楠に言った。大楠はまさか広平からそんな事を言われるとは思っても無かったようで、少し間抜けな顔で佇んでいた。
「おいっ! 大楠固まるな!」と、ヘイが言うと、大楠は我に返って、思い出した様に話し始めた。
「そういえば、他の寮の生徒が、第三区画の大通りをバスに乗らずに歩いている生徒がいるって話してたぞ」
「それ多分リュウじゃないかな」と、どこか確信を得た様に呟く広平。
「お、今年第一号遭難者じゃないかな。結構長いよ、あの道」と、何故か楽しそうに言うヘイ。
「よし、皆で少し探しに行くか」と、大楠が言って
「少しね、森には入らないよ、危ないし。少し探して居なかったら本当に遭難扱いね」と、ヘイが続いて言った。
広平と大楠とヘイの三人が寮の外に出た瞬間に、三人の身体を強い風が吹き抜けていった。その風の勢いはかなりの強さであったから、三人は無意識に身体を強張らせて、踏ん張る様に腰を屈めた。
今日は風の強い日では無かった。それに今の風はどこか不自然に湿っぽく、広平はその風を不審に思った。他二人も同様である様だ。三人は目配せをした。
「今のは……」とヘイが呟く。
「ああ……」と、大楠がヘイの疑問を肯定するように頷いた。
「薬師、お前も分かったか?」と、大楠が広平に問うた。
「今のはただの風じゃない、魔力が混じっていた? それも、とてつもない大きな魔力を感じました」と広平は言った。ヘイと大楠はその言葉に頷き肯定した。
リュウ……どこで何をしている。と、広平の心の内に懸念が生まれた。広平には分かっていた。この魔力風の出どころはリュウであると。そして、ヘイと大楠の心中にも薄々と広平の心中と同様の疑念が広がっていたが、二人はこの学園の教師であるから、この巨大な魔力の中心に今日入学式を終えたばかりの新入生が居ると言う事を平に認められないのである。二人はこれまでにも所謂格が違う高みへ登った生徒たちを何人も見てきたが、今彼ら自ら感じた魔力風は、その格上の生徒達の誰よりも重く大きなものであった。そもそも魔力風を起こせる程の魔力量を持つ新入生に出会った事が無い二人であったから、只今感じた膨大な魔力を普段髪の毛程のか細い魔力しか感じられないリュウの物であると心情が認めなかったのである。むしろ、リュウがこの魔力の出処たる何かの事件に巻き込まれたのでは無いかと心配していた。
ヘイと大楠は魔力風を起こすほどの大きな魔力に若干慄いていたが、ともかくリュウを探しに第三区画の主要道路まで行ってみようという事になり、三人は足早に寮を出て魔力風が吹いてきた方向へと走り出した。