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それからというもの、大方の予想通り国王と王妃はマリアの寝室から出てこず、食事にさえ顔を出さなくなっている。
さすがに夜は寝室に戻るようだが、それもマリアが眠ってからなので、このところアラバスもトーマスもマリアの寝顔しか見ることができずにいた。
「いつまで続くんだろうね。あと二週間で豊穣祭だぜ?」
カーチスが不機嫌そうな声を出した。
机の上には書類や資料が山積みになっており、会話はするが顔は見えないという状態だ。
「母上は想定内だが、父上までこうなるとは思わなかった」
カーチスの愚痴は止まらない。
アレンとトーマスは、口をきく時間さえ惜しいとでも言うように、机に齧りついている。
ドアがノックされ、侍女長がゆったりとした礼をした。
「ご苦労様です。国王陛下より本日の昼食を共にするようにとのことでございます」
チッと舌打ちをしたのは誰なのか。
「了解した。俺だけでいいのだろうか」
「いえ、第一王子殿下、第二王子殿下、並びにアスター侯爵閣下、ラングレー公爵令息様の四名様でございます」
「えっ? 僕も? 何事なの?」
アレンが素っ頓狂な声をあげたが、やはり書類の山に埋もれて姿は見えない。
侍女長がシレッとした顔で続けた。
「マリア王子妃の夫とその弟、実の兄及び妃殿下と仲良しの友人と言えばご納得いただけますでしょうか?」
アラバスが立ちあがった。
「あの子たちの名が決まったのだな? よし! 必ずお伺いするとお伝えしてくれ」
アラバスの声に三人が立ち上がった。
トーマスが嬉しそうな声を出す。
「どれに決まったのかな。ワクワクするよ」
「僕はやっぱり、兄上が最初に考えた名前だと思うよ」
カーチスがそう言うと、アレンがニヤッと笑った。
「そうノーマルに決めるものか。なんなら賭けるか?」
ごそごそと四人が出てきてソファーに座った。
「なにを賭ける?」
アレンの声にカーチスが答える。
「じゃあ一番最初に名前を呼ぶ権利はどう?」
アラバスが真顔でカーチスを見た。
「却下だ。それは俺の特権だ。絶対に譲れない」
「ちぇっ」
「じゃあ一番最初に抱っこする権利」
「却下! 理由は同じだ」
「えぇぇぇ! じゃあドン・ぺビビヨンのスプモーニとか?」
「いいな、それでいこう」
「安っ!」
よほど仕事に飽きていたのだろう。
そんな下らないことで大いに盛り上がる四人。
「よし、そろそろ行くか」
少し早めだがキリが良いと言い張り、アラバスが立ち上がった。
アレンとトーマスが文官たちにも休憩に入るように伝え、重要書類だけを金庫に入れた。
「候補はいくつ出したの?」
トーマスがアラバスに聞いた。
「息子が五つで娘が十だ」
アレンが不思議そうな顔をする。
「なんで娘の方が多いんだ?」
カーチスが代わりに答えた。
「息子は皇太子になる可能性が高いだろ? いろいろ制約があるんだよ。昔からの慣習っていうのかな。面倒なんだよ」
「なるほどな。王族ってのはいろいろ大変だな。娘はそういうの無いの?」
「うん、娘は嫁に出しちゃうでしょ? あまり縛りは無いんだよね」
先を歩いていたアラバスがいきなり振り返った。
「言葉に気をつけろ! 嫁には出さんと言っただろ!」
「まだ生まれて一週間だぜ?」
三人は顔を見合わせて肩を竦めた。
子供が生まれた翌日、アラバスが国王夫妻に提出した名前の候補を、一週間かけて吟味した結果が今から発表されるのだ。
アラバスとしてはどれを選ばれても悔いは無いが、これになれば良いなという思いはある。
「息子は、ジェイムス、チャールス、マチアスと……あとなんだっけ?」
カーチスの声にアラバスが答える。
「ルイースとアダムスだ」
カーチスが指折りながら復唱している。
「女の子は?」
アレンが聞くと、アラバスは歩みを止めて振り返った。
「娘? 俺の娘の名前候補?」
「おい、アラバス。頼むからそんなにデレた顔をしないでくれ」
そんなアレンの言葉をまるっと無視して、アラバスが答えた。
「マリアが花の名前がいいって言うんだ。だから、マーガレット、アゼリア、カメリア、ジャスミン、デイジー、リリーローズ、ダリア、カトレア、バイオレット、ウィスタリアだ」
「よく覚えてるな……凄いよ」
「何を驚く? 当たり前だろ」
四人は食堂に到着した。
「マリア! 寝ていなくて大丈夫なのか?」
椅子に座ってニコニコと笑うマリアに駆け寄るアラバス。
「アシュ! なかなか会えないわね。体はもう大丈夫よ。あと一週間はベッドにいなくちゃいけないのだけれど、今日は特別でしょ? だから許可を貰ったの」
出産以降、マリアはアラバスのことをアシュと呼ぶようになった。
「そうだな、でも無理は禁物だぞ。俺の膝に座るか?」
そう言ったアラバスの頭を叩いたのは王妃だった。
「余計悪いわよ。クッションを重ねているから大丈夫よ。さあ、お前たちもさっさと座りなさい」
国王が座り、その右に王妃が座った。
王妃の正面がアラバスで、その隣がマリアだ。
王妃の横にはカーチスが並び、アレンとトーマスは向かい合わせの席についた。
「では食事を始めようか」
国王の声で使用人たちが動きだす。
静かではあるが、なんとも和やかな空気が流れていた。
デザートはマリアの大好きなレモンチーズケーキのようだ。
きれいな所作で食事を進めるマリア。
お世話を焼けなくなったアラバスは、すこし寂しそうだ。
「遂に決めたぞ、アラバス」
国王が指先を動かすと、新しく就任した侍従長が進み出て、全員にシャンパンを注いで回った。
「マリアは授乳があるから、形だけだよ?」
いつもの威厳はどこへやら……孫と嫁にメロメロな国王がへにょっと笑う。
「はい、乾杯だけ参加させていただきます」
「では発表する」
なぜか全員が緊張している。
「王子の名は『アダムス』だ。そして王女の名は『ジャスミン』とした」
マリアが小さく呟いた。
「アダムス・ワンダー第一王子……素敵ね」
今度はアラバスが呟くように言う。
「ジャスミン・ワンダー第一王女……愛らしい名前だ」
微笑み合う二人に、使用人たちが一斉に拍手を送った。
「国王陛下、そして王妃陛下。誠にありがとうございます」
アラバスが立ち上がってゆっくりと頭を下げた。
「いやぁ……難しかった。本当に迷ったよ。これでやっと眠れるというものだ」
王妃が続ける。
「王子の名はあなたが出してきた候補の中から、お父様がお決めになったわ。でもね、王女の方は、まずお父様が三つに絞って、最終決定したのは私なの」
「母上がですか?」
「ええ、夢だったのよ。初めての孫の名前をつけるっていうのが。双子だったからケンカにならずに済んでよかったわ」
「ジャスミンがお気に召しましたか」
「ええ、ジャスミンという花は真っ白でしょう? でも華やかな香りで人々を惹きつけるわ。小さいのに存在感があるし、優美なのに華があるでしょう? そんな王女になってほしいって思ったの」
「ありがとうございます」
マリアが深々と頭を下げた。
「さあ、乾杯しよう。おめでとうアラバス、そしてマリア」
全員で祝いのグラスを掲げた。
ぐっとグラスを開けた国王がアラバスを見た。
「豊穣祭でアラバスの立太子を公表する。準備を整えよ」
「はっ!」
四人が一斉に頭を下げる。
「これ以上忙しくなるの? マジかよ……」
そう言ったカーチスのお尻を、王妃が扇でパシッと叩いた。
年末となり何かと忙しく……
当分の間、一日一回の更新となります。
よろしくお願いいたします。
志波 連




