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アラバスの言葉に縫いつけられたように誰も言葉を発しない。
沼に足を取られたように、誰一人動こうともしなかった。
「お父様……」
沈黙の鎧を打ち砕いたのはレイラ・クランプ公爵令嬢だ。
「お父様、今のお話は本当ですの? 私のお母様は……亡くなったのではないの?」
ヨレヨレのドレスにぼさぼさの髪、剝がれ落ちた化粧もそのままにレイラが父親に近づいていく。
「レイラ……そうだ、お前の母親は……死んだんだ」
「噓だぞ、騙されるな。そいつは妻を売ってシラーズ王国との繋がりを得た外道だ」
大きな声を出したのは兵士に連れてこられたクランプ公爵家庭師のタタンだった。
「いつもそうだ。お前たちクランプの人間は誰かを利用してきた汚い奴らさ。お前の母親はそんな夫に愛想を尽かしていたのだ。だから夫を捨ててシラーズの国王に取り入ったのさ」
「タタン……貴様……裏切るか!」
「うるさい! 最初に裏切ったのはお前たちじゃないか! 俺は貴族として生きる人生をお前たちに奪われたんだ! 息子もそうだ。俺たち一族を地獄に堕としたのは貴様らだ!」
クランプが真っ青な顔で唇を嚙みしめている。
レイラがフラフラと父親に近づいた。
「ねえ……お父様……本当のことなの? ねえ、お父様! はっきり違うと仰って!」
最後は悲鳴のような声になるレイラ。
そんな娘の肩にクランプがそっと手を置いた。
「何も心配しなくて良い。それよりもお前、体は大丈夫か? 随分アラバス殿下に可愛がってもらっているようじゃないか。さすが私の娘だな」
レイラが化け物を見るように父親を見た。
「何を仰っているの? 私はシラーズ王国のラランジェ王女を傷つけた罪で貴族牢に収監されていたのよ? お父様には伝わっていなかったの? 私はあの日からずっと着たきり雀で湯あみさえもできていないのよ?」
「レイラ? 湯あみさえ? おい! どういうことだ! 我がクランプ公爵家の娘になんという仕打ちか! しかも我が娘を疑うとは!」
クランプが怒鳴る。
一歩前へ出たのはトーマスだった。
「疑いではありません。確定ですよ、クランプ公爵。レイラ・クランプは大勢の人間が見ている中で犯行に及んだのです。彼女の刑が確定していないのは、その犯行の原因となった者が死んでしまったからですよ」
「犯行の原因だと? ならばそいつが悪いんじゃないか! レイラに罪を犯させた奴は誰なのだ!」
あっさりとアラバスが答える。
「レザード・タタンさ。お前がさんざん利用してきたタタン家の息子だよ。そしてレザードを殺したのはドナルド・カードだ」
跪かされていたタタンがドナルドを睨みつけた。
さり気なく体をずらし、タタンの視線からドナルドを隠したトーマスが続けた。
「そしてそれを指示したのは、そこにいるシーリス・オスロですよ。なあタタン、お前たちが頼りにしていた西の国は、お前たちを消すつもりだったようだぞ」
「噓だ! 俺は……俺は妻さえ差し出して……西の国との繋がりを……」
予想外の告白に、聞いていた者たちが顔を顰めた。
「クランプのことを悪く言う権利はお前にはないな。お前こそクズ野郎じゃないか!」
トーマスが吐き捨てるように言うと、オスロの後ろで蹲っていたシーリスが声を出した。
「噓じゃない。お前たちは最初からそういう運命だったのだ。首尾よく計画通り事が運んでいたとしても、お前も息子も西の国に入国する前に消されていた」
「そんな……レザード……レザード……可哀そうな私の息子……」
タタンの悲痛な声を遮ったのはシラーズ王の声だった。
「なあクランプ公爵、そのレイラという娘は間違いなくあの人の子供なのか?」
「あの人? ああ、ライラのことですか? そうですよ、レイラは間違いなく私とライラの子です」
「そうか、種は誰でも良いのだが、産んだのはライラ妃と言うことだね? 間違いないね?」
「ええ、ライラが我が屋敷で産み落としたのです。間違いようもない」
シラーズ王が顔色を悪くして俯いた。
「まさか?」
そう言ったのはカーチスだ。
そのカーチスを見てシラーズ王が力なく言う。
「どうやら異父姉が異父妹を刺したようですね……残念なことだ」
部屋の中に衝撃が走る。
驚いていないのはシラーズ元宰相親子だけだった。
ボソッとカードが呟く。
「墓場まで持っていくつもりだったのですがね。間違いありませんよ、ラランジェ王女はレイラ嬢の異父妹です」
「そうか……私は初めてレイラ嬢の顔を見たが、ラランジェとは似ていないのだな。レイラ嬢もラランジェもライラ妃とは似ていないから、父親の血が濃いのだろうか」
シラーズ王が半ば放心したように言った。
カードが同情したように口を開いた。
「お二人の父親が果たして誰なのか、それはライラ妃しか知りません。クランプ公爵がレイラ嬢の父親だと言うのならそうでしょうし、ラランジェ王女が王女であると認められている限り、シラーズ前王のお子ということです」
「ははは! 父親とはなんと頼りない立場なのだ。まあ普通は起こりえないことだがな。要するにレイラ嬢とラランジェが血のつながった姉妹であるということだけが事実なのだな?」
カードが頷いた。
ワンダリア王がレイラに聞く。
「生まれる子は親を選べない。しかし、レイラ。お前が傷つけたのはシラーズの王女であるということに変わりはない。他国とはいえ王族を殺めようとしたことに対する罪は重い」
レイラが力なくその場に座り込んだ。
「どうぞ……どうぞ私を死罪にしてくださいませ。私は、知らなかったとはいえ妹に刃を向けました……許されることではございません」
そういうなり泣き崩れるレイラ。
今の彼女に声を掛けることができる者はいなかった。




