従者と侍女の困惑
【登場人物】
ロシュ公爵
ザウト 侍従
エリザベ-ト 公爵令嬢
ラナ 侍女
城で諸々の手続きを終えたロシュ公爵は、従者のザウトを伴ってようやく公爵家の馬車に乗りこんだ。
カラカラと車輪が動きだし、座席に座りなおし息をつくザウトに、公爵は濃い青の瞳を向けた。
「ザウト、何か言いたそうだね」
「閣下、あそこまでする必要があったのですか?」
「衛士たちの働きをみたろう?彼らは仕事もあるし訓練だけやるわけにもいかない。ひとりひとりの実力はおそらくそこそこだ。だが連携はとれているし、衛士長も部下たちから信頼されているようだ」
衛士隊を手放しでほめる公爵に、従者は顔をしかめた。
「一筋縄ではいかぬ人物を好まれるのは、あいかわらずですね」
衛士長にもクロウという衛士にも、自分たちが城を支えているという気概がある。
公爵の権威にも動じず、譲るべきところは譲ったが、堂々と自分たちの主張は通した。
主の性格からして、逆にそれを好まれたのだろう。
「きみみたいにね、ザウト。だれが信頼に足る人物かを見定めているのだよ」
プラチナブロンドに濃い青の瞳、外見もあいまって「氷の令嬢」とも呼ばれるエリザベートは、公爵邸でもほとんど笑顔を見せなかった。
ただ黙々と機械のように、お妃教育としてだされた課題をきちんとこなしても、「笑っているところを見たことがない」だの「生き人形」だの陰口を叩かれたのはやっかみだけではない。
かといってエリザベートに「親しみやすさを身につけろ」と言っても、困惑するだけだろう。
それをあの衛士の青年は自然に引きだしてくれた。
ロシュ公爵は懐から折りたたまれた白い紙をとりだすと、侍女ラナからの報告にもう一度目をやった。
「まさかラウル殿下のひと言を真に受けていたとはね。エリザベートの笑顔など実に何年ぶりだろうか。クロちゃ……いやクロウくんが氷を溶かしてくれたな」
「……まだ信用されるには早いかと」
にこりともせず返事をする従者にむかって、公爵はにっこりとほほえんだ。
苛烈な性格で知られる灼熱の大地カーゴの民が、わざわざ窮屈なスーツを身にまとってまで自分のそばにいる意味を彼はよく知っていた。
「そうだね、だが彼はきっとエリザベートにいい影響を与えると思うよ。心配ならきみも協力してくれたまえ。きみこそ僕が信用している盟友だからね、ザウト」
公爵邸に戻ってたエリザベートは、帰宅してしばらく姿を見せなかったラナが部屋へ現れると、声を弾ませて確認した。
「ラナ、どうだった?」
「申し訳ございません、お嬢様。あの黒猫を侮っておりました」
ラナは悲痛な顔でうなだれる。エリザベートからお願いされたことを完璧に遂行し、「すばらしいわ、ラナ!」と言ってもらえるのが彼女の喜びなのに。
「え、それじゃあ……」
「隠し撮りはできませんでした、こそりとフォトを向けても撮る瞬間、かならず気づかれてしまうのです」
ラナが見せたフォトはすべてブレブレで、何だかわからない黒い影がぼやっと写っている。エリザベートは落ちこむラナをなぐさめた。
「しかたないわ、きちんと『撮らせてください』とお願いすべきだったのよ。あら、でもこれって……」
エリザベートの目が最後の一枚でとまった。ラナはそれが悔しくてしかたがない。
「あざとい、あざといですわあの黒猫!」
あの獣人はおとなしく本を読むと見せかけて気まぐれに動き、まともなフォトを全然撮らせなかった。
それなのに最後の一枚だけ、こちらがドキリとするような笑みをフォトへむけた。
「まともな画ひとつ撮らせないくせに、最後の最後で気まぐれに笑うなど。フォトで狙うには被写体として最高ですわ、腹立つ!」
ラナは怒りに拳を震わせた。フォト越しに侍女へむかって笑いかける余裕があるなら、お嬢様に甘い言葉のひとつでもかければいいものを。
態度は気安いくせに、最後まで淡々とそっけなかった。
「そんなことない。すばらしいわ、まるで私にむかってほほえんでいるみたい。ありがとうラナ、これ私の宝物にするわ!」
本当にうれしそうに笑って、エリザベートはフォトを大切そうにそっと胸に押しあてる。ラナはそんな彼女のようすに眉をさげた。
「お嬢様……」
「いつも姿をお見かけするだけでよかったの、ホントよ。きょうはお話できて夢みたい。それにちゃんと私に笑いかけてくれたわ」
エリザベートは図書館での会話を思いだし、くすりと笑った。彼のことを考えるだけで笑顔になれる。
思いだすだけで気が滅入るラウル殿下とは大違いだ。
窓辺で真剣に本を読む彼はすこし猫背で、本当に黒猫が丸まってるみたい。
目が合ったのは時々しかない。恥ずかしくてすぐにそらしてしまったけれど。
心の中で「クロちゃん」と呼んでいるだけで、名前すらちゃんと知らなかった。
「これでお城ともサヨナラね、いい思い出ができたわ……ありがとう、ラナ」
エリザベートは公爵に連れられて領地に戻る予定だ。
もう城に用はないし、新しい縁談のことなどすぐには考える気になれない。
いきさつがいきさつだけに、しばらくは公爵もそっとしておいてくれるだろう。
「そのことでございますが」
ラナがためらいがちに口をひらいた。本当にこれがお嬢様のためになるのだろうか……と思いながら。
「旦那様が〝剣術指南役〟としてクロウ・アカツキを領へ招かれました。ひと月のあいだ彼はロシュ公爵邸本館に滞在するそうです」
クロウの写真を抱きしめたエリザベートの目がまんまるになり、ラナは「やっぱりお嬢様は美しいわ」と見当ちがいな感想を抱いた。