磁界の渦
ブリッジの中に一つ、黙って佇む人影がある。
ミサゴと別れ、カメレオンの捜索と平行し、ブリッジと武器管制の制圧を行うはずだった磁界の紳士。
彼の周囲では壁面、コンソール、窓、床問わず、あらゆる場所にゲル状の物体が貼り付き蠢き、殺してくれと囁き続ける。 ミサゴと同じく等級の高いアンプを装着しているのならば、彼らが何を欲しているのか理解しているにも関わらず。
「そろそろか……」
やれることはいくらでもあるにも関わらず、敢えて何もせず突っ立っていたそれは、固く閉じられていた隔壁がこじ開けられる気配を感じ取ると、にこやかに微笑みながら耳障りな音の源へ身体ごと向き直った。
「無事だったかピルグリム。 どうだ? ヤツは仕留められたか?」
ここには誰もいなかったと、にこやかに言葉を続けるガウスらしき影。
その返答代わりに飛んできたのは、白銀に輝くブレード。 刃の合間から瘴気の如き劇毒を振りまくそれは、標的の胸元へ叩き付けられると同時、磁力の流れによって丁寧に折り砕かれ、ばらまかれた。
「チッ……」
『ヌハハハ、同僚相手ニ随分ト無慈悲ダナ。 所詮ハ同族殺シノ畜獣トイウワケカ?』
「人様の姿を借りないと何もできないピエロが笑わせるなよ」
致命的な磁力線に囚われるよりも早く、ミサゴの身体は躍動し大きく距離を取る。 一気に踏み込んで首こそ取れないが、あちらから一方的にミンチにもされない絶妙な間合い。 互いの発する殺気により張り詰めた空気が、ミシミシと床に軽いヒビを入れる。
『……ドウシテ分カッタ? 余計ナ事ハ何モ言ワナカッタハズダガ』
「あの人は任務中に情報共有を怠るほどズボラじゃなかった。 それだけの話だ」
『フム、デハコノ教訓ハ次回シッカリ生カストシヨウ』
「次回だと? テメェに明日なんてねぇんだよ!」
怒号と共にミサゴが左腕を突き出すと、新たに追加された武装生成パターンである“キャノン”が火を吹き、砲撃の余波でブリッジの防弾ガラスが一斉に砕けて吹き飛んだ。
直撃の瞬間、激しい爆風がカメレオンの身体を呑み込み、偽りのガウスの面影を焼き尽くす。
しかし撃った本人に仕留めた手応えは無く、ガキンッと次弾が油断無く装填される音だけが虚しく響く。
『コンナ所デ銃デハ無ク砲ヲブッ放ストハ、ヤハリ君ハ非常識ナ獣ダヨ』
ブリッジに吹き込んできた風が余燼と焔を押し流すと、直撃を喰らったはずのカメレオンの姿が再び暴き出された。 モザイクの化け物としての本性を露わとした、邪悪な獣の姿を。
『サテ、君如キニ私ヲ殺セルカネ? 彼ガ持ッテイタ“アンプ”ト呼称スル機械ハ、君ノソレトハ相性ガ最悪ダロウニ』
「出来る出来ないじゃない。 ナメられたら殺って返すのが俺達に課せられた仕事だ!」
ケラケラケラと、下品でやかましい笑い声を零すカメレオンの下に、今度は伸ばしたブレードの切っ先が迫る。 大気を引き裂く鋭い悲鳴が耳を劈き、床を打ち据え跳ねた刀身が予測不能の軌道を描く。
その様をカメレオンは一瞬見下したような目で眺めていたが、磁力線に何故か捉えられないことを察すると真顔になって跳んだ。 バチバチと激しく帯電する刃を体捌き一つで躱しきり、叫ぶ。
『エエイ小癪!』
対策を打たれていたことに激昂し、思わず叫んだカメレオンは即座に報復として、散らばっていた金属片を弾丸の嵐と化し解き放った。
計器やモニターを尽く粉砕し、飛び散ったジェル状の命を引き千切りなら吹き荒ぶ。
「テメェに比べたら可愛いモンだろうがよ!」
宙にばらまかれた輝きの一つ一つが、身を悶える蛇の如くブレードが舞い踊る都度に砕け、無へと還る。次も次もその次も、決してミサゴへの致命傷とはなり得ないが、小さな刃は僅かながらも確かに身体へ傷を刻み、赤い雫を流させる。
「……小賢しい真似を」
『コノ程度ノ出力トシテハ、ソコソコノダメージダ。 マダ倒レナイデクレヨ? 試運転ハマダ終ワッテナイ』
「言われずとも、ここに来た理由を果たすまで死ぬ予定は無い!」
『自身ノ立場スラ慮レナイトハアワレナ。 君ニシロ先ニ殺シタ芋虫ニシテモ、近視眼的ナ連中バカリデイイ加減辟易シテキタヨ』
頬を伝う血を拭い、再びブレードを構えてみせるミサゴを、カメレオンは鬱陶しげに痛罵する。 彼にとってミサゴは既に敵としての意識は無く、もっぱら無駄に頑丈で邪魔な木偶の坊としての認識しかなかった。
故に、以前のアンプ所持者が敢えて実行しなかったアンプの力にも遠慮無く手を伸ばす。 カメレオンを中心に球状の磁力フィールドが展開され、周囲の金属を紙屑のように引き裂く姿に、人に化け続けていた際の病的な慎重さは感じられない。
『ドウダ? コレダケノ超磁力、生物トシテモ機械トシテモ半端ナ君ノ身体デハ到底耐エラレマイ』
「……根拠も無くほざくなよ、後で恥掻くぞ」
『根拠? 君ノヨウナ貧弱ナ生物ニ、ソンナ大ソレタモノハ必要アルマイ。 ドレダケ虚勢ヲ張ロウト、君ラハ弱ク醜イノダ』
舌戦に応じつつも、何故か本来の間合いから少しずつ距離を取り始めるミサゴの姿を見て、カメレオンは鼻で笑う。
臆病風に吹かれた。 勝ち目が無いと逃げ出した。 何にせよ決定的な不利を悟ったと、勝利を確信し、ガウスから奪い取ったアンプの出力を最大にした。
『何ニセヨ、コレデ君ハ終ワリダ。“マグネティスムス”最大出力デ起動セヨ。 アノ小癪ナ小僧ヲ擦リ潰セ』
この艦自体を射程に収め、確実に虫の息にしてやる。 その上でジェル状の生きたゴミに変え、反抗したことを後悔させてやる。 モザイクで構成された顔面を歪め、表情だけで雄弁と語るカメレオン。
しかし、事態はそう転がらなかった。 確かに奪い、支配したはずのアンプが動かない。
『アァ何故ダ? 何故私ノ制御ガ効カナイ?』
「人様のモンを扱うときはもっと親切丁寧慎重にやれ。 良い教訓になったな」
戸惑うカメレオンとは対照的に、何が起こっているのか把握しているのか、ミサゴはブレードを収め、アンプの出力を通常レベルまで落とす。
『貴様ッ!』
なめられた。 下等生物如きに侮られた。 殺す殺してやると、カメレオンは激昂し、動かないアンプへ再び命令を何度も送りつける。
すると、今まで寸とも動かなかったアンプが再稼働し、命令通りの挙動を開始した。 手足を、背骨を、骨盤を、再起不能となるまで粉砕するという酷薄な命令を。
だがその照準は、ミサゴや未だ艦内で人の身のまま生きている乗組員へ向かず、命令を無駄に連打したカメレオン自身の肉体へと飛んだ。
『ガッ!? ソンナ馬鹿ナ!』
「あの人はきっと、自分の身の丈に合った限界を分かっていたんだ。 だから、自分が絶対に扱わないレベルまで出力を上昇させた瞬間、着用者を自壊させるというセキュリティを仕込んでいたんだろう。 万が一奪われた際に悪用されないために」
『オノレ! 貴様最初カラ分カッテイタナ!?』
「いいや全く? ただあの人ならそうするだろうなって思っただけさ」
赤子に玩ばれる人形の如く、全身をあらぬ方向へと折り曲げられ、勝手に黄泉路の先へ旅立ちつつあるアホの横を、ミサゴはツカツカと通り過ぎていく。
既にカメレオンのことなどは眼中に無く、艦を司るシステムへその注意は向かっていた。
『クッ! ナンノツモリダ貴様! マダ私ハ生キテイルゾ!?』
「もう俺が手を出す必要は無い。 お前を殺すのは俺じゃなくてガウスさんだ。 お前はあの人の遺志に殺されるのさ」
『グバッ!? オノレェエエエエエエ!!!??』
敵の視界にも入れられない屈辱を耐えられず、ミサゴの背中へ必死に手を伸ばすカメレオン。 しかしその手も、雑巾絞りの要領で全身の骨ごと余さず砕かれ、最終的には身体中の血液を絞り出され絶命へと至った。
遺されたのは、かつてカメレオンだったと思しき皮と骨の塊と、体組織から離脱し機能停止したアンプだけ。
「下等生物ねぇ……。 その芋虫ごときに殺されるテメェは、一体何なんだろうな?」
辛うじて残されていたLANにハッキングデバイスを接続しながら、一瞥もせず呟くミサゴ。
そこについ先ほどまで見せていた敵への執着は無く、ただ死んでいった者への悼みだけがあった。
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