潮騒が響く丘にて
さざ波とカモメが鳴く声が遠く聞こえる。 電子の営みに馴れきったパンドラシティに住まう者達が、忘却の彼方へ置いていってしまった自然の囁きだけが響く場所。
そこにパンドラシティによって急遽建設された、対電子生命体研究施設兼隔離病棟がひっそりと建っている。 外見こそただの富裕層向けの診療所と変わらないが、本質は流刑地。
サイバーアンプを介した電子イミュニティによる肉体の乗っ取りという前例のない報告は、ハイヴ上層部は勿論、パンドラシティ市議会を一時パニックに近い状態に陥れ、主幹ネットワークから厳重に隔離された電子的牢獄を即座に造り出すに至った。
建屋以外の敷地は原始的なブービートラップに埋め尽くされており、万が一コズモファンズ化した者が脱獄を企てても勝手に処刑が為される仕組みとなっている。 そこに人権が介在する余地は無い。 疑わしき者は皆死すべし、李下に冠を正す馬鹿が悪いとは建設に携わった直々の言葉。
研究員という名の看守が古い銃器を手に院内を彷徨く中、唯一監視が緩い部屋のドアから女の穏やかな声が漏れる。
「わざわざ見舞いに来てくれるとは思わなかったわ。 思ってた以上に義理堅いのねピルグリム」
「少なくとも人への情は持ち合わせてるつもりです。 それにパンドラシティの今の状況を知りたいと、人伝に頼んできたのは貴女でしょう?」
「まさか貴方が来ると思わなかったのよ。 事情を説明した途端に拉致されて今までどこに行ってたのやら」
リクライニングを上げたベッドに背を預けたまま、リーブラはクスッと笑ってみせるが、対するミサゴの目は一切笑っていない。 地上に現れたが最後、現代文明を容易く滅ぼせる化け物が出現したと思えば、そいつを問答無用で排除できる手段を持った人間が都合良くいたなどと、そんな馬鹿げた報告を鵜呑みにする者が一人としているはずもない。
結果、パンドラシティ上層部は過剰な恐怖におののき強権を振るい、企業等の島外勢力はフラクタス発掘停止阻止のため、違法盗掘者に一杯食わされたのだと騒ぎ立てる始末。
一方、情報が正しいと唯一断定できたハイヴは、ミサゴのアンプから回収したコードを元に新たなファイアウォールを密かに構築。 万が一の際、あらゆる勢力相手に恩を売れるよう、既に狡猾に立ち回っていた。
大量の暴力装置を抱えてなければ許されないアコギなやり方だが、勝手にコードを複製された側であるミサゴにとっては別にどうでもいいことに過ぎない。 組織に属したのもあくまで自身の目的のため。 後々どうなろうと知ったことではない。
「俺のことはどうだっていい。 ……身体の調子はどうです?」
「幸い健康状態に問題はないわ。 ただね、足だけがどうしても動かせないの」
壁を背に預けつつ近況を語り終えたミサゴが、リーブラの方へゆっくりと歩み寄りながら問うと、彼女は毛布に隠れた足へ視線を送りながらフッと寂しげに笑う。
「原因は分かってる。 あの化け物が私の身体を乗っ取る最中に死んだから、何らかのエラーが脳かサイバーアンプに残ったんでしょう。 リハビリのやりがいがあるわ」
「すみません、俺がもっと早くポッドに戻れていたら……」
「生きて還ってこられただけでも十分幸運だった。 貴方はベストを尽くしたのよ“トリカイ・ミサゴ”君」
「……ご存じでしたか、俺の名前を」
「組織内で上手く立ち回るために人様のことを知っておくのは当然のこと。 今のハイヴはデスクワークを面倒がる武闘派の単細胞が多すぎて、そう考えてはくれないけどね」
だから私のような立場の人間が割を食うのよと、リーブラの言葉はほぼ愚痴めいていた。 しかしミサゴの方へ振り向いた途端、微かに虚ろだった雰囲気が凜と引き締まる。
「それで貴方、お兄さんの後を追いかけてどうするつもり? 何も考えず潜るばかりでは、いつかミイラ取りがミイラになるわよ」
「俺が消えて悲しむ人間はそういないので心配いらないです。 お偉方は戦力損失を惜しむでしょうが、どこからかすぐに代役が現れる。 ここはそういう街でしょう」
そう、この街にはあらゆる物の代替品が必ず現れる。 取るに足らない労働者や兵隊から、普通なら替えの効かない科学者や英雄まで、世界中からあらゆるモノが流れ着いては移り変わっていく。 それはミサゴすら例外では無い。
唯一違う存在があるとすれば、ただ一人。 今この場にいないただ一人だけ。
「それをアイオーンちゃんの目の前でも言える?」
「……っ」
ふと思い浮かべた者の名を当然のように呼ばれ、内心動揺するミサゴ。 その隙を見逃さずリーブラは淡々と言葉を突き入れていく。
「あの娘が本気になれば恐らく何だってできる。 自身を所有物扱いするハイヴを焼き尽くすことも。 何も言わずフラクタスから逃げて自由になることだってできる。 にも関わらず、あの娘は自分の意志で貴方のそばに寄り添い続けた。 何故だと思う?」
フラクタスへ足を踏み入れる以前より、鮮血と硝煙が日常だったミサゴには決して分からぬ問い掛け。 表情にこそ出さないものの、返す言葉が見つからない焦りは自然と長い沈黙を生む。
「俺は……」
「あの娘にとって貴方はきっと、心の聖域に踏み入ることを許される唯一の人。 何も言わずに貴方が消えたら、あの娘の心は壊れてしまう」
「何故、貴女がそんなことを言い切られるのです?」
「さぁ? 同じ乙女だからとしか言えないわね」
ワケも分からず懊悩とすることしかできないミサゴとは対照的に、リーブラはただ困惑しっぱなしの無愛想な男のザマを生暖かく見守る。
「俺に一体どうしろと?」
「せめてそばにいる人間くらいには心を開きなさいな。 ちょっとした自分の昔話をするとかね。 ただ漠然と一緒に過ごすことだけが信頼じゃないのよ」
「……考えておきます」
見舞いに来たはずが逆にセラピーを受ける羽目になった感覚に陥り、ミサゴはムスッと彼女から顔を背け、何気なく窓の外を見る。
死体に群がるハエの如く、無数に蠢くフローティングキャリアーに纏わり付かれる摩天楼。
希望と絶望の街は、今日も饐えた死臭と甘美な香りを共に漂わせ栄えていた。
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