第一話 魔術学園
「かつて、この世界に魔術の道を極めんと人生を全て魔術研究に注ぎ込み、そしてその道を達する事なく死んでしまった愚かな賢者が一人いた。そう、此処に顔を並べている者で知らぬ者はいないだろう。大賢者シードだ。魔術を極めんとした志半ばで死んだ彼の没後に、彼の意思を引き継いだ者達の手によって、魔術を大系化し、学問として研究する機関が創設された。それは国立魔術研究所であり、この国立魔術学園の前身機関である。そして、この学園は今年で創立千年。国立魔術研究所創立から数えて、記念すべき節目の年である。この期に入学する我々一年生にとっては勿論、在学中の先輩方、そして数多くの卒業生の方たちにとっても喜ばしく特別な意味のある年だ。賢者シードの生涯をかけた魔術研究は不完全なままに終えられたが、その不完全さが我々残された現代の魔術師の魔術研究にさらなる意欲を呼び込み、未知なる物への好奇心を増長させた。彼が彼の理想を完遂し、魔術を完全な物として世に残していたとすれば、今日の目覚ましい魔術の発展はあり得なかったと私は思う。魔術は人々の生活を豊かにし、人類の外敵を挫く大きな力さえも我々に与えてくれる。新入生の諸君。これから3年間、共に魔術の道を極めんと共に精進し、魔術の高みへ上り詰めようではないか。私を含めた第千期の皆が、良き友と良き競争相手に恵まれる事を祈り、私の挨拶とさせていただく」
と、真新しい制服に身を包んだ金髪の青年はひとしきり話し終えると、右手に握り締めていたマイクを台にそっと置いた。マイクのスイッチが切れていなかったのだろう、かつんと、彼がマイクを台に置いた瞬間に乾いた音が会場に静かに響いた。その瞬間、その雑音が堰を切ったように会場は拍手喝采に包まれたのであった。彼に羨望の眼差しを向ける者、口笛を鳴らす者、壇上の彼の名前を口々に叫び騒ぎ立てる女子生徒。そして呆気に取られて壇上から目が離せなくなっているその他の数多の生徒たち。参列している者には目に涙を滲ませてる者さえ居た。横窓から会場に差し込む明るく白い陽の光が彼を照らしていた。陽光が彼の美しくたなびく金髪に反射して目鼻立ちの整った彼の容姿を一層に輝かしく、高潔で神秘的に演出していた。
会場は一人の新入生が生んだ熱気に包まれた。ここは国立魔術学園の入学式の式典会場である。
「おい広平、あいつ本当に同じ一年生か」と、隣の男子生徒の耳元でひそひそと囁くようにリュウは言った。
「ああ、シュレックリッヒ・オニア。今年の首席だよ。オニア家って言ったら結構な名家だぞ。お前知らんのか」
「知らん。へえ……良いとこのぼっちゃんって訳か。で、あいつは俺より強いのか?」と、素っ頓狂なリュウの問いかけに、広平は虚を突かれたようにぴたりと挙動を止め、無言で顔に一つの皺も寄せずにリュウを見つめた。
「……もういいよ」と、暫くの沈黙の見つめ合いの終に、リュウの方から口を開いた。
式典が終わり、新入生は各々の教室へと移動していた。新入生は三十人程度で、十人前後で一つの組に組分けされ、一つの期毎に生徒は三組に分けられる。この組分けは卒業するまでの三年間変わることは無く、入学試験の成績で組の力量の均衡を保つように組み分けられている。そして、リュウと広平は同じ教室へ向かっていた。
「一緒の教室だろ? 3年間宜しく!」
「最悪の気分だ……折角、地元から出てこんなに格式高い学校に入ったというのに、またお前とずっと一緒だなんて僕はなんて不幸な星の元に生まれてきたんだ」と校舎の廊下を歩きながら広平は頭を抱えていた。
「そう言うな、知らない人間しか居ないよりは断然良いぞ。俺は死ぬまでお前とつるんでいても良い。親父とお前の父様の二人みたいにな!」
「父様もカムイさんの傍若無人さにはいつも頭を抱えていたぞ」と、広平は呆れたような口調で言った。
「その事、うちの親父に言った事あるか?」と、リュウは苦虫を噛み潰したような顔で眉間に皺を寄せて広平に聞いた。
「いや、無い」
「これから先も絶対言うなよ、落ち込んで寝込むから」
「……ああ」と、広平もリュウの少しの言葉から、リュウの言葉の意味全てを汲み取った様に短く返事をした。
そんな他愛もない会話をしながら歩いている二人に後ろから声を掛ける人影があった。
「二人は同郷なのかい?」
リュウと広平が振り返ると、そこには三人の生徒が二人に歩調を合わせて歩いていた。声の主の正体は先程新入生の総代として、挨拶をしていたシュレックリッヒだった。二人は水を打たれた様に驚いて足を止めた。
「これはこれはシュレックリッヒさん。何か御用で?」と、リュウが嫌味な言い方で下からしゃくり上げる様な視線で尋ねた。まるでゴロツキが喧嘩を売っている様な姿であった。そんなリュウの項を広平が直ぐ様平手で叩きつけた。
「初対面の相手に喧嘩を売るなといつも言っているだろうが!」と、広平がまるで親が子を躾けるように言った。
リュウは叩かれた頭を抱えて蹲っていたが、その次の刹那に後方にいる広平のこめかみを狙って、踵を蹴り上げた。広平は半歩後ろに下がり鼻先一寸で華麗に避けて見せた。リュウはそのまま広平の方へ向き直り。
「いきなり頭を叩くんじゃねえ! びっくりするし、痛えだろうが!」と文句を言った。
「お前が誰彼構わず、初対面の相手に喧嘩腰で向かうからだろうが! そのせいで町からこの都に来るのにどれだけ余計な時間を使ったと思っているんだ!」
「それは俺が悪かったって何度も謝っただろ!」と、リュウは広平に語気を強めて言った。
「君たちはかなり仲が良いんだね」とシュレックリッヒが再び二人に話しかけた。
「そう見えますか? こいつとは腐れ縁ですよ同郷の。決して仲良しこよしと言う訳では有りません。重ね重ね申し上げますが、腐れ縁です。義務のようなものです。先代からの呪いの様なものです」と爽やかにはにかんで広平は言った。
「ひでえ」と、リュウは呟いた。
「で、シュレックリッヒだっけ? お前は俺たちに何か用があるんじゃないのか?」と、リュウが今度は落ち着いた口調でシュレックリッヒに尋ねた。
「いや、後ろから君たちを見ていてね、少し興味が湧いたんだ。周りを見てごらんよ、皆借りてきた子猫の様に周りをキョロキョロ気にして不安そうに歩いているだろう? 皆それぞれに思い思いの目的があってこの学園に来ている。遠方の者も多いだろう。異郷でもそうだし、同郷であっても対立関係にあったり、皆が大小あれど互いに警戒している。仲の良さそうな2人組は目立っていて不思議なんだ。君たちは何でこの学園に?」
「傍目に見て僕らが仲良しに見えるのは心外だな。僕はとにかく、地元を離れたかったんだ。それだけだよ、特に崇高な動機は無い」と、広平が答えた。
「そうかい、勿体ないね……君程の魔力量があれば、魔術の高みへ辿り着く事が出来るだろうに……」と、シュレックリッヒが広平の身体を隈なく舐め回す様に見て、最後に広平の瞳の奥を見つめながら言った。広平は、シュレックリッヒの綺麗で奥深い金色の虹彩の輝きに気取られて、言葉を返せないで立ち尽くした。
「お前、魔力が見えるのか?」と、広平の傍に居たリュウが好奇心を抑えられない様な態度で2人の間に割って入ってシュレックリッヒに尋ねた。
「ああ、僕の家系は代々魔眼持ちの家系でね、一族皆魔力の流れを目で見ることが出来るんだ」と、シュレックリッヒが無気力に説明した。
「お前本当に何も知らないんだな」と、我に返った広平が呆れたように言った。
「ああ、知らん。お前も知っているだろうが、あの町に居た俺に外の事を気にする余裕など無かった」
「そうだな」と、広平は少し寂しそうに瞳を曇らせた。
「自分で言うのも気が引けるのだが、オニア家を知らない魔術師が居るのだな。君は? 君は何でこの学園に来た?」と、シュレックリッヒがリュウを見て言った。「魔法の道を極める為だ」リュウは、それ以外に何があると言わんばかりの口調と態度で胸を大きく張って言った。リュウの自信に満ちた表情を廊下の窓の向こうの陽が照らしていた。広平はその横顔をまた一層寂しそうな表情で呆然と眺めていた。
シュレックリッヒはリュウの返答を聞いて、大きな声で腹を抱えて笑い出した。そんな彼を広平は不機嫌そうに見ていた。
「何がおかしいんだ?」と、リュウは語気に怒りが見えるが、落ち着いた様子でシュレックリッヒに尋ねた。シュレックリッヒもリュウの不機嫌そうな雰囲気につられたのか、ぶっきらぼうに嫌味な口調で話し始めた。
「君が魔術を極める? 君の相棒はまだ有望だから彼がそれを言葉に出すのはまだ理解が出来るが、君が言うのか? 君の隣に立っている彼なら3年間この学園で寝食忘れて修練を積んで、運が良ければ魔術の高みへ手が届く可能性はある。だが、君にその可能性は無い。断言する。君程度の魔力量では彼と同じ位の血の滲むような修練を積んだとして、良くても成績は中頃でその上には行けないよ」と、シュレックリッヒは言った。
シュレックリッヒの言葉を聞いてリュウはあっけらかんとした表情を見せていた。無遠慮な言葉を受けた当の本人よりも隣で聞いていた、広平の方が深刻そうに怒りを滲ませた表情で、シュレックリッヒを湿り気のある目で見ていた。バツが悪いのか束の間、皆が無言の静寂が場を支配した。口を開いたのはまたシュレックリッヒだった。少し気まずそうに話し始めた。
「……まあ、君が彼の足枷にならない事を祈っているよ」
シュレックリッヒ達三人はその場を後にした。
「あなた達も早く自分の教室に入った方が良い」と、去り際にシュレックリッヒの後ろからついて来ていた二人の内の一人がリュウと広平に助言した。
広平とリュウが周りを見渡すと、廊下にはもう誰の姿も無く皆が各々の教室の中に既に入っていた。
「何だ? 珍しく落ち込んでいるな。あまり気にするなよ、故郷でのお前の、それこそ血の滲む様な鍛錬の日々は俺が然と見ている。お前は誰よりも強いよ」と、広平はリュウの肩を叩き、急ごうと言って、早足で教室に向かった。リュウも広平の後に続いて教室へ入った。