第五話 空中戦
どう動く? リュウは切先をタツに向けながら考えていた。あの構えは? あいつは素手で戦うのか? いや、あの構えは偽装で魔弾の様な何か魔術的な遠距離攻撃を仕掛けてくるのではないか? 俺が今手に持っている刀の間合いでは、踏み込んで距離を詰めなければ俺の攻撃は届かない。だがタツの手の内がわからない間は迂闊に間合いを詰めるべきでは無いな。どうする、タツはどう動く。
リュウは色々な思考を馳せながら、足で地面を擦るようにじりじりと、僅かに間合いを詰めるようにタツの方へ身体を寄せていく。
……リュウの持っている刀。妙ね。魔力を帯びる訳でもなく、何かしらの術式が付与されている気配も無い。本当にただの刀なの? それとも何か特別な力を持った刀なの? 杖が刀に変化した? 杖になる前は編込みの腕輪だった。形状が変化する武器を使う相手とは今までも何度か戦った事がある。今は刀の形をしているけれども、また何か別の形状をとる可能性も多いにあるわね。慎重に、と行きたいところだけれども、まどろっこしいのはあまり好きじゃ無いのよね。何か別の手を打たす暇さえ与えない。今の私の最速の攻撃で一撃で決着させてやる!
意を決して先に仕掛けたのはタツだった。
タツは何の素振りも見せず、静かながらも力強く一足飛びにリュウの懐まで飛び込んで来た。拳の届く間合いで急停止すると、踏み込んだ右足に体の重みを惜しみなく乗せて、そのまま腰の回転とともにリュウの顎目掛けて拳を振り上げた。全て一拍の内に行われた流れるように美しく強力な一撃だった。しかし、リュウは既の所で刀身を翻しその一撃を刀で受けた。タツの拳の直撃は免れたものの、勢い殺せずに上後方に高く身体を飛ばされてしまった。
タツは空中で姿勢を崩したリュウのさらに上空へ飛び上がった。タツはリュウの身体の少し上で翻り、空を抱く様に仰向けに落下を始めたリュウの腹に目掛けて踵落としを蹴り込んだ。この一蹴りはリュウも防ぎ切れずに諸にその身に受けてしまい、リュウの身体は激しく地面に叩きつけられた。地面は蜘蛛の巣状に窪むほどに割れ、辺には砂埃が霧の様に立ち込めていた。
タツは着地して、遠目に舞い上がった霧の中心を警戒するように凝視していた。確かにタツの蹴りはリュウの懐に当たりはしたが、タツの踵に残ったのは妙な感覚だった。何かとても柔らかい物に衝撃をまるごと吸収された様な手応えの無さをタツは踵に感じていた。
タツの警戒心は杞憂では無かった。霧のように舞った砂埃を一気に取り払うようなリュウの鋭い突きが砂埃の中から目に捉える事の難しい勢いで飛び出て来た。タツは一瞬呆気にとられたが、背を反らすように身を捩り既の所でこれを回避した。突きを避けられたリュウは直ぐ様に前方への突進を急停止させて体勢を直し、瞬時に躱したタツの身体に向かって刃を向け、刀を振るった。しかし、その一薙ぎもタツは鋭い体捌きで華麗に避けて見せた。
二人共にお互いから飛び退く様に距離を取って、再び静かに対峙した。舞った砂埃も落着いて視界も効く様になってきた。
「驚いたわ。あの一撃、直撃したと思ったのに全然手応えが無いんだもの」タツはリュウの腹への踵落としの事を言っている。
「まさか、魔力の塊を盾にするなんてねえ。リュウ、それは常人の芸当では無いわよ。そして塵埃の中からの見えない反撃の突き、見事だわ」と、若干からかう様な口調でタツは言った。
「昔、魔術の先生に教わったんだ。触れただけでわかるのか」と、リュウはタツとは打って変わって油断ならぬ厳しい表情で言った。
「魔力が質量を持つほどに濃く集めたのね、そんな事が出来る人を相手にするのはあなたで二人目よ……昔ね私はそいつに負けたのよ、だからリュウ、お姉さんちょっとだけ本気を出させて貰うわね」と、言って、後ろに髪を結っている朱色の元結を解いて、手で器用に纏めるように結んで、学生服の胸ポケットにしまった。
タツが元結を胸ポケットにしまい込んだ瞬間に、リュウはタツの身体の内から溢れる魔力が途轍もなく膨れ上がるのを感じ取って、警戒する様に後ろに大きく飛び退き刀を構え直した。その姿は少し怯えている様にも見えた。
「あなた、まさか魔力が見えているの?」と、タツは静かにリュウに尋ねた。驚いた様な素振りを見せつつもこれまでの柔らかく人懐っこい雰囲気は微塵も感じられない口調であった。リュウはタツの問いに言葉を出さずに首を横に振って応えた。
「そう……見えはせずとも感じているのね、この髪を結んでいた紐ね、私の縛りなのよ」
タツの言う通り、リュウは魔力が見えはせずとも感じていた。人は魔力を通常視認出来ずとも、密度のおおリュウはタツが元結を解いた瞬間に、タツの魔力が量も密度も大きく跳ね上がったのを感じた。リュウは深く大きい深淵の様なタツの巨大な魔力に気取られた。まるで、白煙の様に水飛沫立つ大滝の滝壺に投げ込まれたみたいだった。タツの膨大な魔力に飲み込まれたリュウは上下前後左右の方向感覚を奪われた様に意識を保つ事さえも難しく感じて、言葉を発せない程であった。
タツの巨瀑の様な魔力がうねる様に動いた。リュウの肉体がタツの動きに反応して動き出そうとする瞬間にはもう既にリュウの懐にタツの肉体は飛び込んで来て居た。先程までタツの立っていた地面は窪むように抉れていた。リュウの懐に踏み込んだタツの足元も同様に抉れる様に割れた。タツの踏み込みの恐ろしい程の強さを物語っっている。その踏み込んだ足が地面を抉るほどの勢いを乗せた拳がリュウの腹をやや下方から貫いた。すっかりタツの魔力に気取られてしまっていたリュウは殆ど何も反応出来ずにタツの拳を受け、上へ高く身体を打ち上げられた。リュウの意識はすっかり飛んでしまっていた。
リュウは再び上空に打ち上げられながら、朦朧とする意識の中で思った。
……重い一撃だ……何て速さ……何て力だ。
タツの拳によって打ち上げられた空中で意識を取り戻したリュウはタツの膂力に驚愕し、反撃の手段に思慮を巡らせるが冴えた考えは思いつかない。そう悩んでいる間にリュウの身体は上昇を止め、落下し始めた。落下しながら下の方を見ると、眼下の地面が激しい音を立てて蜘蛛の巣状に割れるのが見えた。先刻の打ち合いの時と同様にタツがリュウに追い打ちをかけるべく飛び上がって来ている。リュウは凄まじく大きな魔力の塊が自分目がけて向かってくる状況に心底恐怖しながらも同時に嬉々として高揚しているような笑みを浮かべていた。
凄い魔力だ。量だけで言うと先生を超えているかもしれない。負けたくないな。でもどうする、あの山の様に大きく大河の様にうねる魔力の塊みたいなあいつをどうやって攻める。そう思案し、悩み思い詰まるリュウの脳裏に師の言葉がふと浮かんだ。
「リュウ、これから歩むお前の魔法の道を極める旅路にはその道を阻む様にいくつもの大きな壁が立ちふさがるだろう、その時怖くても決して逃げてはいけない。逃げ出せば道に迷い、簡単にはまたその道に戻れなくなる。お前が魔法の道を極めんと願うのであれば、その道に一度でも背を向ける事など道が許さない。決して退く事も負ける事も許されない。お前が行く旅路はそういう道だよ」
先生、俺に立ち塞がる最初の壁は本当に壁みたいな凄い魔力だ。今の俺の力では立ち向かう事は怖いけれど、逃げては駄目だ。俺は俺が歩むと決めた道に背くわけにはいかない。
リュウは空中で刀を構えた。その姿を見てタツの口元は嬉しそうに口角が上がっていた。
下から飛び上がって来たタツが飛び上がった勢いのままに頭を下方に下げ上方に伸ばした右足で蹴り込んできた。リュウは下方向からの蹴りを刀で受けて防いだ。
二人は空中で向かい合った。落下は止まっていた。二人は空中で固めた魔力を足場にして立っていた。
「まさか何度も私の攻撃をいなされるなんて思いもしなかったわよ、丈夫なのね。それに、あなたの魔力操作は呆れるほどに凄いわね。まさか足元の魔力を固めて足場にするなんて、身体から離れた魔力も操れるのね」と、タツは呆れた物言いでリュウに言った。
「何度も言うが魔力操作は先生にしつこく叩き込まれたからな、それに大して珍しい技術でも無いだろう。お前も出来てる」と、言ってリュウは刀の柄を軽く握り直して、脇構えを取った。
「ええ、さっきも言ったでしょう。昔これが得意な奴に負けたのよ、それから練習したの」
空中で対峙している二人に次は長い睨み合いは無かった。
今度はリュウが先に動いた、リュウは一瞬の間にタツとの間合いを詰めた。その踏み込みは恐ろしく静かで、リュウの魔力は微風ほどにも揺らぐ事は無かった。その為にタツの反応は鈍り、余りにも容易くリュウに懐を許してしまった。リュウは脇に構えた刀を下段から袈裟を遡る様に恐ろしい速さで切り上げた。リュウの瞳は鈍く光っていて、その瞳に、袈裟を切り付けられる既のところで身体を反らして躱したタツの動きをしっかりと捉えていた。リュウは視界に捉えたタツの動きを追う様に刹那に刃を逆に返し、刀を上から袈裟斬りに振り下ろした。
速っ! リュウの動きには一切の無駄な迷いや心の揺らぎが無い。まるで水が低きに流れると言う当然の事の様に私の動きに合わせて追撃してくる。もの凄い集中力ね。と、タツはリュウの上段からの袈裟斬りを躱しながらに考えていた。
袈裟斬りをまたしても身体を反らすことで躱したタツの動きを追って、リュウは横に薙ぐ様に刀を振るった。タツは今度は躱す事が出来ずにリュウの刀を受けた。タツが刀の一閃を受けた瞬間、その様子にリュウは酷く驚愕した。タツは右腕でリュウの一振りを止めた。素手であった。素手であるにも関わらずリュウの一撃はタツに傷を負わせるに至っていなかった。リュウの刀を受けたタツの右腕の皮膚はまるで鱗の様に魔力が凝縮されていて、強固な鎧の様にタツの身体を守っていた。
「なんだそれは」と、今まで顔に皺の一つも見せずに戦いに没頭していたリュウが口を開いた。その表情には少し張り詰めた雰囲気が有った。
「……可視化する程凝縮された魔力か。魔力操作はお前の方が上手の様だ」と、リュウはにわかに悔しそうに見えた。
「落ち込んだり悔しがったりする必要は無いわよリュウ。これは魔術ではなくて、私の外皮そのものなのよ。あなたの様に長い研鑽の末に獲得した能力では無いのよあなたのそれはたかが魔力操作とはいえ魔術と呼べる程に素晴らしい技術よ」と、お手上げと言った様な手振りをして少し呆れたように言った。リュウは少し胸が踊るような感覚を得た。タツは明らかに強者で、そんなタツに褒められ、認められた事をリュウは少し嬉しく思ったのだ。
「お前ほどの相手にそう言われると素直に嬉しく思うよ」
「冗談でしょ。魔力の制限を解きはしたけれど私は全然本気じゃないわよ? あなたもわかっているんでしょう? そしてあなたも力を抑えているわね。昔から手加減されてるとすぐわかるのよ。腹立たしいからもう少しだけ本気をださせてもらうわ」と、タツはリュウの方へ少し睨む様な視線を向けた。
「隠し玉か?」リュウは少し緊張感のある声で聞いた。
「ええ、本当はここまでするつもりでは無かったのだけれど、あなたが私達の予想を遥かに上回る強者だったから、特別に見せてあげる。これが私の固有魔術よ」と言って、タツは右腕を掌を広げて正面のリュウに向かって翳す様に上げた。すると、タツの掌に彼女の魔力が激しく収束し始めた。その魔力の流れは余程濃く、大きいのか、リュウの目にもはっきりと映っていた。
「……固有魔術だと? 既に魔術師の高みに至っていると言うのかタツ!」と、少し憤り興奮したリュウがタツに向かって怒鳴る様に言った。