悪魔の微笑
「何をやっているアイオーン、初めて見た物に迂闊に触れるな。 何が起こるか分からないんだぞ」
少なくともノーザンクロスのデータベースには記録がない得体の知れない物体へ、何の躊躇いも無く近づくアイオーンの肩を掴んで引き留めるミサゴ。
すると、彼女は自分でも戸惑いを露わにしながらも、確信を持った瞳で負けじとミサゴの顔を見返す。
「私はこれを知っている。 これのアクセスの仕方も使い方も」
「なんだって? どうして君がそんなことを……」
有り得ないことだとミサゴは口に出そうとしたが、初めてアイオーンと出会った日の事を思い出し、反射的に口を噤む。 発掘されたレリックに記録されていた未知の情報の渦と、そこから誕生した彼女の存在の特異さを。
それを意識するとアイオーンの肩を掴んでいた手は自然と緩み、自ずと装置への接近を許容する結果となる。
「分かる、分かってしまう。 誰もが呼吸の仕方を最初から理解しているように」
思わずミサゴが呟いた言葉へ答えつつ、彼女が装置に手を翳すと、箱形の機械が自ら変形し大きな端末としての姿を露わとした。 各部に刻まれた文字の意味こそ分からないが、画面や入力装置等の大まかなレイアウトは、地球上で製造された古いコンピュータや据置型サイバーアンプと変わらない。
「別の文明人とやらも、結局同じ考えや発明に帰結するか……」
的を得た話だが夢のない話でもあると、ミサゴは1人納得しながら改めてアイオーンをジッと見る。 いくら強力なシステムをアンプ内で構築してようが、ハッカーとしての技能が不足している以上、未知のネットワークに潜るなど自殺行為に等しい。
だが彼女なら? ベテランのクロウラー達すら理解できないであろうことを分かるアイオーンなら?
止めるべきか彼女の判断に委ねるべきか一瞬迷ったミサゴだが、そっと差し出された手が揺れる心を凪へと導く。
「ミサゴくんお願い、私と一緒にこれを見て欲しいの」
「……分かった、ただし何かあったら無理矢理にでも引き剥がすからな」
彼女の行動を把握するため、そして何より脳を焼かせないため。 ミサゴは覚悟を決めると、アイオーンが差し出した手と指を絡めた。
――刹那、ミサゴが装着したノーザンクロスと、アイオーンが秘めたる超自然的な力がリンクを確立し、2人の精神を太古のネットワークへ同時に没入させた。
知らない文字、知らない記号、そして奇妙な生物が被写体となった画像データが無数に立ち並び、飛び回るサイケデリックな世界。
「いつやっても慣れないなこれは……」
普段からネットワークに潜ってるハッカー達の気が知れないと、ミサゴはアイオーンに導かれるままに流されていく。 本能的に持っている知識を最大限に行使しているのか、彼女の動きは物理的世界よりもずっと機敏だった。
飛来するデータを片っ端から吸収しては還元し、己の知識として取り込んでいく。 やがて、ここのネットワークの構造を完全に把握したのか、ミサゴの意識を手に取りながら易々と最深部にまで到達すると、極めて堅牢なデータの檻へと手をかけた。
「何のデータか分からないけど、ここまで厳重に管理されてたってことは」
「きっと皆の利益になってくれると?」
「危険な物を処分せず、後生大事に取っておく人がいるなんていないでしょう? ……多分」
極めてアバウトな持論を展開しながら、アイオーンは封じられていたデータへ臆さずアクセスする。 その瞬間、今まで眩しかった視界に帳が降り、2人は暗がりが支配する世界へ強制的に投げ出された。
「何だこれは!?」
電脳空間で引き起こされた偽りの感覚であることをド忘れし、反射的にスラスターを起動せんとしたミサゴだったが、そばに居たアイオーンにそっと身体を小突かれたことで正気を取り戻し、現状を把握するに至る。
2人がアクセスしたもの、それは凄絶な戦いの記録だった。 地球上のどこの国も持たないような、極めて発達した光線銃や大小入り混じる大量の浮遊戦闘端末、そして重装のパワードスーツや機動兵器を有するハイテク軍隊が、たった一つの小さな生命体相手に殺し尽くされている。
虚空から降り注いだ光の雨が無数の命を貫き、極太の光の奔流が向かい来る敵全てを塵へと帰す。 最早それは戦争ではなくただの一方的な虐殺だった。
やがて、地を埋め尽くしていた精巧な軍隊が淘汰され戦場に静謐が満ちると、動く者がいなくなった大地に無慈悲な殺戮者が降り立つ。
宵時の空色をした長い髪に蒼い肌、黒い白目の中に浮かぶ黄金の瞳。 美の女神や淫魔が顕現したと誤認するほどに豊かで整った肢体。
異性に疎いミサゴが、息を忘れるほどに美しく凄艶なる者。
彼女はうずたかく積み上げられた骸の上で、持っていた錫杖のような物体にしな垂れかかると、突如ぐるりと首を反転させてミサゴの意識が存在する方向を確かに“見た”。
『わたしをみつめるのはだあれ?』
「……ッ!」
単なる記録映像に過ぎない筈のデータが、熱っぽい視線と共におぞましい気配を投げかけてくる。 明らかに異常な挙動にミサゴは即断即決でアイオーンの身体を装置から引き剥がすと、強制的にネットワークから切断した。
「くっ……何だ今のは? 別のところから侵入を察知されたのか?」
首筋にナイフを直に突きつけられたような生々しい感覚に、思わず頬に冷や汗を伝わせながら呟くミサゴだが、腕の中に抱き留めたアイオーンの様子がおかしいことに気が付くと、己が抱いていた恐怖など軽く吹き飛んでしまった。
「大丈夫かアイオーン!? しっかりしろ!」
「う……あ……大……丈夫……すぐに……良くなるから……」
「痩せ我慢するなよ、苦しいなら俺が受け止めてやるから」
「ふふっ……じゃあお願い……」
切断間際、強烈なカウンターハックでも喰らってしまったのか、アイオーンはミサゴの身体に寄りかかったまま動けないでいた。 まるで重量級ボクサー渾身のストレートを直に受けてしまったかの如く、彼女の反応は小さく鈍い。
「すまない、もっと早く切断できていれば……」
「謝らなくていいの……無理強いしたのは私なんだから……でも無茶をした甲斐はあったみたい……」
お姫様抱っこの要領で抱えられたアイオーンが意味深に呟くと、己のアンプ内に見慣れぬデータファイルが送付されていることにミサゴは気が付く。
「さっきの端末から抜き出したデータか? 人のことを言える義理じゃないが無茶をする」
「きっと役立つと思う……でも……」
「分かってる、解析は上に帰ってからだ。 変なの開いて脳味噌焼かれたら笑い話にもならないからな」
同じような仕込みに二度三度嵌まるほどアホじゃないと、アイオーンの身体を軽く抱えながら答えるミサゴ。 そろそろアンダードッグの作業が済んだ頃だろうと、隠された小部屋から身を乗り出すと、イヤミなハッカーのジトッとした眼差しが2人を出迎える。
「おい何だその距離感は。 わざわざイチャコラさせるために二人きりにしてやったんじゃないんだぞ?」
「ちゃんと仕事は済ませてる。 文句言われる筋合いはない。 そっちこそ進捗はどうしたんだ」
「へっ、ちょうど今終わったところだ。 全く手を煩わせやがるぜこの“ストラグル”とかいうワケ分からん連中はよ」
「「……ッ!!!」」
アンダードッグが軽口と共に零した組織名を聞きつけ、ミサゴとピースキーパーの表情が一気に固まる。
「ピーキーさんまさかこれは……」
「急いで戻るぞ。 襲撃を受けたのは恐らくここだけじゃない!」
「は? おい待てよお前ら!?」
ピースキーパーが問答無用にアンダードッグを担ぎ上げると同時、遠方から複数の銃声と爆発音が木魂してくる。 音の発生源は間違いなく、探索のスタート地点となった拠点の大広間。
限られたアクセス手段しか存在しない地中にすら、容易に侵入してくる事実に内心おののきながらも、今は潜り込んだ敵を討つべく、相手を唯一知る2人は先を急いだ。
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