剣術指南役クロウ・アカツキ
【登場人物】
ロッシュハウト公爵
クロウ・アカツキ モブ獣人だが剣術指南役
エリザベート 公爵令嬢
ラナ 侍女
ザウト 公爵の従者兼護衛
俺が人間の女に懐かれるのは初めてじゃない。黒い毛並みに金の瞳、小柄な俺はどうやらかわいく見えるらしい。猫背だし。
が、こうクールな感じのナイスミドルガイなオジサマにも好かれるとは思わんかったわ。
「クロウくん、こっち。よく来たね!」
手をブンブン振っているのは、輝くばかりのプラチナブロンドに濃く青い瞳……冷酷とも恐れられるロッシュハウト公爵だ。
その後ろでエリザベートが恥ずかしそうにうつむいている。
「どうも。御厄介になります」
「エリザベート、彼を本館の図書室に案内して差しあげなさい」
「はい、お父様」
最初はエリザベートの差し金かと思ったが、どうやらちがうらしい。彼女は真っ赤になって謝ってきた。
「ごめんなさいっ、お父様が勝手に……クロくんにとんだご迷惑を」
「いいっていいって、俺もベマ湿原の古戦場目当てだし」
さすがに観光気分ってわけにもいかないが、実際に軍師リューンが戦った場所をみるのは楽しみだ。
しっかし俺が〝剣術指南役〟ねぇ……どう考えてもそんな必要はなさそうだけど。
公爵の従者ザウトはどうみても玄人だし、私兵たちもキビキビとしたいい動きをしている。
「こちらです。規模は王城図書館ほどではないのですけど」
「……すっげぇ」
それしか感想がでてこなかった。俺はこんな豪華すぎる図書室を見たことがない。
そこかしこに値が張りそうな調度が置かれ、書見台やそれを照らす魔導ランプすら芸術品のようだ。
入り口からアーチを描く階段が二階へ続き、壁はすべて本棚となっている。
司書らしきスタッフも数名いて、本もきちんと整理されていた。
「公爵邸で働くスタッフだけでなく、領民にも開放しているので。学者のかたが長期滞在されて、論文を書かれる際に利用されることもありますわ。代々の公爵が趣味で集めた私物ですけど、みなさまのお役に立つなら何よりですもの」
……金持ちってやつぁ!
やーわかる。本棚どころか書店まるごと買えるような財力をお持ちなのね。
それを公開することで、公爵は居ながらにして市井の情報や最新の研究まで知ることができる。
まぁ、せっかくだから活用させてもらおう。
「クロくんはベマ戦記がお好きなんですよね。ベマ戦記はとても人気があって、こちらにコーナーを作ってあります」
「うぉっほー」
これまた感嘆のため息しかでない。やべぇ品ぞろえだ。
ベマ戦記全巻のほかに解説本、使われた兵器の図録集、軍師リューンの生い立ちを記した伝記、それに参加した兵士の手記、戦場の跡をめぐった紀行文……山ほどある。
「クロくんならこの本に興味を持つんじゃないかしら、それからこれも……」
ウキウキしたようすで本を選んだエリザベートは、俺がぽかんとそれを見ているのに気づくと、ハッとして顔を赤らめた。
「ご、ごめんなさい。私ったらはしゃいじゃって」
白い指がギュッと抱えた本をにぎりしめる。少しこわばった顔は陶磁器のようで、緊張したのか彼女から表情が消えた。
「ははっ、やっぱアンタ〝メガネちゃん〟だわ」
プハッと俺がふきだせば、青い目をみひらいた彼女はホッとしたようにつられて笑う。氷の令嬢はあっというまに溶けた。
「すっかり元気になったじゃん、よかったな」
「クロくんのおかげです。教えてもらった〝ビアンカの嘆き〟を読んだら、悲しくて涙がとまらなくなって。でも彼女の強さにしびれて。あれからエリス女官長とも、本の話で盛りあがって仲良くなったんですよ」
「へぇ。俺さ、アンタのそういう『ざまぁ』とか考えない優しいとこ好き」
そのとたんエリザベートは大きな青い目を潤ませ、真っ赤になって俺に抗議した。
「クロくんっ、いまのはふいうちですっ!」
「あのな、優しいとこが好きって言ったんであって、エリザベートを好きとは言ってないからな」
ずーっと俺をにらみつけていた侍女がたまらず叫んだ。
「ちょっと黒猫っ、近づきすぎよっ!いまお嬢様のことを『エリザベート』と名前で呼んだでしょっ!」
「へーへーわかったってばさ」
「ラナ⁉️そういえばいまたしかに『エリザベート』と」
赤くなったほほを押さえるエリザベートの横で、ラナは俺に文句を言った。
「黒猫ごときがお嬢様の心をもてあそぶなど、私が許しません!」
「もてあそんでねぇし。それに俺は黒ヒョウを守護獣に持つ猫型獣人であって、黒猫じゃねぇっ!」
まぁ退屈はしないな。
実際に訓練に参加してみれば、俺は剣の腕はそこそこだから、何度手合わせをしてもザウトに剣を弾き飛ばされる。
俺は汗をぬぐいながらヤツに言った。
「アンタが剣術指南役をやればよかったんじゃねぇの?」
「私は公爵をお守りせねばならない」
剣をひと振りしてさやに納めると、ザウトは赤い瞳で俺をみおろした。
「アカツキの出身と聞いた。きみはジャオが使えるか?」
「……ああ、まあ」
「では、今度はそちらで」
すぐにジャオが用意されたのには驚いた。ジャオはいわばカギ爪だ。手に装着すると、指先から鋼鉄の刃が突きだす。
切り結ぶ刀とちがい肉弾戦に近い動きで、相手の肉を切り裂いて喉笛を突き即死させる。
俺たち獣人族にはなじみのある武器だが、人間たちはあまり使わない。俺も使うのは故郷を離れて以来、かなりひさしぶりだ。
装着したジャオを構え、ザウトと向かいあう。ジャオを知ってるなんて武器マニアなのか?
ジャオ同士がぶつかれば金属音とともに火花が散る。数回打ちあわせて飛びすされば、ザウトが赤い目をみひらいた。
「これは驚いた。きみは剣よりもジャオのほうが得意じゃないか」
「故郷では夢中でやったけど、こっちでは不気味がられるし……それに腕だってたいしたことない。兄貴たちにはやられっぱなしだった」
「そうか?だが基礎がしっかりできている。隊員たちにはジャオの指導をお願いしよう」
「ジャオの?」
「ああ、対暗殺者の訓練になる」
「あ、了解」
ジャオのイメージは悪い。夜目が効く獣人が夜襲や暗殺で使う武器だからだ。
お話のなかで主人公を追い詰める悪役は、たいていジャオをつけている。
けれどアカツキでは聖なる守護獣の力を象徴する、英雄の武器とされていた。
(あ、やべ。アカツキに帰りたくなっちまったなぁ)
まだ帰るときじゃない気がしていたが、本当に何年ぶりかでアカツキに帰りたいと思えて、俺は頭を振った。
「公爵はきみを気にいっておられる。ミュゼの地をまかせてもいい、とまでおっしゃっていた」
「それ領地をくれるってこと?かんべんしてくれ、俺はただの衛士だ。領地経営なんざできねぇよ」
「きみのような流れ者には、過分なお心遣いだと思うが」
「……俺は流れ者じゃない。いずれは故郷アカツキに帰る。持って帰れないものはいらない」
「アカツキ……大陸の東の端にある獣人の国か。帰るのも数年がかりで命がけだぞ」
「それでも、だ」
俺はザウトの赤い瞳を見返す。灼熱の大地カーゴの民と同じ特徴を持つ男が、どうやってロッシュハウト公爵の信用を得て従者に取り立てられたかは知らない。
だが俺も同じような道を歩むつもりはない。すっと目を細めて俺を見返し、息をつくとザウトは訓練場の入り口を指した。
「それと剣術指南はあちらの方に」
「あちらの方?」
みるときれいなプラチナブロンドの髪をきちっと一本にたばね、訓練着を身につけた公爵令嬢が剣を手に緊張した面持ちで立っている。
動きやすく体にフィットした訓練着って……いや逆に目の毒じゃねぇ?
「クロくん……いえアカツキ先生、よろしくお願いします!」
公爵、あんたの教育方針どうなってんだよ。
次回で完結です。今日中に投稿します。