影法師と北極星
「乙女の花園へ一方的に押し入っておいてその言い草は何? お里が知れるわね。 でもいいわ、原始人如きにマナーなんて理解できないでしょうから」
桁外れの殺気に気圧され指一本動かせなくなったミサゴを楽しげに見つめつつ、アイオーンだったはずの者は底意地の悪い笑みを浮かべる。 目鼻顔立ち、そして艶やかな体付きこそアイオーンの面影を色濃く残すが、醸す雰囲気は正反対と言っても過言ではない。
サディスティックな雰囲気を纏う恐るべき淫魔は、豊かな身体を見せ付けるように身体を反らすと、悩ましげな吐息を漏らしながら己の身体を愛撫するように指を這わせる。
「私はこの子でこの子は私。 私はこの子の影法師であり太陽でもある。 名前はそうね……“アルコーン”とでも名乗っておきましょうか」
いつまでも名無しだとこの子も困るだろうと、アルコーンと名乗った女はおもむろに宙へ浮かび、長く扇情的な脚を組む。 見た目こそ穏やかに微笑んでいるように見えるが、黄金の瞳の奧に見え隠れする感情は極めて冷ややか。
侮蔑、嘲笑、憐憫、そして嫌悪。 憎悪までには届かぬとも、あらゆるマイナス感情の坩堝となり渦巻いている。
「それで、今さら貴方ここまで何しに来たの? 何もかも手遅れになった後に汚泥へキスしたって結果は同じ。 貴方自身が役立たずの蛆虫であることを改めて証明するだけ」
誰もが息をのむような淫靡な笑みを湛えつつも、アルコーンが紡ぐ言葉は苛烈の一言。 まるでミサゴの心へ粗塩を丹念に擦り込むように、彼女は一方的になじり続ける。
「貴方はこの子が一番居て欲しい時にそばに居なかった。 一度ならず二度までも。 敵を機械的に殺すことしかできないなんて、脳を持つ生き物というより昆虫に近いわよ貴方」
語り続ける声色こそ穏やかだが、込められる感情は次第に強く重くなっていき、場の空気を凍てつかせていく。
「あっ……ぐっ……!」
対してミサゴはそれに何も手を打つことが出来ない。 否、そもそも身体が思う通りに動かない。 瞬きをすることも呼吸をすることすら困難で、手足を動かすことなど思いも寄らない。 今までの人生で強大な敵と相対する機会は両手足の指を使っても数えきれないほどある。 しかし今ミサゴの眼前に佇む存在はそれらを超越する圧倒的な“格”を持つ者だった。
血走った眼を精一杯見開き、相手の様子を伺うことしか出来ないミサゴの脳裏によぎったのは濃厚な死の気配。
迂闊に指一本動かしたら死ぬという直感が、ミサゴの生への執着を諦観へと導いていく。
「私が自由に外に出られたらあの無知蒙昧な猿共々殺しにいこうと思ってたけど、行く手間が省けたわね」
暫くの間、値踏みするようにミサゴを眺めていたアルコーンだったが、みっともなく脂汗を流し、譫言のようにどもることしかできない下等生命体に対したちまち興味を失い、おもむろに指一本だけをミサゴに向ける。
途端に指先に集中するのは空間が歪んだと錯覚するほどに重いデータの集積。 現在地球上に存在するあらゆる記憶媒体では受け止めることなど不可能な暴力的なまでの圧力。 当然、人間の脳が受け止められることなどありえない。
「鬱陶しいから死になさい。 クズ肉とガラクタの混ぜ物が」
突き出された指先に灯るのは、アイオーンが操る紫紺の輝きと対極する赤朽葉の輝き。 相対する者を黄昏へと導く無慈悲な閃光がミサゴの見開かれた瞳を照らす。
「ごめんな……アイオーン……ごめん……」
心臓が数拍打つより早く飛んでくるであろう昏い光が宿す強い死の気配に完全に呑まれ、ミサゴは思わず呟いた。 何一つしてやれなかった乙女への悔悟の言葉を呟きつつも、今まで抱きもしなかった死の恐怖を今さらになって実感し、ぐっと目を瞑る。 今すぐにでもなくなるであろう己の意識にしがみ付くように。
……だが、ミサゴの意識は途切れなかった。 それどころか今まで自らを縛っていた殺意が引いていくのを感じる。
何が起こった? 思わず呟くよりも早く、身体中に伸びるノーザンクロスのコンポーネントが勝手に活性化し、アンプ化された左眼の中をシステムメッセージが流れ落ちていく。
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外部からの極めて不審な接続を検知
緊急セキュリティプロトコル起動
被標的ネットワークポート閉鎖
敵対的IPからのアクセス排除
現在利用中のIPリセット完了
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████████████████████
未登録プロセスによる割り込みを確認
........北極星はいつもお前を見守っている
「な……これは……!?」
「へぇ、貴方の中にも何かがいたのね」
「ッ!?」
訳も分からず困惑することしかできないミサゴに声をかけたのは、指先から煙を立ち昇らせるアルコーン本人。 しかし、今まで虫を見るような目をしていた彼女の顔からは険が取れ、代わりに興味に値するものを見るような理性的なものへと変わっていた。
ミサゴが何も知らぬうちに新しい玩具でも見つけたのか、彼女は極めて満足げな態度で淑やかに笑い声を零すと、改めて口を開く。
「いいわ、貴方を護った者の意志に今日のところは報いてあげる」
紡がれる言葉からは敵対的気配は失せ、代わりに醸し出される凪のような穏やかさが、今まで死の恐怖に冒されていたミサゴを束縛から解放した。
「はっ……!はっ……! ゲホッ!ゲホッ!」
「己の幸運をしっかり噛み締めなさいな坊や」
今まで満足に息を吸えなかった分を取り戻すかのように、必死に呼気を求めて激しく咳をするミサゴ。 その姿にアルコーンは一切興味を示さず上品に口元を覆いながら欠伸をすると、ゆっくりと目を閉じて身体を丸める。 すると今まで空間を支配していた威容は徐々に存在感を無くし、やがて元のアイオーンの姿へと戻っていった。
「何だったんだ今のは……北極星だと……?」
脅威となる存在が失せ、真っ赤な空間にただ一人残されたミサゴは未だ頬を零れ落ちていく脂汗を必死に拭いながら呟く。 彼はこんなセキュリティシステムがインストールされていたなど一切知らない。 そもそも北極星などというセキュリティソフトウェアはあらゆる専門カタログを参照しても存在しないことを、咄嗟に検索ソフトウェアを起動したミサゴは即座に知る。
ならば今のは何だ? そう考えたミサゴの脳裏に、決して違えるはずのない名が走り抜けた。
それは、伝説となった兄がハイヴより授けられた名前。 死後唯一遺された兄の生きた軌跡。
「兄貴……兄さんなのか……? そんな馬鹿な……」
生きているはずがない。 しかしそれを証明するのもいなくなった年月だけしかないのも事実。
だが、それは今重要なことではない。今何より重要なのは……。
「アイオーン……」
ようやくここまで来られたと安心する暇すら与えられず、ミサゴは目の前に浮かぶアイオーンの無惨な姿を見て強い悔悟の念に囚われる。 アルコーンの支配から解放された途端に彼女の精神体であることを示すアバターは、瞬く間にグロテスクなモザイクと赤いテクスチャによって覆われ、元の形が分からなくなってしまった。
これがアイオーンであることを裏付けるのは、無秩序に張り巡らされたテクスチャの奥からくぐもって聞こえてくる「痛い……怖いよ……助けて……」という悲痛な声のみ。
「俺は……結局この子の為に何もしてやれない」
思わず自嘲するミサゴ。 脳裏に浮かぶは返り血で汚れた顔を限りなく嬉し気に歪めるカケスの姿。
(大義名分ができて嬉しかっただろう? 気に喰わない連中を一人残らずぶっ殺す建前を貰えてなぁ!)
「……ッッ!」
決して忘却の果てへと押し流すことも出来ない忌まわしき記憶と、耳を腐らすような下品な哄笑がミサゴの荒んだ心を掻き毟る。 しかしその瞬間、一面朱赤い地獄だった空間の中に突如漆黒のテクスチャが出現した。
「何だこれは?」
過去の痛みに悶えることも忘れてミサゴは仮説を立てる。 今のはタイミングから察するに己が痛みを感じたからこそ発生した現象ではないかと。
「……俺にもできることがあるのかもしれない」
確証こそ無いが試してみる価値はあると、今まで心の奥にしまい込んでいた想い出という呪縛に踏み込む。 するとミサゴの読み通りの現象が発生した。 地平の果てまで赤が続く地獄のような世界が徐々に真っ黒な裂け目に侵蝕されていく。
その奇怪極まりない事象を認識しミサゴは確信した。 この空間はアイオーンの心の中などでは無く、自分自身と彼女が精神的に深く繋がったからこそ生成された空間であることを。
ならば、アイオーンの痛みによって満たされた空間をさらに強い感情で塗り潰すことができるのではないかと。
「……アイオーン、君は前に俺の昔のことを知りたいと言ってたな。 今からそれを教えてやる。 君が感じている痛みを、俺の悼みで洗い流してやる」
モザイクとテクスチャの混ぜ物となってしまったアイオーンの身体をしっかりと優しく抱き締めてやりながら、ミサゴは穏やかに口端を緩める。
直にアバター同士が触れ合ったことでミサゴの中へ流れ込んできたのは、新たな感覚に戸惑いつつも知りたかったことを聞けるというアイオーンの極めて微かな喜び。
それを噛み締めるように感じ取りながら、ミサゴは心の中で思わず願った。
どうか俺のことを恐れないでくれと。
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