知性を持つ免疫
「ピーキーしっかりしろ! 俺の壁になれないまま死ぬな!」
「……何を馬鹿なことを言ってるんだ」
新たに察知した信号へ接近するやいなや、ミサゴの通信用アンプにアンダードッグのみっともない言動が飛び込んでくる。 馬鹿なこと言い出す前にせめて戦えと通信を送り付けたくなる気持ちをグッと抑え、ミサゴはアイオーンを抱えたまま高度を上げた。
「見つけた。 さっき貴方の眼が捉えたのはあれだよ」
「あぁ分かってる。 今すぐにでも殺さなければならないことも」
アイオーンが指をさし、ミサゴが強い殺意を抱いたのは、人を不安にさせるような不気味な形状をした巨大なナナフシ。
見た目に寄らず極めて高い硬度を有しているのか、その知性を感じさせない枯れ枝のような化け物は、ピースキーパーが纏う重厚なアーマーをか細い腕で易々と刺し貫き、伝ってくる鮮血を味わうように舐め取っていた。
「この薄汚い化け物が……!」
無防備にゆらゆら揺れるナナフシの後頭部を睨み、憎悪を燃やすミサゴの決断は早い。 アイオーンを一人宙に残し、己は全力でスラスターを吹かし敵へ奇襲をかける。
「死にやがれ!」
比喩で無く、音よりも速く飛んだ漆黒の拳が、貧相なナナフシの後頭部へ吸い込まれる様に叩き込まれた。 バチィンッ!という甲高い破裂音が響き渡り、みっともなく地にへたりこんでいたアンダードッグと貫かれていたピースキーパーの身体を、着弾時の衝撃で大きく吹き飛ばす。
通常のイミュニティなら確実に殺せる打撃。 しかし撃った本人の表情は芳しくなかった。
反射的に跳び下がって注意深く残心を決めたミサゴの頭上に、新たな敵意を察知した化け物の視線が降りてくる。
「あれで傷一つないのか」
『……当然だ。 未だ太陽系を出られない汚らしい蛮族如きに、高次文明人たる私に血を流させようなど無謀にも程がある』
「んだと!?」
どう見ても知性など感じられない化け物が、突然流暢な言葉をしゃべり出し罵倒してくる事実はミサゴの殺意を困惑でブレさせるに十分すぎた。
反撃を予期し構えたブレードを繰り出すことも思わず忘れ、相手の出方を伺うに留まってしまう。
もっとも、化け物はその辺に転がるアンダードッグとピースキーパーは当然として、敵対行為を行ったミサゴにすら然したる興味を持たず、宙に浮かぶアイオーンにのみ興味の視線を送っていた。
『おや、貴女のような種族とここでお目見えするとは珍しい』
ようやく話をするに相応しい相手が現れたと、嬉しげな語調で呟いたナナフシのような生き物は、ミサゴに襲われたことなどなかったかのように揚々と振る舞い、アイオーンに向かって優しく語りかける。
『私の名はミューテイト。 温暖海洋型惑星再現エリアの管理を行っております。 本日はどのようなご用件でしょう?』
「えっ?」
相手から接触されると到底考えもしていなかったのか、アイオーンが返せるのは戸惑いの表情のみ。 それに畳みかけるようにミューテイトと名乗った化け物は悠々とお喋りを続ける。
『先ほどの蛮族は貴女様のペットのようですが、一体何のおつもりですかな? 身分に差があるとはいえ、大義名分のない武力制裁は固く禁じられているはず。 それとも躾もロクに出来ない間抜けだと?』
「ペットだと? ふざけんなテメェ! 化け物の分際で何様のつもりだ!」
ブレードが閃き、ミューテイトの隙だらけの背中を再度殺意が襲うが、木目調の身体には傷一つ付かない。 それどころか、大型のイミュニティすら容易く両断できるはずのブレードが僅かに刃こぼれを起こす始末。
「……ごめんなさい、貴方の言っていることが分からないの。 私はまだ生まれたばかりだから」
『なんと! 貴女ほどの種族が何も分からないと!?』
ミサゴの攻撃が続く間にも勝手に進められる対話。 紳士的な口調で言葉を紡ぐ化け物は、ワケも分からずひたすら頭を傾げるアイオーンをしげしげと眺めた後、勝手に一人納得する。
『ははぁなるほど、以前無謀にも潜り込んできた蛮族共にしてやられたと。 偉大なる種族の方々もこれは大失態ですな』
「失態? 貴方は何を言ってるの?」
『何も言わずともよろしいですよ。 貴女には何の非もないのですから』
思わず後ずさったアイオーンを追い詰めるように、ミューテイトの身体が大きく立ち上がると、無数の長いトゲが鳥籠のように瞬時に伸びて彼女の逃げ場をやんわりと塞ぐ。
「え!?」
『彼の種族に傅くつもりはないが、身柄を引き渡せば大きな借りとなるでしょうな。 私のより良い将来の為、共に来ていただきますぞ。 無垢なる姫君よ』
「さっきから好き勝手ほざきやがって! ふざけるなよ!」
当然、ミサゴがそれを良しとするはずもなく、スラスターを全開にした突きが今度はミューテイトの身体の節を狙う。 いくら固くとも、内側から抉り抜かれたらどんな生き物もただでは済まない。
しかしミューテイトは硬いはずの身体をゴムのように器用に伸縮させると、ミサゴの突撃を児戯のようにいなして嘲った。
『威勢が良いな坊や、十把一絡げの雑魚共では確かに荷が重かろう。 しかしそれで私と対等に戦えると考えるなら、思い上がりも甚だしい』
「……っ!」
ゾッとするような宣告と共に突き出されるは、先ほどまでピースキーパーを貫いていたか細い腕。その動作は緩慢な動きであり、シールドでいなすのは極めて容易い。
だが、ミサゴ自身にも理解できない背を凍らす危機感が、盾で防ぐことを全力で拒絶する。
受けたら死ぬ。
先ほど相手にしたコズモファンズとの戦闘で晒された暴威が脳裏をよぎり、ミサゴは展開したシールドを咄嗟に分離して囮にし、攻撃を押し付けて逃げた。
その瞬間、アイオーンが放つ破壊の奔流に巻き込まれても傷一つない頑強な盾は、周囲の有機物とグチャグチャに混ぜ込まれ、ただの柔らかいジュレへと成り果てていった。 これではいくら硬かろうが話にならない。
「なっ……」
『ほぉ、良く避けたじゃないか。 飼い主のトレーニングが行き届いてると褒めてやろう』
反射的に後逸したミサゴを褒め称えるように両手を叩いてみせるミューテイトだが、次なる攻撃のための準備に抜かりはない。 今度は腕一本のみならず、新たに生成された無数の触手が銃弾以上の速度でミサゴへと迫った。
『さぁ、果たして何秒持つかな? 数えてやろうか?』
「くっ!」
これは弾けるのか?切り落とせるのか? そもそもこちらからの抵抗で防げる物なのか? 絶対に触れられないよう、ミサゴは己の耐G性能の限界まで引き出して逃げ回る。 アイオーンのそばから完全に離れないようにして。
「ミサゴくん!」
『見上げた忠誠心だ。 叶わぬ相手であっても飼い主を決して見捨てず健気に立ち向かってくる。 処分するには惜しいが、邪魔立てをするなら致し方在るまい』
鳥籠を破壊し逃走しようとするのを察したのか、今まで緩慢だったミューテイトの動きが急激に精彩を増し、確実にミサゴを狩ろうとする体勢に移る。
無数の触手を利用して逃げ場を制限し、追い込んだ先で致死の手翳しを見舞う。 その目論見は上手くいったようで、嵌められたことを理解したミサゴが足掻きとして再びブレードを抜き放った。
「……このダニ野郎!」
『面白い。 果たしてその棒切れで私を斬れるかね!』
振り翳した勢いで迫ってきた触手を一挙に切り落とし、増幅した遠心力を叩き付けてミューテイトを両断する。 しかしそのイメージは触手を数本切り落とした時点で無為となった。 触手と接触した瞬間に刃が瞬間的に錆び付き、軌道上に残ったものを力任せに引き切ったことで刀身自体が真ん中からへし折れる。
「ちっ……!」
「残念だったなぁ坊や」
表情自体に変化はないものの仄暗い瞳と声色から感じるのは、紳士的態度とは正反対の下劣な愉悦のみ。
「まだだ……!」
まだやれることがきっとあるはずだと、アドレナリンで引き延ばされた主観時間の中でミサゴが足掻く。ここから避けられるか? 殴り倒せるか? 何が最善かも分からぬうち、せめて一矢報いようと拳を握った。
――刹那、視界外から突如飛び込んできた毛玉のような何かが、ミサゴの身体を一瞬で掻っ攫った。
『何だ!?』
「一体どんな手品を使ったが知らないが、私がどうなったかは何となく分かるよ化け物!」
貫かれる寸前のミサゴを抱えて大地を疾駆したのは、艶やかに輝く漆黒の体毛を身に纏う、どこか柔らかな身体の線を有した優美なワーウルフ。
いくらミューテイトの身体に触れられても何故か一切変異を起こさないそれは、Uターンの勢いで慇懃無礼なナナフシの手足を易々と両断すると、緑色の汚い鮮血を雨のように降らせた。
『があああ!?』
「手慰みにその辺の物体と混ぜ込んで殺そうとしたんだろ。 だが、こんなインシデントが発生するまでは予測できなかったようだな?」
「その声……、まさかピーキーさんなのか!?」
困惑するミサゴからの問い掛けに、大きく裂けた口を意地悪く歪めて返すかつてピースキーパーだったらしき人狼。 それはアイオーンを捕らえた鳥籠状のトゲを易々と叩き割ると、眼を細めて寂しげに笑う。
「まさか大昔に死んだペットの形見が、こうやって私を護ってくれるなんてな……」
自分でも信じられないとピースキーパーが改めて正直な感想を零しながら、爪を剥き出し跳躍する。 狙いは最上段からの縦一閃のひとつのみ。
しかし敵も然したる物。 不利を悟るや水に潜るかの如く地面へ素早く溶け込み、そのまま脇目も振らず逃げていった。
跡には追尾するための痕跡どころか、長い身体を支えていたはずの足跡すら見当たらない。
「すまん、足を引っ張っちまった」
「あの……、ピーキーさん大丈夫?」
「大丈夫だから気にするな若人共。 そんなことより今は上への報告が先だ。 なにせ、短い間に色々なことが起こりすぎたからな」
「……あぁ」
新たな大空洞に犠牲者、そして確かな知性を有するイミュニティ。
それが語っていた“偉大なる種族”という言葉が頭から離れず、ミサゴを深く懊悩とさせる。
アイオーンの本質が一体何なのかと。
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