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遺された痛み

 ハイヴが有する空中要塞“クロウラーズリージョン”は単なる軍事拠点としての役割のみならず、一種の都市としての機能も備わっている。


 パンドラシティからの覚えが悪いクロウラーやその家族達を護るため、文字通り彼らの“巣”となった箱舟には、生きるためにあらゆるものが築かれた。


 大規模インフラ、病院、学校、商業施設、歓楽街、そして本来置かれる予定の無かった墓地までも。


 過酷な旅路の果てに死に逝ったクロウラー達を人々は同列として扱うことを拒絶し、骸どころか辛うじて回収された遺品すらハイヴで管理するよう強いていた。 怪物と同等に渡り合う彼らも等しく怪物であると、嫌悪感を露わとして。


 あまりにも犠牲が多すぎるため一括埋葬されるようになった無名クロウラー達の巨大墓碑を中心に、数え切れないほどの簡素な墓が芝生の丘の上に立ち並ぶ。


「たとえ街を救うような功績を挙げても、地上で安らかに眠ることすら許されない……か……」


 人はある意味イミュニティ以上に無慈悲なものだと、ミサゴは造花を胸に抱き、霊園内を歩きながら呟いた。


「ようやく、花の一本でもアンタに手向けられるよガウスさん」


 ミサゴしか見えない淡いロケーターの輝きが導く先、ガウスが眠る墓の下へ向かいながら、今まで来られなかったことを内心深く詫びる。 既に目的の墓の周りには多くの花が飾られており、これだけ遅れては万が一祟られてもしょうがないと苦笑する。


 しかし、汚れ一つ無い墓の前で立ち尽くしていた一人の淑女の存在に気が付いた瞬間、ミサゴの表情が固く強張った。


 同時に、全身を黒のアンサンブルに包んだ彼女も、花を持って近づいてくるミサゴの存在に気が付いて頭を下げる。 薄い黒のヴェール越しに見えるその表情は、怒りでも悲しみでもなく、凪のような微笑み。


 如何なる感情を秘めているのか一切気取らせぬまま、彼女は言葉を紡いだ。


「その両腕のアンプ。 貴方、あの人と最期に組んでいたクロウラーね?」

「……はい、生きていた彼を最後に目撃したのは私です。 この度はお悔やみ申し上げます」

「そう畏まらなくてもいいわ。 彼と一緒に暮らしていたのはだいぶ昔、彼がクロウラーになる前の話だから」


 己の力不足を嘆くよう深々と頭を下げるミサゴの言葉を、淑女は恨み言一つ零さず許容し、また微笑む。


「初めまして、私はベルティーナ。 先日戦死したハインツ……ではないわね。 ここではガウスと名乗っていた男の妻です」

「……ッ」


 品のあるマダムが切り出した悪意無きただの挨拶は、それだけでミサゴの胸を強く締め付ける。 普段の鉄面皮が苦悶に歪み崩れてしまうほどに。


「そんな顔をしないで頂戴。 この残酷な世界で理不尽な死は日常茶飯事。 誰の責任でもない。 そうでしょ?」


 身を焼くような後悔に苦しむミサゴを気遣い、ベルティーナはそっと助け舟を出す。


「恨むべきは地から湧き出した化け物のほう。 街を救う為に尽力してくれた貴方に罪は無いのだから」

「……はい」


 再三に渡る許しと労りの言葉の末、ミサゴはようやく強張っていた表情をいくらか和らげると、ガウスの墓に花を添え両手を合わせた。


 作法こそ違えど慰霊の思いはベルティーナにも確かに伝わったようで、彼女は祈り終えたミサゴに再び微笑みかけると、ガウスの墓を撫でながら問う。


「ねぇ兵隊さん、この人が最期に何を見たか知ってる?」

「いえ、クロウラーの最後の記憶の閲覧が許されるのは遺族のみですので。 ……一体何を?」

「私よ、私の顔。 敵が私に化けてたのに驚いて、一瞬の虚を突かれて死んだらしいわ」

「……っ」


 卑劣な力を持ったカメレオンの、予想だにせぬ下劣な策にミサゴの表情が一瞬憎悪に染まる。 既に自分の目の前で無様に死んでいったにも関わらず、かの怪物へのやり場のない怒りは募るばかりだった。


 しかし、最も怒り嘆き悲しむべきはずのベルティーナの表情は変わらない。 まるで最低限の情動すら凍り付いてしまったかのように、彼女は淡々と言葉を紡ぎ続ける。


「男は幾つになっても馬鹿よね、自分から一方的に出て行っておいて忘れられないなんて。 だからあの人は、生まれたばかりの孫の顔すらも知らないの」

「……差し出がましい質問で恐縮ですが、何故ガウスさんはそんなことを?」


 本来なら踏み込むべきではない他人の事情であるが、ベルティーナの態度に何となく不穏な雰囲気を察したミサゴは、咄嗟に言葉を投げ掛ける。


 何故そう思ったのかはミサゴ自身にすら上手く説明できない。 しかしベルティーナにとっても不意だった問いかけは、彼女の無感情だった語気に少しずつ情動を含ませていった。


「軍隊に匹敵する程に強力なアンプの適合者に選ばれてしまったから。 彼は超人となって恐れてしまったのよ。 いつの日か魔が差して私と子ども達を殺してしまうんじゃないかって。 ……どんな平凡で優しい人でも、国を一晩で平らに出来るような暴力を手にしてしまえばきっと変わってしまう。 だから彼は、自身の精神が暴力の甘みに屈する前に姿を消した」

「……ッ」


 震えるベルティーナの言葉に、ガウスの加虐的だった笑みが脳裏にちらつくミサゴ。 だが彼女は、ガウスがハインツというただの平凡な男だった頃の綺麗な思い出しか知らない。


 故に、彼の判断が正しかったかもしれない事実を胸の奥に封じ、堪えきれなくなった涙を累々と零すベルティーナの嗚咽を、そばで黙って受け止め続けた。


「本当に……本当に馬鹿な人……。 本気で他人に成り果てたつもりなら、匿名で金なんて送らず気ままに生きていれば良かったのに……!」


 墓に縋り付くようにしてもたれかかった彼女が嗚咽を漏らす都度に、染み一つ無かった墓石の表面を零れ落ちた涙が伝う。


 しかしそれもほんの少しの間。


 しばらく泣き喚いて気持ちが落ち着いたのか、彼女はガウスの墓から身を離すと、傍らで沈黙を貫いていたミサゴに深々と頭を下げた。


「私はこれにて失礼します。 もし貴方に大切な人がいるなら大事にしてあげなさい」

「貴女こそ、御自身の命を大事になさって下さい。 きっとガウスさんもそれを望んでいるはず」

「……えぇそうね。 ありがとう兵隊さん」


 自分よりずっと若い者に励まされたのを恥ずかしく感じたのか、淑女は顔を隠すように帽子を深く被り直すと、彼女のみが知る死者との思い出と共に去って行った。


「大切な人か……」


 ベルティーナが残した言葉を脳裏で反芻しながら、ミサゴはふとパンドラシティ送りにされるまでの記憶の断片を思い起こす。


 拳銃で自らの頭を吹き飛ばした父と、病床から無理矢理引き摺り出された挙げ句嬲り殺された母。


 そして降りしきる豪雨の中、山のように積み上げられた惨殺死体を踏み躙り、立ち尽くす自分の姿を。


「まだあの子に伝えるには尚早だな」


 自分しか知らない大切な思い出にべっとりとこびり付いた、おぞましい鮮血の記憶。


 それを振り払うようにミサゴは一度深く呼吸をすると、涙の痕が残る墓に背を向け、ゆっくりと歩き出した。

今回も最後まで読んでいただき、まことにありがとうございます。


もし少しでも気に入っていただけたのであれば感想、ブクマ、評価を頂ければ幸いでございます。



たとえどれだけ小さな応援でも、私のような零細作家モドキには大きなモチベーションの向上に繋がり、執筆活動の助力となりますのでどうかよろしくお願いします。


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