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序章 理想の世界



 闘争が人間を成長させるのだと賢者は言った。

 争いが人という種族を進化させたのだという賢者の思想はその没後も長く魔法使いの世界では語り継がれ、古い因習の様になっていた。


 

「ねえシード、私たちの理想はいつか叶うのかしら……」

「……いつかこの時代の後のその先の時代できっと叶うさ」と、言って地面に仰向けに倒れた男が無防備に両腕を広げて女に言った。

「さあフラン、私を殺してくれ。もう終わらせよう我々の闘争は役目を終えるのだ」

 ここはこの世界で一番高い場所、雲よりも高い場所である。辺りを見回しても目線の先に天以外の何物も存在しない。天を穿く様に大地に聳えるこの塔の上で二人の男女は戦った。二人の衣服は酷く擦り切れ、女の外套は裾がギザギザに擦り切れていた。女は魔法使いにとって伝統的な深い黒色の外套を身に着けていた。その外套の右肩部分が破れて肩が露出していた。魔法に対する防壁の様な役割を持ったこの大層上部な居服にここまでの損傷を負わせると言う事が、この二人の戦いの激しさを物語っている。二人共に、お互いの衣服は血で黒い斑模様を作っていた。

 辺りを見渡してみれば、そこら中の床は抉れ、瓦礫が散乱し塵が霧のように漂っている。その光景もまた二人の魔法使いの戦いの激しさを物語っていた。

 そして最後に敗れ倒れたのは男の方であった。

「嫌だ……あなたを殺すなんて、私には出来ない……」と、女は瞳いっぱいに涙を溜めて、仰向けに倒れた男の傍にしゃがみ込んだ。男には女の杖がころころと転がる小さな音がとても大きく響いて聞こえた。

「泣くなフラン。躊躇う事は無いさ、君は私を殺してこの世界の英雄になるんだ……私のいない世界には何の憂いも無いだろう? さあ杖を拾って……私を終わらせてくれ」

「英雄? ふざけないで! あなたを殺した私がそんなものになれるわけないじゃない」と、言って泣きじゃくる女、その姿を見て男は確信した。

 ああ、この優しい子なら大丈夫だ。きっと魔法使い達を正しい道に導ける……。私には出来なかった事だ。

 言葉を返さない男に言う訳でも無く

「私が私を許せるわけないじゃない……」女は震える声で一生懸命に言葉を絞り出すように呟いた。

 突如として、上空から強烈な風が吹き付けた。はっとして泣きじゃくる女は男の方を見た。すると男の視線はその先の上空に居る何かを安堵した様な優しい視線で捉えていた。

「……来たか」

 男の視線と言葉につられて少女は振り返る様に空を見上げた。すると、空から二人の人間がゆっくりと降りてきた。二人に翼は無いが、空中を歩くが如く自由に移動している様に見えた。二人の側に降り立ったのは左目に眼帯を付けた男と、背の小さな年端もいかない少女であった。

「フラン、これはどういう事?」と少女が、塔の上に降り立った途端、口早に言葉を発した。その言葉には大きな怒りと疑心が籠もっている様に女には思えた。

「竜の子どもか、片割れはどうした」目尻を赤く腫らした女が厳しい目線を竜の子に向けている。明らかに虚栄を張っているのが誰の目に見ても明らかであった。

「あの子は眠っている……あの子にとってこの状況は耐えられないだろうから眠らせてきたのよ。……それよりもフラン、何故シードは倒れているの? 魔力ももう絶え絶えでもう……」言葉の続きは言わずに口をつぐんだ少女に

「……私が、殺そうとしているからよ」女が苦虫を噛み潰したような険しい表情で言った。

「冗談言わないで、何故あなたがシードを殺そうとするのよ! 理由がないわ!」と、声を荒げる少女。何も言い返すことも無く女はただ口をつぐんで黙っている。

「シード様、やはりこの様な結末を迎えたのですね」と、眼帯の男は酷く落ち着いた声で男に言った。倒れた男は言葉を返す事なく黙ってじっと眼帯の男の瞳を見つめ返していた。

「何かおかしいと思ったのよフラン! お前の弟子達の動きがここ最近不穏だった! シードを貶めるような噂話ばかりしていたわ! あなた、いつからこの結末を思い描いていたの?」

「タツ」と、言い過ぎだと少女を宥めるように眼帯の男が言った。

「竜の子どもよ、私が本当にこんな結末を望んでいると思うのか? 私がシードを本当に殺したいと? お前はシードの友なのだろう? それなのに私の気持ちを慮る事は出来ないのか?」泣き疲れた女は生気のない声で呟くように話した。

 女の言葉に歯を食いしばって黙る少女を庇う様に

「いいえフラン様、こいつも分かっているのです。このどうしようも変えられない結末を、その細をもこの幼い心をして、きちんと理解しているのですよ、許してやってください……どうか……」と、眼帯の男は少女の頭を撫でながら、女に謝罪し頭を下げた。少女は涙を堪える様にしゃがみ込んだままの女を睨んでいた。

「シードの従者だな、この結末の責任は我々導き手にある。我々、魔法の指導者が愚かであったが為の結末なのだ、子供らには何の負い目も感じさせてはいけない」と、女は少女の視線を優しげに見返した。

 


 この世界に魔法なんて無くていいと賢者は言った。

 超常の力は無用の闘争を生むだけであると言う賢者の思想は後の魔術師と呼ばれる魔法を学ぶ者たちの間で、揺るがぬ教訓として生き続けた。



「シードの従者、その子を眠らせなさい」と、女は打って変わって力のある声音で眼帯の男に言った。少女は察して、逃げるようにその場から後ろに飛び退いたが、その待避行動も虚しく眼帯男によって即座に羽交い締めに捕らえられた。

「シードを殺さないで!」と、眼帯の男の腕の中で暴れる少女。

「ごめんなあタツ。こうするしか無いんよ、許してくれ」と、言って男は少女の目を隠すように掌で覆った。すると眼帯の男の腕の中で暴れていた少女は気を失い大人しくなった。

「眠ったの?」と、女は眼帯の男に聞いた。

「ええ、精神干渉を行いました。そう簡単には目を覚ましません」

「精神干渉? こんなに大きな魔力を持つ子を一瞬で? 恐ろしい魔法使いよあなたは」と、女は賛辞を送った。

「恐縮です」と、言いながら眼帯の男は少女を地面にそう優しく寝かしてやった。まるですぐ割れてしまう繊細な硝子細工を扱う様な動作であった。

「その子、とても愛されているのね」

「この子は我々の希望だと、シード様がいつも口癖の様に言っていました」と言って、眼帯の男は優しい目で少女を見ている。

「あなたは?」と、聞いた女の言葉の意味を理解できずに眼帯の男は返す言葉に困った。

「あなたは、その子みたいに癇癪を起こして私に殴りかかったりしないの?」と、戯言を言うように女は聞いた。

「お戯れはよして下さい。私は誰よりもこの方の真意を理解しているつもりです。この方に見出された私の魔眼は腐ってなどいません」と、淡々とした口調で地面に倒れた男を見つめながら眼帯の男は言った。女はその瞳に深く強い忠義を感じた。

「ごめんなさい、言葉が軽かったわ。友が死ぬのはあなたも辛いのよね……」

「何を勘違いしているのですか? シード様は私の友ではありません、私の誇り高き最愛の主人なのですよ、私の是非の全てを決める人なのです。それは亡き後も変わることは無いでしょう」と、言った男の声は相変わらず淡々としていて、女を呆れさせると同時に安心させた。

「こんな下らない諍い事は私達が終わらせないといけないのよね……」と言って、つい先刻までの弱々しさを感じさせない力強い瞳で横たわる男を見つめていた。目尻は赤く腫れ口元は少し怯える様に震えているが、覚悟を決めた表情であった。

「タツは寝たのか?」と、力の無い虚弱な声が二人の耳に届いた。

「ええ、私の魔法で眠らせました」眼帯の男が答えた。

「そうか……お前はどうだ……後悔は無いのか? お前が信じた私の最期を惨めだとは思わないのか?」

「ええ、悔いなどありません。あなたがいなければ私の生きる道には誇りも信念も存在しなかったでしょうから。……いいえ、私はこの魔眼の悩みに苛まれ生きる事すらままならかったでしょう。あなたから頂いた慈悲の全てに感謝します、心から」女には少しだけ今まで冷静で淡々としていた眼帯の男の語気が先程までよりも心做しか強く感じた。

「そうか……」と、事切れる前の様な掠れた声で呟いた男の声色には微かな優しさが有った。

「シード、私たちの理想は後の世に託すのね」と、女が慈悲深い声で男に言った。

「……ああ、私たちでは成せなかった事だ、簡単では無いだろうが、私たちよりも憂いや感情の行き違いによる拗れは無いだろうな」

「ええ、あの子達は良くも悪くも魔法の深淵には至ってないものね」

「そうさ、あの子らは私たちよりも純粋なんだ。霞無く輝いて見えるよ。大事に守り育ててくれ、我々の希望の子供たちを、任せたぞ」と、魔力も絶え絶えの男は強い語調で二人に命じる様に言った。

「ええ、然と」と言って、眼帯の男はその場に片膝をついて胸に手を当て頭を下げた。女も何かを決心した様な表情を見せた。

「……フラン……もう時間が無い……さあ私を殺せ、君がやらなければならないんだ……これからの全ての魔法使いの道標と成れ……時読みの賢者フラン……もう迷いは無いのだろう? ……後のことは任せたぞ」

「……」フランは無言で、地面に落ちた立ち上がり。地面に転がっている杖を拾い上げた。そして無言のままに杖の先端を男に向け魔法を行使した。

 フラン……どうか幸せに……。薄れゆく意識の中で男は女の幸福を願った。

「どうか安らかに」と、眼帯の男が祈るように両手を握り合わせた。

「シードの従者、お前はこれからどうする」

「主を亡くしはしたが、主の命はまだ続いているのです。この子を含めて地上に居る若き芽を大切に育てます」と言って、地面に寝かせた少女を優しく抱きかかえた。

「シードの遺体は私が持って行くよ?」

「ええ、私もそれが良いと思います。シード様はフラン様の元に居られるべきです」

「誰も触れられぬ様に厳重に封印する。これだけ魔法使いとして大成した人間はいないから、この遺体を悪用しようと思う悪党はごまんといるでしょ? 争いの火種はもう私たちからは起こさせない、超常の魔法使いはもうこの世界に必要無いんだ」

「ええ」と、呟いたのを最後に眼帯の男は煙の様に姿を消した。

「転移か……、まったくもう……難しい魔法をよくもまあ当たり前の様に……」と、女は呟いた。



 塔の上には男の遺体と、その傍に目尻を泣き腫らした女が佇んでいるだけであった。

「輪廻転生があるとしたら、また会いたいよシード……。淀みのない関係、友だちとして……隣で生きていたいよ」

 女は誰もいなくなった塔の上で遂に堪えきれなくなった大粒の涙を声をあげて流した。戦いの後の荒涼とした塔の上に明るい陽の光が差してきた。

「こんな場所だから雨も降らないのね」

 女の呟きは虚しく雲一つなく晴れ渡った空に響いた。

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