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 痛いほどの静けさを破ったのはノックの音だった。


「入れ」


「失礼します。国王陛下が第一王子殿下をお呼びです。側近の方々も同行するようにとの事でした」


 アラバスが頷く。


「わかった。アレンは一緒に来てくれ。トーマスはここに残れ。国王陛下には俺から説明しておくので問題ない」


「ああ、そうしてくれるとありがたい。心配を掛けてすまなかったな。アラバスもアレンも、早めに休んで明日の仕事に備えてくれ」


「そうだな、何があっても無慈悲なほど正確に朝は来るのだ。お前も少しは休めよ? 扉の前には近衛を配置してあるから安心してくれ」


 トーマスは主であり友であるアラバスに頷くだけで返事をした。

 二人が医務室から出ると、耳の奥でキーンという音が聞こえるほどの静寂がトーマスを包みこんだ。


「マリア……可哀そうに」


 眠り続けるマリアの手を握りながら、トーマスはマリアと自分のこれまでを辿り始めた。

 追憶の起点は今から十四年前に遡る。

 それまではごく一般的な貴族家だったという記憶しかないからだ。


「母上……」


「かあしゃま……おっきしてくだしゃい」


 棺の中で花に包まれている青白い母の顔。

 それを見下ろし拳を握り締めていた自分と、目を開けない母親を不思議そうに見ていた妹。


「出棺の時間だ」


 どこか冷静な態度で粛々と式を進行していた父。

 今思えば違和感しかないものの、当時七歳だった自分には気づくことができなかった。


「さあ、こちらへ。墓地に参りましょう」


 そう声を掛けてきたのは侍女長だったか、家庭教師だったか。

 

「今更だ……」


 あの日を境に平穏だったアスター侯爵家の屋敷を包み込んだじめっとした空気。


「たった二週間だもんな」


 葬儀を終え、なんとか日常を取り戻そうとしていた兄妹の前に並んだ父親と見知らぬ女。

 その光景を思い出し、トーマスの顔が歪んだ。


「お前は来月から貴族学園の初等部に入学する。全寮制ではないが、今の我が家を考えると入寮した方が勉学に支障が出まい。そのように手続きを進める」


 見知らぬ女の肩を抱きながら、父親が放った一言には衝撃を受けた。

 自分がいないこの屋敷に取り残されるマリアはどうなるのだろう。


「父上? その方は?」


「ああ、お前たちの新しい母親だ。お前たちはまだ幼いからな。母親という存在が必要だろうと思って連れてきたのさ。しかし母親という重責を担うには、彼女はまだ若い。彼女の負担を減らす為にもお前は寮に入れ。マリア一人なら使用人がなんとかするだろう」


 母親が必要だと連れてきた女なのに、子供の面倒をみるのは重荷だという。

 たった七歳だった自分でも分かるほど無茶苦茶な言い草だったが、当の二人はその矛盾に気づいてもいない。


 意味も分からず自分を見上げている妹を抱きしめ、漠然とした不安に心が震えた。


「僕が入寮するのは承知します。ですからどうぞ……どうぞマリアをよろしくお願いします」


 歯を食いしばってそう言った自分を見ながら、ケバケバしいドレスに身を包んだ女が言った。


「大丈夫ですよ。私はほとんど関わりませんから」


 身の回りの荷物と共に馬車に押し込められた自分を、泣きながら見送るマリアの顔。


「にいしゃま……にいしゃま……にいしゃまぁぁぁ! 嫌よぉぉぉ!」


 胸を締め付けられるような別れの痛みを思い出し、眠り続けるマリアの頬に指先で触れた。


「マリア……本当によく頑張ったな」


 散財する以外何もしない当主夫妻の現状を、祖父母に知らせたのは家令だった。

 納税の相談という言い訳で領地に赴き、悲惨な現状をすべて報告したのだ。

 すぐにやって来た祖父はすぐにマリアを連れ帰った。

 父親はいろいろと言い訳を並べたそうだが、後妻として入った女はそっぽを向いていたと教えてくれたのは誰だったか。


「おばあ様は厳しい方だったものなぁ。辛かっただろう?」


 トーマスは眠るマリアの横顔に話しかけた。


「没落しかけた侯爵家の娘を、王家に嫁げるほどの女性に育てようなどと……おばあ様も無茶な方だ」


 父方の祖父母に引き取られたマリアにとって、生活環境の変化は大変な事だっただろう。

 それでも頑張りとおしたマリアは、トーマスにとって何ものにも代え難い愛おしい存在だ。


「泣こうが喚こうが、おばあ様は不出来な私をお許しになることは無かったの。何度お兄様を頼って家出をしようと思ったことか。一度は本当に出たのよ? 街はずれまで歩いて、馬車に乗ろうとしたのだけれど、何処に行けばいいのかも分からないし、行き先掲示板の文字も読めないでしょ? もちろんお金も無くて。その時に気づいたのよ。逃げるにも知識は必要なのだと。それからは腹をくくったというか、逃げるために食らいついたって感じね」


 こんな話をしたのは、自分が留学に出る前だっただろうか。

 トーマスはマリアの顔から視線を外し、室内を映している窓を見た。


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