引力という名の死神
カタカタカタと、ハッキングデバイスが稼働する音がブリッジに響く。 つい先ほどまで吹きさらしだった窓は、緊急防護用シャッターが降りたことで一斉に塞がれ、今は隙間風一つ入ってくることは無い。
同時に、先ほどまで外から響いていた砲撃音が消えたことに気が付くと、ミサゴはようやく肩の力を抜いた。
「コマンダーへ報告、こちらピルグリム。 犠牲こそ出たが標的イミュニティは始末した。 艦のシステムステータスを確認次第そちらへ帰投する」
『了解。 ガウスの件は残念だったが、彼の仕込みがあったからこそヤツは殺せた。 遺族には手厚い支援で報いるとしよう』
アンプから既に情報を得ているのか、ハイヴの反応も比較的軽いものであり、ミサゴも別にそれを咎めるようなこともしない。
これがハイヴの日常であるから。 どれだけ強力なアンプを植えていても、どれだけ訓練を積んでいようと、ただの運が悪かっただけで、上位のクロウラーすら容易く死に至る。
いちいち悼んでいては、戦いもままならない程に。
「……っ」
もっと上手く事を運べたかも知れないと、無愛想な仮面を被った下でミサゴは人知れず考えに耽る。
されど、死者を偲ぶという贅沢な行為が長々と許される筈も無く、続けざまに飛んできたハイヴ側からの言葉が、意識を無理矢理現実へと引き戻した。
『ところでピルグリム、本当にそちらに異常は無いのか?』
「デバイスから読み取った情報だと艦のシステムは問題なく生きてますが、何か問題でも?」
『僅かだが、艦の高度が落ちている。 今でこそ猶予があるが、半日も放置すれば自然と街に墜ちるだろう。 ブリッジを担当していた者の中に生存者はいるか?」
「いえ、残念ながら……」
『そうか、ならばこちらのハッカー部隊に対応させよう。 これで民自連の連中は我らに大きな貸しが出来るワケだ……いや、パンドラシティの小金持ち共も』
巨大な組織相手に大きな政治的イニシアチブを得られると、コマンダーは暫し嬉しげに呟くがそこはプロ。 すぐさま気持ちを切り替え、現在動けるハッカー達を招集。
ミサゴが設置したデバイスを橋頭堡とし、艦のシステムへの侵入を開始した。 当然、電子的に大したノウハウを持たないミサゴには一切手を出せない。
ハッキングデバイスから新たにメロディアスなビープ音が流れ始める中、ミサゴは手持ち無沙汰で壁面に寄り掛かりながらそっと呟く。
「アイオーン……、どうか無事でいてくれ」
彼女の力であれば、きっと生き抜いているだろうという確信はある。 しかしそれでも、やはり顔を見なければ落ち着かないと気を揉むばかり。
しかしその考えも、突如脳内に響き渡ったけたたましい悲鳴が掻き消した。
『アッガアアアアアアアアアアアアアア!???』
『なんだこのマルウェアは!?』
『何処の言語のクソッタレだこれよぉおおおおおおお!?』
「な……何だ……!?」
艦のシステムに潜ったハッカー達の断末魔が、ノーザンクロスに搭載されたサイバーアンプ部位を介し、ミサゴの脳内へ直接流れ込んでくる。
「コマンダー! 一体何がどうなってる!?」
『そちらに接続したハッカーが全員殺られた! システム防衛の為、全ての回線を切断する!』
「おい待て……」
状況把握の為、何とか交信を続けようとするも強制的に通信を切断され、ミサゴは思い切り壁を殴りつけた。
「あのクソ野郎!」
この状況でこんなふざけた仕込みをやれたのは、たった一匹しかいない。 しかしただのイミュニティが、自分が死んだ後のことまで考慮し計算ずくで動くなど前代未聞である。
さらに事態はこれだけに留まらない。 今まで平静を保っていた艦が、突如大きくバランスを崩し、揺れた。
「……まさか」
最高にイヤな予感が身体中を駆け巡ったミサゴは、シャッターが降りた窓を無理矢理こじ開けると、血の気が一気に引いたのを自覚する。
周囲を取り巻く雲が自ら上へ昇っていき、吹き上がる猛烈な風がミサゴの頬を思い切り叩く。
即ち、ハイヴが想定していたよりもずっと早く、艦が落下を開始していた。
「クソ! クソ! クソッ!」
このまま手をこまねいていたら終わる。
即断したミサゴは、緊急用艦内伝声管を引っ掴むと、外聞もかなぐり捨てて叫んだ。
「今生き残ってる乗組員に告ぐ! 誰でもいい! 艦を動かせるヤツは今すぐブリッジに上がれ! ただし艦内イントラには接続するな! ワームに脳を焼き切られる! 手動操作で艦の姿勢と高度を維持しろ! このままだと墜落して全員お陀仏だぞ! さっさとこい!」
カメレオンが小賢しくもブリッジを封鎖させていたシャッターの残りを余さず吹っ飛ばしつつ、ミサゴは考えた。
これで少なくともやれるだけのことはやったはず。 だが自分がやれることは本当にここまでなのか? もっと何か足掻けないか?
そう考えているうち、生き残りの船員達が急いで駆けつけたのを察知したミサゴは、ガウスが遺したアンプのコンポーネントを回収すると、自らは甲板へと身を躍らせ思考を続行する。
……否、そもそもの話、たかがクロウラー1人に一体何ができるのか? 自分だけでも助かる為に、急いでこの場を離れるのが現実的では無いのか?
轟々と身に打ち付ける風を身に受けて、どこまでも冷徹な考えが頭をもたげた。
――刹那、吹き荒ぶ風の音が無かったかのようなクリアな声がミサゴの脳内に響く。
「ミサゴくん!」
「……っ!?」
ハッとして顔を上げた先に漂っていたのは、全身煤塗れ灰塗れにされながらも無事に生きていたアイオーン。 彼女はいつものようにあどけない笑みを浮かべ、拳を握って立ち尽くすミサゴのすぐそばに舞い降りた。
「無事で良かった」
「当然! あの程度でやられちゃうほど私はか弱くないわ!」
思わず微笑んだミサゴの前でアイオーンは豊かな胸を張り、ドヤッと言わんばかりに己の無事を誇示するも、すぐさま態度を翻してミサゴの顔を覗く。
「でもそんな話をしている場合じゃないでしょ? ミサゴくんが求めたから、私はここに来たんだから」
「俺が君を?」
アイオーンの発言に一瞬戸惑うミサゴだが、彼女が秘める膨大なエネルギーの存在を思い起こすや否や、グッと頷き手を伸ばす。
「……そうだ。 一仕事終えて早々悪いが、力を貸してくれ。 この暗がりの中で震える人々を助けるために」
「勿論、貴方が望むならいくらでも」
頑なな表情のままミサゴが差し出した漆黒の篭手に、柔らかに微笑むアイオーンの手が重なると、地下で引き起こされたアンプのシステム改竄現象が再び引き起こされ、膨大なエネルギーがミサゴの体内を循環し始める。
「凄い……、パンドラシティのリアクターだってここまでのエネルギーを絞り出せないぞ……」
「今の私ではこれが精一杯、ごめんね」
「いや十分だ、後は俺の身体が吹き飛ばなければ何とかなる」
申し訳なさげに呟くアイオーンの肩へ腕を回し、彼女を加速の勢いで放り出さないようしっかりと抱き寄せるミサゴ。
それと同時に、ノーザンクロスのコンポーネントが接続された両腕、両肩、両足へ新たに生成された無骨な推進装置が唸りを上げ、翼を思わせる蒼い焔を轟々と激しく吹き上げた。
「ノーザンクロス、管理者権限よりオーバークロック起動。 全スラスター及び緊急冷却システムアイドリング開始」
「それで、これからどうするの?」
「艦の足りない推力を肩代わりして、艦のリアクターが完全に死んでるなら代わりに海まで曳航する。 出来る出来ないじゃなくて、やりきるんだ……!」
左眼を流れていく膨大な情報を読み込みながらミサゴは応え、高々と掲げた白銀の篭手に、先ほど回収したばかりのガウスのアンプを接続する。
「ガウスさん、アンタが遺したもの。 使わせてもらう」
アンプ同士の接続テストなど当然一切していない。 故に、何か不具合が起きればその時点で終わり。 だがそれでも、何も行動を起こさないよりずっとマシだと、ミサゴは覚悟を決めてブレードを抜き放った。
ガウスのアンプの影響を受け、強い磁気を帯びたブレードが船体を雁字搦めに縛り上げ、ミサゴと艦を固く結ぶ。
「耐えてくれよ俺の身体……!」
意を決してミサゴがグッと歯を噛み締めた瞬間、着用者自身が聞いたことも無いような凄まじい唸りを上げ、ノーザンクロスが紫紺の焔を吹き上げた。
ギチギチと骨格と筋肉が悲鳴を漏らし、船体が過剰な慣性で大きく軋む。
「ぐっ……おおおおお……!」
左眼の中で大量にPOPするエラーメッセージと、問答無用に身体中を駆け巡る激痛が、尋常ではない過負荷が発生している事実をミサゴに突きつける。
「ミサゴくん!? しっかりして!」
「へへ……このままじゃ……また死ぬかもな……」
冷静に考えれば戦艦一隻を丸々片腕一本で担ごうとするようなもの。 生きている方がおかしいのだと、ミサゴはアイオーンを左腕で抱きながら他人事のように考える。 もっとも、今さら芋を引くほど無責任な男でも無かった。
ゴールが見えない絶望的な苦悶に1分、また1分耐え続けるミサゴ。
あまりの苦痛にふと、このまま死んでしまった方が楽なのかも知れないと思い始めた矢先、エラーメッセージだらけだった左眼の中に新たな情報が送信されてくる。
送り主は、ブリッジに集った数少ない生き残り達。
甲板でへばり付いたクロウラーが何をやろうとしているのか察したのか、現在確認できる可能な限りの艦のステータスを、包み隠さず教えてくれた。
「浮遊装置及びメインリアクターが原因不明の機能不全、サブリアクターをフル稼働させて辛うじて墜落を防ぐので精一杯……か!」
危険な状況であることに代わりは無いが、ゴールが見えただけマシだとミサゴは狂気染みた笑みを浮かべ、空を仰いだ。
向かうべき先は海辺、それも港が存在しない未開発地域。
「……アイオーン、君はフラクタスの外を見てみたいと言ってたな? そのほんの一部を今から見せてやる」
「えっ?」
突然話を振られてアイオーンが困惑するも束の間、ノーザンクロスから噴き出すバーニア炎はさらに強く大きく輝き出す。
「駄目よミサゴくん! これ以上は死んじゃう!」
「悪いがそれはやめる理由にはならないんだよ。 特にクロウラー相手には」
そう、クロウラーは身内以外は誰も惜しむことの無いはぐれ者の集まり。 いくら偉業を為して昇進し、貴重なアンプを身体に埋め込もうと、その評価が覆ることは無い。
「野郎一人の命で街一つ分の命がペイできるならだいぶ得だろうさ……!」
船員達が高度の維持に尽力してくれたおかげで、破滅的な墜落の危機は遠ざかりつつある。 後は自分がやると決めたことをやり抜くだけだと、ミサゴは甲板を思い切り踏み締め、加速し続けた。
いつしか真横に吹き始めた風の中に潮の香りが混じり、微かな潮騒が響き始める。
「この音……」
「言ったろ、見たことの無いものを見せてやるって」
もうこれ以上のエネルギー供給は必要ないと、ミサゴがアイオーンの背に回した腕を離すと同時、着水の衝撃と共に船体の向こうから打ち寄せた大量の飛沫が、問答無用に二人の頭上へ降りかかる。
「うひゃあっ!?」
「間に合った……、間に合ったんだ……」
突然びしょ濡れになって困惑するアイオーンのそばでミサゴは大の字に寝転び、そのまま星が散りばめられた天を仰ぐ。
いずれパンドラシティの方から事後確認の為の調査隊が派遣され、回収されるだろう。 ならば今のうちに少しでも長く眠っていたいと、極度の疲労に流されるまま睡魔に身を委ねた。
今回も最後まで読んでいただき、まことにありがとうございます。
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