第二十二話 覚醒
ヒスイが重たい足取りでヒヨの側にやって来て
「ヒヨちゃん平気?」と聞いた。ヒヨはオアシとリオの目にも止まらぬ程の凄まじく速い攻防のやり取りから目を離せずに
「リオどうしちゃったの?」と、か細く呟いた。
「リオの特別な魔術だよ」と、ヒスイがヒヨの呟きに答える様に言った。
「リオも固有魔術が使えるって事?」
「違うよヒヨちゃん。君はいずれ分かるようになるだろうし、詳しくは長くなるから今は割愛するけど、リオのあれは固有魔術じゃない。祭壇と犠牲が必要な特殊魔術だね……リオは何かを天に捧げて力を得たんだ」
「天? 空を飛んでいるあの子の事?」
「……分からない。……ただあの子が現れてからオアシさんの感情が高ぶっているのは確かだ……きっとあの子は彼らキクモ族の悲願……天との繋がりなんだろうね……」と、ヒスイは考え込む様にしどろもどろに言った。
速い、小僧の動きがさっき迄とは別人の様だ。目の良い小僧だとは思っていたが、こいつは俺の魔術の流れを見て俺の動きを先き読みし、常に一手先の先手を打ってくる。武器も持たないこんな小僧に俺が防戦一方だと? まるでヤマトのあの一族の歴戦の戦士たちと戦っているようだ。オアシはリオの攻撃を即応的に防ぐ一方で反撃が出来ない様であった。それ程までにリオの攻撃は速く正確にオアシの動きを捉えていた。
リオはオアシが身体に纏う魔力を何処に集中させているのかをその特別な目を持って瞬時に見極め、オアシの動きを予測している。それと同時に魔力が分散し薄くなった部位を見極めてそこに鋭く強い攻撃を打ち込んでいた。突き、蹴り、手刀、裏拳、踵落とし。左右の手足から繰り出される多彩で靭やかな魔力のこもった力強い攻撃を受け続けるオアシは防戦に徹する他なく、次第にリオに押されるように後退り、遂に耐えきれなくなって、後ろ飛びに大きくリオから距離を取った。リオは酷く冷静な眼差しでオアシが後退するのをしっかりと見ていた。
リオが立っている位置はオアシがこの場に現れた時に立っていた位置であった。リオはその場の近くの地面に置かれたフウの弓をそっと手に持ち上げるとオアシに語りかける様に言った。
「オアシさん、退く気は無いの?」
「……無い。お前は俺達の悲願、天との繋がりそのものの様だ……手足をもいででも我が国に連れて帰る。もう子供だからと言って油断も容赦もせん」と、言ってオアシは懐から一本の杖を取り出して杖先をリオに向けた。
「杖?」と、リオが疑問を顔に浮かべた。
「ああ、俺はこれがあまり好きでは無いんだが、仕方あるまい……キクモの魔術師としてお前と真剣に戦おう」とオアシが言うと、リオの目にオアシの纏う不気味な紫色の魔力の量が爆発的に膨れ上がったのが見えた。ヒヨもヒスイもそれが見えずとも感じ取っているようで、ヒスイは背に冷たい汗をかき、ヒヨは微かに顎を震わせる程に恐怖していた。しかし、リオは至って冷静な表情で弓をぐっと握って
「そうですか、退く気が無いのなら僕も戦わなくちゃいけない」と、リオが言うとオアシが
「そんな借り物の力が何時までも持つと思うな!」と、言って杖を振りかざしリオの方へ振り降ろすと、オアシの魔力を含んだ紫色の風がまるで鎌の様な形と質量を持ってリオの首筋に向かって飛んで来た。
何て強力な風の魔術だ……! とヒスイは驚愕していた。ヒスイはオアシが素手で戦うところしか見たことが無かったから、杖で純な系統魔術を使って戦う姿を意外に思い、そしてその魔術の洗練された強力さに驚愕していた。
「風は風です」と、リオが呟くとオアシの風の魔術はリオの身体に当たる直前にふっと吹き消された様に消え去った。
「小僧……何をした?」と、消沈した様な声を出すオアシ。
リオ……何をした? その姿を見てヒスイもオアシと同じ事を思っていた。
「本意の魔術。僕が得た固有魔術ですよ、風は風、決して刃の様に人の身は切れない。魔術で操ろうがその本意は変わりません。あなたが魔術行使で書き換えた風の本意を僕が上書きしました」と、リオが淡々と言った。
「そんな神の如き魔術が許されるのか……」と、オアシが呟いた。
「今だったらなんだって出来る。そんな気がするよ」と、リオは少し悲壮感を醸して呟いた。
「身に余る力だ、いつかその身を滅ぼすぞ小僧」と、オアシが憎しみを込めた表情で言った。
「今日はこれが最後……オアシさんが退かないと言うのであれば仕方が無いよ。……空気は重たい物だ」リオが呟く様にそう言うと、この場の空気がまるで鉛の様に重くなった。手先を動かすのも難しい程であった。オアシはのしかかる空気に動けず喘ぎながらも憎しみを込めた瞳でリオを見ていた。すると、魔術を行使したリオも動けない様子で苦しそうに空気の重みに耐えている様であったからオアシは高笑いしてリオに言った。
「小僧……自分も動けなくなっていてはどうしようも無いではないか」
「大丈夫だよオアシさん、こんな諍い、もう終わらせよう」と、空気の重みに押しつぶされて苦しそうな中リオは苦しさを堪えてオアシに笑みを向けた。そしてリオはヒヨに言葉を掛けた。
「ヒヨ、僕に火を放って」
「え?」ヒヨは目の前で起こっている事と、リオの言っている事が理解できずに間抜けな声を出した。
ヒヨとヒスイはリオの魔術の行使範囲外の様で重たい空気に押し潰されること無く自由に動ける様であった。
「いいから……僕に火を放って」と、リオが苦しそうに優しげに言った。ヒヨはヒスイの方を見るとヒスイは目配せをするように黙って頷いた。
「行くよ……リオ。どうなっても知らないわよ!」と、言って半ば投げやりな態度でヒヨはリオの方へ燃え盛る杖を振り下ろした。振り下ろされた杖から飛び出た火球は細長い孤を描いてリオの方へ飛んでいった。
「ありがとうヒヨ」と言って、なんと驚く事にリオはその細長い火球を手に掴んだ。オアシは呆気にとられた表情で無言にその光景を見ていた。
「火に熱は無く実体を持つ」と、リオは言ってその手の中の火をじっと見つめていた。
「火は邪を払う聖なる矢となる」とリオが言うと、細長い火球は引き伸ばされる様に棒状になり、とうとう片方の先端が尖った矢の様な形になった。リオは火の矢を握っている手とは逆の手で握る弦の無い弓を持ち上げて弦を引く様に矢の様な形に変形した火を重たい空気に逆らって力一杯に引き絞ってオアシに向けて会の形を取った。弦の無い弓には何時の間にか黄金色の光の弦が張られていて、矢に力を与えていた。
リオが引きしぼった矢をオアシの方に思い切って放つと、オアシは避ける素振りを見せるも重たい空気に体の自由が効かずに無防備なままにリオの放った矢を受けた。矢はオアシの左肩に命中しその勢いのままにオアシの左肩を焼き切ってしまった。そして命中した矢はその矢の如き姿を再び燃え盛る炎に変えて、オアシの身体中を燃やし尽くさんと轟々と燃え盛っていた。
「……っ! 熱いっ!」と、重たい空気によって身体を動かせずに燃え盛る炎に回復の魔術で絶えず治癒を繰り返しあえぐオアシを見てリオは空気に対して行使していた本意の魔術を解除した。
動ける様になったオアシは自身に着火した激しく燃え盛る炎を鎮めようとして地面に激しく転がり回ってその熱さに苦しんでいた。
「無駄だよオアシさん。その炎は絶対に消えない。僕がそうしているのだから」と、動けるようになったリオがオアシの方へ少し歩み寄って冷淡な態度で言った。
「邪なる者を祓う消えない炎……ヤマト神話の再現……リオいったい君は何をどこまで理解したんだ……」と、ヒスイが呟いた。
「おじさん、僕は何も知らないよ、僕は僕に出来る事を知っているだけだよ、オアシさんもう自分の国に帰ってよ、僕の魔術は僕の魔力が届く範囲にしか行使出来ない様だから帰ってくれれば焼け死ぬ事も無いよ?」と、リオがヒスイの呟きに答えるように淡々と言うと
「……良いだろう小僧……今日は退いてやろう。……これは完膚なきまでに俺の敗北だ」と、必死に火の熱さに耐えながら立ち上がったオアシが言葉を必死に繫ぎながら言った。
「……ありがとう」と、リオは静かに答えた。
「小僧、いつかまたお前の所へ俺は襲い来るだろう、せいぜい天との繋がりをより強固な物にしておけよ。……お前は我々の悲願そのものなのだから」と、オアシが言った。オアシは絶えず回復の魔術を行使している様で、オアシの身体は皮膚が焼けては治ると言う状況であり、その表情はとても苦しそうで余裕など微塵も見えない。千切れた左腕も治っておらず、とても目を当てられない酷い状況であった。そしてオアシは再び足に魔力を乗せあの高速移動で社の中に飛び入った。リオは呆気にとられて、焦ったように社の方を見た。社の中からオアシはリオに向かって叫んだ。
「小僧! この祭壇は貰っていくぞ!」と、オアシが言った直後に社の中で何か弾ける様な光が瞬き、光が消えたかと思うと、オアシの気配は無く、いつの間にか夜は明け社の中に朝日が差し込みリオの目に映った光景は祭壇の消えた空の社であった。オアシは祭壇と共に消えたのだ。
朝焼けの山中に静寂が戻った。
空に浮かんでいた少女が地面にゆっくりと降りてきた。その姿は薄白い朝日に照らされてとても幻想的な美しさがあった。ヒヨもヒスイもその姿に見惚れていた。少女はリオの前に降り立つとゆっくりと無邪気な優しい声で話し始めた。
「リオ、とても素敵だった。あなたとても頭が良いのね、でも犠牲の多い結末だね。決まりだからね……あなたに貰った物は天上に捧げないと」と、遠慮がちに少女は言った。少女は儚げに美しくも真っ赤な瞳にはどこか厳しさがあった。
「良いんだ……ありがとう」と、リオが優しげに言うと少女は固唾を飲むような素振りを見せて、突然リオに抱きついた。リオは突然の事に驚きを表情に浮かべて腕を回す事なく、お手上げと言う様に所在なく上げていた。
「リオ、私あなたをずっと見守っているわ、理由なんか無いけれど、ずっと見守っているわ。私は――。……困った時は何時でも私の名前を呼んでね」と、少女は言った。
「あと、リオ……今回は特別あなたの捧げ物の魔力が膨大すぎてほぼ制限なく魔術が使えただろうけど、本来は人の身に余る力……今度からは魔力には限りがあるからね!」と、最後に少女は言い残して黄金色の光の中にぱっと消えてしまった。
それから十年後、国立魔術学園に入学する歳になっていたリオはすっかりと、その天の少女の名前を忘れてしまっていたのである。
あの金色の子の名前……なんだっけなあ。いまいち思い出せないんだよなあ。と、リオは学園の学生寮の自室で一人考え込んでいた。窓の側に椅子を置いてあの日の出来事を思い出しながら開け放った窓の外に広が広大な森を穏やかな心持ちでゆったりと眺めていた。
ヒヨは元気だろうか? フウも元気だろうか? 天上に登った父さんと母さんとはいつの日かまた会えるのだろうか? あの子ともまた会える日が来るのだろうか? 結局あの山での出来事からの僕を取り巻く環境は劇的に急速に変化してしまったから、今日この学園の入学式の日までこうやって落ち着く暇が無かった気がするなあ。ヒヨとフウの二人が元気で居てくれたらそれで良いのだけれど……。と、リオが物思いに耽っていると、突然窓の外に見ていた森の中で青白い光が強烈に瞬き、あの独特な身体に纏わりつくような魔力を含んだ風が部屋の中に窓から吹き込んできた。
まるであの子の魔力の様だ……!。と、リオは驚きに駆られて部屋を無心に飛び出し、その第三区の中の光源に向かって駆け出していた。




