とんかつアレルギー
しいなここみ様の「とんかつ企画」に参加しています。
ホラージャンルですが、シュール(というか、荒唐無稽)なのでそんなには怖くないです。でも人は死にます。……たぶん。
その男の座右の銘は「好きな事をして生きていたい」。
または、「不味いもの喰って長生きよりも旨いもの喰って早死にする」だった。
彼は好きなものを喰って喰って喰いまくる。そのだらしなく膨らんだ身体に詰め込める限り旨い食べ物を詰め込む日々を送っていた。
男の行動に呆れて「もう少し節制するように」と助言をする者もいたが、彼が自慢げに座右の銘を披露すると更に呆れ、もう何も言わなくなった。
男は更に喰って喰って喰いまくり、酒を飲み、タバコも吞み、博打も少しばかり打ち、好き放題な生活を送っていた。
さて、そんな男の好物は色々あったがその内のひとつが、とんかつである。
彼の行きつけの店は厚さ2センチはあるだろうロース肉を使用していて小麦粉、卵、パン粉の衣をつけてじゅわっと揚げる。チリチリと音がしそうなほどの揚げたてのとんかつは狐色に輝いていた。男はこれにたっぷりのソースとほんの少しのカラシをつけてかぶりつく。サクッとした衣と柔らかい肉の歯ごたえに甘くとろける脂がたまらない。
男はとんかつを思うまま満喫し添え物のキャベツは少ししか食べないという、これまた身体に悪そうな食べ方を非常に好む。しかも最低でも週に二回はとんかつ屋に通っていた。
そんなに過剰に摂取をしていたのがいけなかったのか。
ある日満腹でとんかつ屋を出た男は、ぽうっと身体がほてり、皮膚に痒みがあることに気が付いた。腕を見ると赤い湿疹がほんのりと出ているような気がする。だが気にせずそのままに捨て置き、病院はおろか誰かに相談する事も無かった。彼は生活するための最低限の仕事以外、好きな事しかしたくないからだ。
翌週。状況はもっと悪くなった。
とんかつ屋からの帰り、彼は痒みに襲われて皮膚をかきむしり、呼吸が浅く苦しくなった。周りの人間も心配していたが、誰かがこう言った。
「ねえ、アレルギー持ってない?」
男には元々アレルギーは無かったが、アレルゲンの過剰摂取により後からアレルギー症状を発する事はある。彼は仕方なくアレルギー検査を行う事にした。とんかつには特定品目では卵や小麦粉、準ずるものも含めば豚肉やソースの原料のリンゴなど、アレルゲンが多数含まれている。それぞれの検査をしなければ何がアレルギー症状の原因なのか特定が難しい。
「検査の結果ですが、どれも反応が出ませんでした」
不思議ですねと首を捻る医者をヤブめと心の中で罵り、男は病院を出る。その足でコンビニに寄りカツサンドを買って食べた。
途端に全身の猛烈な痒みに襲われるとも知らず。
男の症状は、世にも珍しいとんかつアレルギーだった。
豚肉や小麦のアレルギーではない。とんかつがダメ。だからコロッケとトンテキの盛り合わせ定食を食べるなら症状は出ない。
けれども。とんかつは勿論、ヒレカツも、ミルフィーユカツも、カツサンドも、カツ丼も、カツカレーも全て食べてはいけない物になった。
食べてはダメだと思うと余計に食べたくなる。狐色のサックサクの衣を纏ったとんかつを夢にまで見るようになった。元々好き放題を極めてきた男が我慢をする事など難しい。少しなら、と誘惑に負けて食べてはアレルギー症状が発生し、そしてその症状は発生する度に酷くなるようだった。
そのうち恐ろしい事に。
ある日、とんかつ屋の前を通った男は店の排気口から漂う美味しそうな香りを嗅いだ途端、腕に湿疹が浮かび上がったのに気がついた。
アレルゲンの過剰摂取により、遂にとんかつの空気を吸うだけでもアレルギー症状が出るようになってしまったのである。
こうなるとかなり日常生活に影響が出てくる。街を歩いていてとんかつ屋が見えると、いちいち迂回をしなくてはいけない。更にとんかつ屋でなくてもカツを揚げているような所には近づけない。会社の社員食堂には入れなくなったのでコンビニで昼御飯を買おうとする。
「期間限定でとんかつ販売中でーす」
レジ横のホットスナックコーナーにとんかつがあったのを見た途端、男の全身に痒みが現れた。
男の症状は行き着くところまで行き着いた。
なんと遂に「とんかつ」という言葉を聞くだけでもアレルギー症状が出るようになってしまったのである。
更に命を脅かすほど症状が重くなっていた。
とんかつを喰いたくてたまらないが、次にアレルギー症状が起きたらもう死ぬかもしれないという状況だ。かつては「旨いもの喰って早死にする」等とスカしていたが、やはり死にたくはない男は耐えていた。
とんかつを喰えないストレスの捌け口に、男は他の好きな食べ物を喰いまくった。さらに酒もタバコも博打の機会も増えた。
今日も雀荘に来ている。卓を囲んだ友人知人は男の事情を知っているので、食事の出前にカツ丼を頼むのは避け「とんかつ」という言葉も控えている。男はありがたいと思いつつも勝負には手加減しない。
「それポン」
牌を右手に寄せると、東の牌がカツっと音を立てる。
男は猛烈な痒みと共に呼吸困難に陥った。
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