蠕動する肉塊
巨大な産業機械が放つ黄色い光が、一切の日差しが届かぬ企業の拠点をぼんやりと晴らし出す。
民間人の保護を条件にミサゴとアイオーンが連れてこられたのは、一定以上の規模を有する企業のみが所有を許される地下空洞。 湾港や工業地帯でもお目にかかれないような巨大重機が周囲で右往左往する中、二人は新たに合流したウマミ・ケミカル社の上級社員に案内され、まだ新しい工場内へ案内される。
大手食品製造メーカーらしく建屋内にはどこか芳ばしい薫りが漂っているが、工場内の物々しい雰囲気には実に似つかわしくない。
「それで一体ここは何処だ? 買い物客やら観光客が腐るほどいるトコの地下に重要施設を建てるほどアンタらも非常識じゃないだろ」
「ええ勿論、ここはパンドラシティ産業区に建造された我が社のセントラルキッチン。 謂わば世界中の皆様の厨房ですな。 おっと過大広告でもありませんよ? 世界有数の経済誌にもそう記されています」
「カネさえ積めば大量虐殺犯すら聖人君子呼ばわりするクズ共の言うことなんざ、最初からアテにしてない」
胸を張って堂々と語る社員とは対照的に、心底興味なさそうに振る舞うミサゴ。 彼の意識がもっぱら向いていたのは、自分に突き刺さる視線や複数種から成る高精度センサーの類い。 それに加えあちこちを歩く重装サイボーグの姿や設置された機材の仰々しさから、明らかに普通の場所ではないことを察していた。
「しかしおっかない場所だなここは。 首筋に銃口を突きつけられているような気分だ」
「余計な行動をすればすぐにでも現実になる。 大人しく案内に従ってくれれば誰の血も流れない」
「そうだな、一体誰の血が流れるかは知らないが」
随伴するウマミ・ケミカル側の兵士が陳腐な脅し文句を垂れるが、ここよりずっと危険で過酷な状況を生き抜いたミサゴは勿論、アイオーンにとっても虚仮威しにすらならない。
「それより、そろそろ俺達に任せたい事を話してくれると助かる。 アンタらの庭なんだ。 今さら聞き耳立てるような間抜けはいないだろう」
「急いては事をし損じますよ。 少なくともこの仕事は貴方の手から逃げはしない」
先導していた旧時代のサラリーマン然としたバーコード頭の男がにこやかにミサゴを宥めると、厳重な警備が敷かれたゲートを開放し、目的地らしき場所へ二人を誘った。
ドクンドクンと拍動音にも似た異音が絶えず響き渡る、緑色の色彩が怪しげに彩る隔離空間へと。
「ッ!」
「どうしたのミサ……ピルグリムくん」
「……いや何でもない。 きっと気のせいだ」
工場の設備にしては極めて異質な区画へ足を踏み入れると同時、何故かノーザンクロスが瞬間的に熱を持ち、ミサゴを内心焦らせる。
自分に対して好意的ではない集団の中で一旦弱みや大義名分を見せたらどうなるか。 それを理解していたミサゴは即座に検査プログラムを走らせてチェックを行うが、アンプに一切の異常は見られない。
気のせいなのかそれとも外部からのハッキングなのか。 原因が分からず懊悩とするミサゴの心など露知らず、案内を担当する社員が水槽らしき設備の前まで二人を連れていると、ようやく今回の依頼内容を切り出した。
「我々が貴方達にお願いしたいのは、何者かによって不法に持ち出された我が社のレリック“肉の芽”の奪還と下手人の捕縛もしくは排除です」
「レリックだと?」
「勿論、ハイヴとパンドラシティによる合法的な手続きの下で所有を許されたものです。 貴方が今ここで侍らす者と同じように」
「……っ」
アイオーンが物品扱いされたことを不快に感じ反射的に眉間を顰めるミサゴだが、説明を続ける社員の肝もそれなりに太いようで、一切怯んだ様子を見せずに説明を続行する。
「肉の芽より抽出される特殊な有機物を使って製造された製品は、かつて市場に出回っていたそれをまとめて駆逐するほどに素晴らしい物だった」
「故に我々は肉の芽に肥大化クローニング処理を施して生産プラントを形成。 瞬く間に業界のトップに躍り出たのです」
「おいまてよ……お前らまさか……」
「いやぁ流石に未知の物体を食用に転用するほど蛮勇ではありませんよ我々は。 これが担っていたのは専ら副業の方です」
ミサゴの懸念を難無く察知し、バーコード頭の社員はニコニコと笑いながら首を横に振って否定すると、データ化された会社のパンフレットをわざわざミサゴのアンプへ勝手に送り付けた。
「我が社は食品は当然として、アンプ製造部門においても多大な利益を挙げています。 特にバイオアンプ構成部品のシェアは我が社が他の企業を引き離してTOPです。 万が一生産に支障が出れば、影響はパンドラシティのみに留まらないでしょう」
「だからこれ以上被害が広まる前に処理しろってか? ハイヴは一応協力するだろうがいい顔しないだろう。 そもそも俺達クロウラーは企業の走狗じゃない」
「ええ勿論存じてます。 しかし貴方達も企業の著しい弱体化はお望みではありますまい。 企業の弱体化は生産されるアンプの劣化、即ちクロウラーの全体生還率に直結しますからな。 現場の一存で断れるはずがないんですよ」
バーコード頭はミサゴの顔にチラッと目線を向けた後、さっさとハイヴにコンタクトを取れと言わんばかりに間を入れる。 言葉遣いこそ丁寧だが、騒動を起こしておいて人様をメッセンジャー扱いする傲慢さは、流石のミサゴも反感を抱かずにはいられなかった。
そのみっともなく頭皮にしがみついた残りの薄毛をまとめて毟り取ってやろうと、無言で握り込んでいた拳を解いた瞬間、耳を劈くような警告を伴って強制的に回線が開かれる。
『やめろ馬鹿野郎! 今度は降格食らって事務にでも突っ込まれたいのか!』
ミサゴの暴力衝動を遮るように怒鳴り散らしたのは、先ほど通信を終了したばかりのアンダードッグ。 彼の叱咤は怒りと苛立ちで茹だっていたミサゴの意志へ突き刺さるように届き、深く踏み出そうとした足を無意識に止めさせた。
「……お前聞いてたのか? だったら連中が言ってることがふざけてると思うだろ?」
『ああそうだな、企業らしいご大層な言い分だ。 だがな、大企業が突然潰れて貰ってもハイヴとしては困るんだ。 ライバル企業の警備部門が適当な言い訳をでっち上げて、機密や技術を奪いに来るだろう。 一度デカい抗争が起きればうちの本業も滞る』
採掘にまで影響が出るようでは中立を気取ってる場合じゃないと、アンダードッグの言い方は乱暴だったが真摯だった。
『何にせよハイヴも既に騒動を把握して動いている。 しかし手早い増援は期待するな。 荒らされた商業区の警備と企業の牽制で手一杯だ。 イミュニティやコズモファンズ共よろしく皆殺しにして解決するワケにもいかん』
「PCPDは何をやってる? こんな時のための警察機構だろう」
『万一死んじまったら年金で楽な老後を過ごせねぇだろ。 真っ当な正義感でお巡りやるなんて余程のマゾ豚か世間知らずのアホだけだ』
「随分酷い偏見だな……」
『実際、ギャングと反社に傅いて小銭に溺れたカスを腐るほど見てきたんだよ俺は』
ピースキーパーが聞けば苦虫を噛み潰したような顔をするだろう文句を平気で吐き捨てるアンダードッグだが、仕事自体は真面目にやってるようで、愚痴る合間にも周辺で展開中の部隊のデータやハイヴからの通達が整理されて送られてくる。
『とにかくだ、問題解決のために力を貸してやれ。 ボーナスで金や信用スコアが出るんだ文句は無いだろ』
「……分かったよ」
上が状況を把握した以上、現場が理由も無く一存でご破算にするワケにもいかない。
目の前で憎たらしく笑うバーコードは気に食わないが、取り敢えず依頼に受けたことを伝えるべくミサゴは口を開こうとした。
――刹那、時間が著しく引き延ばされるのを背筋に伝う寒気と同時に感じた。
本能がけたたましく騒ぎ立てて伝えたのは、地下で散々晒されてきた混じり気の無い殺意。
その源がミリ秒後にやってくるのを理解し、ミサゴは咄嗟に刃の無いブレードを生成して非武装の社員達を可能な限り遠くへぶん投げた。
「何をやっているんだ!」と、周囲を固めていたサイボーグ達の銃口がミサゴへ一斉に向けられるとほぼ同時“それ”は強化された床を易々と突き破り姿を顕す。
肉、肉、肉。 他に著すべき言葉が見つからない、皮の下全てが剥き出しとなった異形の巨影。
悪趣味な創作ホラーの怪物を現実化したような怪物は、この場に生きる全てを食い尽くさんとばかりに咆哮をあげると、真っ先に目についたミサゴに向かって躍り掛かった。
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