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純文学集 2023

秘密の町と夕顔の花

作者: 蒼月トモカ

「……」


立ち尽くしていた男は、その場に崩れ落ちた。周りには一切人がいない。黒焦げの廃墟に一人佇む男……



彼がその(ひと)に出会ったのは、今からひと月ほど前だった。町はずれの古びた一軒家に、彼女は一人で住んでいた。夏の日に咲く(はかな)げな夕顔のような、素敵な(ひと)だった。


彼はもともと首都の中心部にある、高層マンションに住んでいた。しかし、突如として起こった内戦に巻き込まれ、家を失った。そのために、彼は住める家を探して町はずれをさまよっていたのだ。そんな時に、出会いが彼に訪れた。


この小さな、でもしっかりした家で。この素敵な女性(ひと)と一緒に。暮らしていけるのだとしたら、どんなに素晴らしいことだろう。彼はそう思った。


彼女も、こちらを見つめてきた。

いつかどこかで見たことがあるような、不思議な雰囲気を(まと)った男性(ひと)。こちらを見つめる瞳には一切の敵意はなく、むしろ親しみを覚えてくれているようだ。


互いに惹かれあった二人は、ともに暮らしていくことを決めた。



二人の暮らしは、内戦が起こっているなど嘘のように穏やかだった。

近所の人々も親切にしてくれた。もちろん最初はいぶかしむ人もいたが、そのうちに打ち解けていった。


ともに暮らし始めて20日目。彼が言った。

「何故、君は名を名乗らない?」

彼女はこう答えた。

「こうしてともに暮らし、愛し合うことができるなら、名前などいらないわ。それに、貴方に名乗る気がないのなら、自分だけ名乗るわけにはいかないでしょう?」

「そうか、そう思っていたのか。」彼はつぶやくように言った。そして、

「なら、名乗ろう。俺の名前は、メルト。君の名前は?」と言った。

「…名乗れないわ。」震える声で、彼女は言った。

「何故。」「だって…」


「本当のことを言ってしまったら、貴方は私のことを嫌いになる。それに、貴方はそんなことをしないと信じているけど、殺されてしまったっておかしくないの。それも、私だけじゃなく、町の人全員。」

「一体どういうことなんだ。絶対に嫌いにならない、とは言えないけど、殺すだなんて絶対にしない。教えてくれ。分からないままで終わらせたくない。信じてくれ。」

「分かったわ。本当は言いたくないの、泣いてしまうかもしれないけど、いい?」

「構わない」


彼女はゆっくりと語り始めた。

……この町に住む人々は、かつて――16年前――弾圧されて首都の中心部から追われた民族であること。

  不当な差別を受けずに済むよう、自分たちだけで町を作り、ひっそりと暮らしていること。

  自分は22歳で、6歳の時に弾圧と逃避行を経験していること。

  もとは両親・兄・自分・妹の5人家族だったが、逃げる途中で父と妹が殺されたこと。

  その後この家で暮らし始めたこと。

  兄がある日出かけたきり帰ってきていないこと。母が昨年病気で死んだこと。……

そこまで言い終わる頃には、彼女の目はうるんで決壊寸前になっていた。真っ直ぐこちらを見ることも難しいようだった。


メルトは、彼女と同い年だった。記憶を手繰ってみれば、確かに小学校1年生の時に、首都から追い出された人々のことをニュースでやっていたような気がする。当時の自分には、何のことかさっぱりわからなかったけれど。

「殺されてもおかしくない」と彼女が言ったのは、こういうわけだったのか。腑に落ちると同時に、一つ疑問が浮かぶ。


「じゃあ、何故俺をこの家に招き入れたんだい?」

気になって当たり前だ。こんなトラウマを抱えて、名乗ることができないくらい苦しんで。

それでも何故自分を招き入れて、愛も受け入れてくれたのだろうか。


「自分でもよく分かってなかったの。でも今分かった。貴方は兄に似ているのよ、たぶん」

鼻をすすりながら彼女は言った。袖で涙をぬぐっている。

9歳の時から会っていないから、本当にそうかはわからないけど、と彼女は付け足した。

「そうだったのか…」

「町の人たちもね、最初はスパイか何かだと思ったのよ、きっと。でも、私が信用してる相手なら平気だろうって思ったんでしょうね。」

「さっきも言ったけど、俺は君がどんな過去を持っていようが、関係ない。好きでなくなってなんかいないさ。」

「それなら嬉しいわ。ここまで秘密を明かしてしまったんだもの。名前も教えましょう。私の名前は…」

「君の名前は?」聞き返してくれて嬉しかったのか、彼女は頬を赤らめて微笑した。


その時だった。町のあちこちから悲鳴が聞こえだしたのは。

その後のことは、もうよく覚えていない。


最初は彼女を守ろうとしていたはずだ。でも、逃げるうちに、二人を繋いでいた手はほどけ、メルトは一人で走っていた。途中で兵隊に見つかった。この町の民族のことを知っているのだろう、目がギラギラしていた。怖くなって、懐から運転免許証を取り出した。それを見た兵隊は、俺がこの町の住人ではないことに気づき、俺の手を引いて歩きだした。


その後、ちょっとした取り調べを受けて、メルトは解放された。

彼女を裏切ってしまったことへの後悔ばかりが残っていた。

これでおしまいです。

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