第九話 ヤマトの黒真珠
三人の間の沈黙を裂く様にシアが
「そうそう」と、何かを思い出したように言って、席を立って部屋の隅の机に置いてある自分の鞄の横に置かれた紙袋の中から、細長く紙に包装された物を取り出した。
「食後にちょうどいい甘味を戴いたのよ、折角だから皆でいただきましょう」と、言ってシアは包み紙を開いた。
シアの手元で開かれた紙の中から出てきたのは黒い羊羹だった。食べやすい様に既に一口の大きさに切り分けられていた。包み紙は羊羹の底だけは残るように展開出来る形に最初から作成されていて、包み紙が皿の代わりになる。
その羊羹は奥深い黒を湛えた光沢は美しく、包み紙を剥いだ瞬間から鼻に抜ける香りは芳醇で上品であり、三人は息を飲むほどに口の中に唾液が溜まるのを感じた。
「あなた達……これは相当高級な物よきっと」と、シアが少し声を震わせながら言った。
「シア……知らないのですか……? この紫地に金色の唐草模様の包み紙が有名な和菓子屋はヤマトの国の大老舗ですよ。店の名前は忘れましたが、一度故郷の家で食べた事があります。その日は家族皆がその美味しさを発狂した様に一日中口々に語ったものです!」と、二人が少し引くくらいに身を乗り出して話すシンシア。
「タツヤの羊羹でしょ? その模様」とレックがシンシアとは対比的な態度で言った。
「そう! それよ! タツヤの羊羹! ヤマトの黒真珠よ!」と、興奮気味に叫ぶシンシア。
「ちょっと落ち着きなさい! シンシア、この羊羹はそんなに有名なの?」と、シンシアを宥めるように言うシア。
「……申し訳ない……悪い癖だ、和菓子の事となると目が眩んでしまう。ええ、ヤマトで500年以上も続く和菓子屋の銘菓です。滅多に手に入れる事が出来ないんですよ、その美しく深い黒色を譬えて黒真珠と呼ばれています」と、少し落ち込んだようにシンシアが言った。
「そう、そんなに立派な物だったのね。新入生が挨拶だと言ってくれたのよ、我が家の……とか言っていたけど……」と、シアが呟く様に言うとシンシアが食い付く様に
「我が家だと? その生徒の名前は何と言うの?」と、シンシアが熱り立ってシアに詰め寄った。
「近いわね」と、鼻先一寸まで迫ったシンシアの身体を押しのけてシアが言った。
「聞きそびれてしまったのよね、私も丁度その時少し立て込んでいたから失念していたわ……」シアの言葉を聞いたシンシアは肩を落とした。
「……まあ、皆で頂きましょうか」と、シアが言って紙袋の中から小さく梱包された楊枝を取り出して一つずつレックとシンシアに手渡した。そして自分の分の楊枝を小袋の中から取り出すと
「早速私から頂くわね」と言って羊羹を一切れ楊枝に刺して口の中に運んだ。少しシンシアが妬むような視線を送っていたが、シアは気にせずに自分の口の中に羊羹を運んだ。
羊羹は少し湿り気のある音を立てて一切れ切り離されて、シアの小さな口の中に品よく運ばれ、シアはひと噛みした後は続けて咀嚼する事なく舐るように舌の上で羊羹を転がしている様であった。そこに言葉は無く、シアは瞼を閉じて至福を表情に浮かべて、口の中をもごもごと蠢かしていた。その姿をじっと見ていたシンシアとレックは垂涎し、シンシアに至っては少し瞳孔が開く程に興奮している様であった。
「シア……我慢できない、私も頂くぞ!」と言って、シンシアは楊枝の袋を楊枝の先で中から突き破る様に開いて、その楊枝で二切れ羊羹を切り取って、大きな黒い塊を口の中に遊ばせた。二切れは大きかったのかシンシアはリスの様に頬を膨らませて悶える様に羊羹を口の中で食んでいた。
「はしたないわシンシア」と、一切れの羊羹を十分に堪能し終えたシアがシンシアに言ったが、シンシアは心此処にあらずと言った具合に力なく目尻を下げて恍惚な表情で羊羹を貪るように口の中で舐っていた。
「まったく……。レックあなたも食べたら? 凄く美味しいよ」シンシアに呆れたシアがレックの座っている方に羊羹を差し出した。
「ええ、頂きます」と言って、レックは一切れ楊枝を使って口の中に運んだ。
美味しい……。ああ、そういう事か。口の中で甘みがとろけて湧いてくるが、ホイップやチョコレートの様な諄い甘さが無い。ああ、何時までも口の中に遊ばせていたい……。
レックはシンシアの様子も強ち理解出来ない物では無いなと思って、ぼうっとシンシアの方を眺めながら羊羹を口の中で噛んだり舐めたりしていた。
気が付けば、そのヤマトの黒真珠と呼ばれる羊羹は跡形もなく三人に食べ尽くされていた。と言ってもレックが食べたのは最初の一切れのみで残りはシアとシンシアが競う様に物凄い勢いでぺろりと食べてしまった。
「……ああ……美味しかった」と、呟くシアと言葉なく恍惚な表情を浮かべているシンシアの姿をレックが呆気にとられたと言う様に黙って眺めていた。
「……では、私は寮に戻ります」と、言ってレックが立ち上がった。
「外まで見送るわ」と、シアが言って立ち上がると、シンシアも無言で同意する様に席を立った。
建物の入口にて、別れ際に姉弟は短い会話を交わした。その会話はレックから問うた物であった。
「姉様も魔術教練大会に出場するのですよね?」
「ええ、生徒教官として出場するわよ。毎年、昨年の決勝を戦った二組が実戦教官役として参加する事になっているから、私とシアの二人組と、もう一組は今年二回生のノック君達の三人組ね、シード枠だからトーナメントの抽選には参加しないけどね、もしあなたと当たったら姉弟だからといって手加減はしないわよ、あなたにとって越えなければならない一番高い壁として君臨してあげるわ」と、可愛げに戯けた様にシアが言った。
「ね、シンシア」と、付け加えるようにシンシアに問いかけると
「当然です」と、シンシアが微笑んだ。
「光栄です。現学園最強のお二人に本気で相手をしてもらえるのなら、私も全霊を持って挑みます」
「そうね、ただあの大会で勝ち上がるのは結構難儀するわよ、私達と当たる前に負けちゃわないでね」と、シアがまた弟を誂う様に言った。
「私達からの忠告をくれぐれも忘れてはいけないよ」と、シンシアがシアとは打って変わった真剣な態度で言った。
「安心してください、既に件の薬師広平とは一緒に組む約束を取り付けていますし、こちらにはタツもいます。余程の強敵が相手に現れない限りは負ける事は無いでしょう」と、レックが傲慢にも取れる発言をしたところ
「余程の相手が現れるものなのよ、あの大会は。気を付けなさいレック、あなたの目には映らない強さがこの世には無数に存在しているのよ」
レックは、また自分の魔眼が姉と兄に劣る物だと揶揄された様な気がして、気分悪く粗雑な返事を返して、部屋を出ようとした。その時、三人は同時に何処かでとてつもなく大きな爆発するように膨れ上がる魔力を感じた。
「シンシア、あなたも感じている?」
「ええ……この膨大な魔力は何? 誰のもの?」
「わからない、知らない人の魔力よ。在学中の生徒の魔力特性は全て把握しているわ、勿論教員の方々も、と言う事は新入生だろうけど……レック?」と言って、シアはレックの方へ目配せした。レックは目を見開いて首を横に振った。美しい金色の虹彩は小さく収縮していて、明らかな動揺が見て取れた。
「いいえ、わかりません……今日壇上から全ての新入生の魔力の色を観察しました、こんなに透き通るように青白く輝く魔力を持った奴なんて居ませんでした」と、少し瞳を震わせながらレックは言った。
「それじゃあ、誰よ! 外部の人間?」と、少し狼狽えるシア。
「落ち着きなさいシア、魔力量は信じられないくらいに膨大だが、全く悪意を感じない。むしろ暖かく心地良い波動よ。でもだからといって、こんなに大きな魔力源を放置できないでしょう?」と、シンシアは冷静にシアを落ち着かせる言葉を掛けた。
「そうね、ごめんなさい。ありがとうシンシア」と言ってシアは立ち上がり、シンシアと目配せして二人で部屋を出ようとした。
「僕も一緒に行きます」と言って、レックも慌ててその後に続いた。
建物から出た時、三人の身体を強く密度のある風が吹き抜けていった。三人はその強い風に思わず目を細め身を屈めた。
「魔力風……」と、レックが呟いた。
「ええ、いよいよこの魔力が誰の物か特定する必要があるわね」と、シアが神妙な面持ちで言った。
「行きましょう」と、言って先陣を切って走り出したシンシアの表情は少しこわばっていた。シアとレックもシンシアに追うように駆け出した。




