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のろのろと部屋から出てきたアラバスに国王とトーマスが駆け寄る。
「どうだったのだ? マリアは大丈夫なのか?」
「痛くて死にそうなくせに、お兄ちゃまとパパとママ、それにカチスとアエンにもう会えなくなるのは嫌だと……俺のことが大好きだと……そう言って泣くのです」
国王がボロボロと涙を溢した。
「それで粘っていたのか……マリアちゃん……なんと愛おしい……」
トーマスも目に涙をためていたが、努めて冷静な声を出した。
「それで? 交代したのか?」
「ああ、結局交代はしたよ。今は十七歳の冷静なマリアが母上と話している」
「そうか……もうあのマリアは戻ってこないのか……」
三人は悲しそうな顔で俯いた。
時折聞こえるマリアの悲鳴に身を震わせ、王妃や医師の励ましの声にグッと拳を握る。
何をしているわけでもないのに、三人とも長距離マラソンを終えたような顔だった。
気を利かせたメイド達が、かわるがわる運んでくる軽食や飲み物も、ワゴンに置かれたまま手をつけられた様子もない。
「どうだ?」
仕事を片づけたカーチスとアレンも合流したが、むさ苦しく動くだけの男が増えただけだ。
「いきんで!」
部屋の中から聞こえる医師の鋭い声に、アラバス達五人が一斉に力を入れる。
いつの間に集まってきたのか、マリアを心配する第一王子宮の使用人達もほぼ全員が揃っていた。
「マリアちゃん! 今よ! 下っ腹に力を入れて!」
悲鳴にも似た王妃の声に、その場にいる全員が拳を握って力を込める。
「もう一回!」
「ふんっ!」
「もう一回よ! 大きく息を吸いなさい!」
「はあぁぁぁぁ……ふんっ!」
全員が息を止め、下腹に力を込めて顔を真っ赤にしている。
「おぎゃぁ おぎゃぁ」
一瞬の沈黙のあと、まるで戦に勝ったような大歓声があがった。
全員がアラバスに駆け寄り、肩を叩いたり握手を求めたりしている。
メイドが第一王子殿下の背中をバシバシと叩くなど、一生に一度あるかないかだろう。
手荒い祝福に髪も上着もヨレヨレになりながら、アラバスは歓喜の涙を流していた。
侍女長が疲れ切った顔で部屋から出てくる。
「王子殿下と王女殿下です。元気な双子ちゃんですよ。マリア妃殿下も無事でございます。おめでとうございます」
「双子! やったぁぁぁぁ!」
国王が両手を挙げて飛び跳ねると、使用人たちも一緒になって跳ねまわった。
「アラバス……おめでとう。まさか双子とはな。君のお陰で一気に二人の叔父になれたよ」
トーマスがアラバスに手を差し出した。
その手をガッツリと握りしめたアラバスが、これ以上ないほどの笑みで答える。
「ありがとう、本当にありがとう、トーマス」
ポロッと涙を溢したトーマスに、アラバスが抱きついた。
「やったな! アラバス!」
「兄上~~~~~~」
まるで自分が産んだように疲弊しきった顔で、ボロボロに泣いているアレンとカーチスがアラバスに抱きついた。
「ああ……本当にありがとう。アレン? それにトーマスも、なぜそんなに泣いている?」
「嬉しいからに決まってるだろ!」
お祭り騒ぎになっている廊下に、やつれた顔の王妃陛下が出てきた。
「お前たち! うるさいよ! 少し静かにしなさい!」
その一喝に使用人たちはすごすごと仕事に戻っていく。
「アシュとトマスとパパ、先に入って。カチスとアエンはちょっと待ってやって」
五人は一列になって部屋に入った。
王妃にマリア語が伝染していることには誰も気づかないままだ。
入ってすぐの扉の横で順番待ちするカーチスとアレンの後ろには、ぶんぶんと揺れる尻尾が見えるようだ。
「おめでとうございます。母子ともに無事でございます」
医者の言葉に頷いて見せたアラバスは、子を見るより先にマリアのもとに駆け寄った。
「ご苦労だったな、マリア。ありがとう……本当にありがとう」
「殿下……お世継ぎのご誕生おめでとう存じます。さすがに……疲れました」
その言葉に、大人のマリアのままなのだなと思ったアラバスは、ほんの少しだけ寂しいと思ってしまった自分に驚いた。
「ゆっくり体を休めてくれ。君が眠っている間にいろいろなことがあったのだが、それはまた後でゆっくり話そう」
頷いたマリアがアラバスに聞いた。
「ねえ殿下? 育児は楽しめまして?」
「ああ、とても有意義な時間を過ごさせてもらったよ。君はゆっくり休めたのかな?」
「ええ、生まれて初めて好きなだけ眠りましたわ。マリアちゃんに伝えることはございますか?」
少し考えた後、アラバスが穏やかな口調で言った。
「また会いたいと、そしてずっと愛していると伝えてくれ」
「畏まりました」
微笑み合う二人の間に、国王と王妃が真っ白なリネンに包まれた新生児を抱いて割り込む。
「名前は考えてあるのよね?」
アラバスの表情が抜け落ちる。
「あ……」
王妃の顔がみるみる歪んだ。
「このバカちんが!」
マリアがたまに言っていた『このバカちんが』というセリフは、王妃の真似だったのだなとアラバスは思った。
「可愛いですね。どちらが男でどちらが女なのでしょう? まだぜんぜんわかりませんね」
話題を変えようとするアラバスに乗っかったのは国王だった。
「うん、本当に可愛いな。不思議なものだ。お前の時もカーチスの時も、嬉しくて仕方が無かったが、孫はまた格別だな。嬉しいを通り越して尊くさえある」
国王の言葉に、その場にいる全員が何度も頷いた。
やっと呼んでもらえたカーチスとアレンが、国王夫妻に抱かれた赤ちゃんの顔を覗き込んでは悶えている。
トーマスがマリアの枕元に来た。
「マリア、ご苦労だった。よく頑張ったな」
「ありがとうございます、お兄さま。なんだか大きな役目を終えた気分ですわ」
「お兄さまか……もうお兄ちゃまとは呼んでくれないのかい?」
「呼んでもよろしいの?」
「ああ、たまにはそう呼んで欲しいな。アシュもカチスもアエンもきっと同じ気持ちだよ」
クスッと笑って肩を竦めたマリアが、ゆっくりと体を横たえて目をつぶった。
いつまでも騒いでいる男たちを追い出すために、王妃と侍女長が大きく息を吸い込んでいる。




