公爵、あんたもか!
【登場人物】
エリザベート・ロッシュハウト 公爵令嬢
クロウ 黒ヒョウを守護獣に持つ猫型獣人
ラナ エリザベートの侍女
ロッシュハウト公爵
エリザベートの顔色はよく、昨日のショックは尾を引いてなさそうだ。むしろ目を輝かせて、キラキラした笑顔で話しかけてくる。
「あの、昨日はきちんとお礼も言えなくて。クロくん、私の命を助けていただいて、ありがとうございました」
その後ろで俺をにらむようにして付き添いの侍女が立っているけど、俺たちの会話を邪魔する気はないらしい。
「どうも。それを言いにわざわざ?」
「ええ」
うなずくとエリザベートはポッと顔を赤らめる。公爵家の情報収集能力、恐るべし。そういや連れている侍女も身のこなしにスキがない。
昨日の今日だ、公爵も娘のまわりに手練れを寄越したんだろう。
とりあえず俺は隣の椅子をすすめた。公爵令嬢を立たせとくわけにもいかないだろ。
侍女は立ちっぱなしだが、視線を合わせても首を横にふるだけだ。座る気はないらしい。
「よくここが分かったな……ていうか、でかけて大丈夫なのか?」
彼女はこくりとうなずいた。
「はい、犯人も捕まりましたし」
俺がしっかり休んでいる間に犯人は捕まり、事件は解決したらしい。さすが俺の同僚たちだぜ。
俺?俺はだってモブだもん、手柄たてるなんてガラじゃねぇし。
「それで衛士の詰め所にお礼にうかがったのですが、クロくんは休暇だと聞いて、ひょっとしてこちらかもって。そうしたらやっぱり!」
彼女の言葉に俺は飛びあがった。
「えっ、俺の趣味が読書って……だれかしゃべったのか?」
プラチナブロンドをさらりと背中に流し、濃く青い瞳を輝かせた彼女は首を横にふると、恥ずかしそうに両手をモジモジと組み合わせた。
「いいえ、私が勝手にそうじゃないかって。その……以前からこちらでお見かけしていたのです。窓辺に座って夢中で真剣に本を読んでいるクロくんは、日射しのなかで黒髪が淡く金色に輝いて……」
「はぁ⁉」
思わずデカい声がでて、あわててあたりを見回せば例の侍女が、無言で俺をにらみつけたまま指を一本唇に当てる。わーってるよ、んなこと。
「じゃ、俺のこと元から知って……」
「はい。いつも見つめるだけで、私から話しかける勇気はなかったのですけれど」
俺はエリザベートの顔をまじまじと見た。こんなに近くで見てもきれいな顔だ。
白磁のようなツヤのある透明感のある肌に大きな青い瞳、目と鼻の配置も申し分ないし、つんと先のとがった小さめの鼻も筋が通ってる。
でも俺と同じような背格好……と考えて、ふと思いだした少女がいる。
「あーっ、アンタもしかして〝メガネちゃん〟?」
やっぱりデカい声がでて、あわててあたりを見回せば例の侍女が、無言で俺をにらみつけたまま指を一本唇に当てる。や、だって驚くだろ。
エリザベートはパッと花がほころぶように笑った。
「そうです、覚えててくださったんですね!」
〝メガネちゃん〟は俺と同じ、図書館の常連仲間だ。といっても話をしたことはない。
俺が図書館にいくと〝メガネちゃん〟がいるし、逆に俺の読書中に〝メガネちゃん〟が本を探しにやって来ることもある。
「やー、全然気づかなかったわ」
「髪の色も変えてメガネをしていましたので。その、図書館には息抜きに通っていたので、見つかりたくなかったのです」
城にお妃教育に通っていた彼女は、息がつまったり落ちこんだりしたときに、あてがわれた自室で休んでいることにして、図書館に避難していたらしい。
羽を伸ばすのも思うようにできないのは大変だな。
なんか〝メガネちゃん〟を大広間でガン見していたかと思うと、急に照れくさい。ちょっと侍女の視線も意識しつつ、俺は彼女に質問した。
「あのさ、なんであのとき、大広間で俺見て笑ったの?」
「うれしくて」
「は?」
目元を潤ませながらエリザベートは自分のほほを手で押さえる。
「お城の舞踏会ですから私も着飾ってましたけど、クロくんもすごく素敵で……あっ、いつもの衛士服も素敵ですけど、舞踏会では金モールのついた正装でしたし。しかも私を見てくださってるなんて夢みたいで」
あ、ガン見バレてた。でもオッケーぽい。俺は内心胸をなでおろした。
自分のほっぺたを押さえて興奮したようすできゃあきゃあ言ってるのは、あの「氷の令嬢」エリザベートだ。
「つまり、正装の俺にときめいちゃったのか」
「ええ、私あのとき『死んでもいい!』って思いました」
力強くうなずく彼女に、俺は思わず突っこんだ。
「自分でフラグ立てんなよ」
「お嬢様、そんなことを言えばこの者が勘違いします」
ツンケンした侍女がにこりともせず、俺にクギを刺すように言い放つ。
へーへー、分かってますって。俺はモブの衛士、身の程はわきまえてますって。
それでも相手が〝メガネちゃん〟だと思うと、俺も気が楽になった。
「なんかさぁ、それ前から俺のこと好きみたいじゃん」
プハッと笑って顔を見れば、エリザベートはみるみる真っ赤になる。え、マジ?
どこが「氷の令嬢」だよ、こんなにわかりやすく表情が変わる。
「もっとそうやって笑ってればよかったのに。あの王子といるとき、ぜんぜんそんな笑顔見せなかっただろ」
あっけにとられて俺がそう言えば、彼女はうつむいた。
「笑うなといわれたのです、ラウル殿下に」
「あ?」
「だれかれかまわず気安く笑いかけるな、そうラウル殿下に言われてしまって。王城ではうかつに笑えなくなりました」
「んだよ、それ……」
エリザベートは美しい。輝くプラチナブロンドに濃い青の瞳は鮮やかで、ぬけるような白い肌のなかで唇だけがふるりと赤い。
こいつがちょっと笑うだけで、大輪の花が咲いたみたいだ。
だれもが彼女に目を奪われる。
つまりラウル殿下は、それが面白くなかったんだろう。
ああいうタイプはつねに自分が一番で、まわりからおだててもらわないと気が済まない。
裏を返せばそれだけ自信がないってことなんだろうが。
身近な婚約者をおとしめることでしか、心の平安を保てないなんてちっちぇ男だな。
背は俺より高いけど!
うむ、男の価値は背丈じゃ決まらない。俺の持論その一に、貴重なサンプルが一個追加された。
「ですが笑わぬように心がけていたら、こんどは『つまらぬ女』だと」
エリザベートの表情が固くこわばった。そうか、そうやって氷の令嬢はできたのか。
素直な彼女は殿下の気持ちが理解できず、いわれた通りただ従ってしまった。
「泣きたきゃ泣いていいんだぜ?」
「でも、このような場所で泣くなんて」
俺は席を立ち、本棚から目当ての本を探す。特徴のある背表紙だから、すぐに分かった。
「ほら、これがいい」
エリザベートは本の表紙を見つめ、タイトルを読みあげる。
「〝ビアンカの嘆き〟?」
〝メガネちゃん〟はいつも教養書の棚のあたりをウロウロしていた。
きっとお妃教育に追われて、恋愛小説なんか読んだことがないんだろう。
「すっげぇ悲恋ものらしい。前にエリス女官長が目を真っ赤にして読んでてさ、だからアンタも今読めよ。それなら鼻すすりながら読んでたって、だれも不思議に思わないから」
本を受けとったエリザベートは目を見開いた。
「エリス女官長って……あの厳格な方が?」
「ちゃんと泣いてやれ、自分のために。頑張ったのに上手くいかなかった自分を、憐れんで悲しんで嘆くんだ。アンタが笑うのはそれからだ」
「はい……」
俺はようやく目的のベマ戦記を読むことができた。
その横でポロポロと涙をこぼして、エリザベートは静かに泣く。顔をゆがめて泣きじゃくったっていいのによ。
日が高くなり、図書館には昼休みになったスタッフが、チラホラと姿を見せ始める。目を赤くしたエリザベートはだいじそうに本を抱えた。
「ぐすっ、結局〝ビアンカの嘆き〟は読めませんでしたわ。お借りして家で読むことにします」
「ああ、またな」
俺はヒラヒラと手を振った。「またな」と言ったのはただの社交辞令だ。
お妃教育からはずれた彼女は王城から去るだろう。もう俺との接点はなくなる。
「お嬢様」
侍女が近寄ってきて彼女の目元に軽く治癒魔法をかけた。すっと腫れを引かせる鮮やかな手並みに、俺は感心する。
「ありがとう、ラナ」
「昨夜も私がついていれば、この者などに後れをとりませんでしたものを」
たしかにそうだろう。公爵家子飼いの女なんてヤバい感がヒシヒシだ。二人と別れた俺は中庭にでて、衛士の詰め所を目指した。
「ちょっくら顔出して、事件の顛末でも聞くかなぁ」
そしてそんな俺を待ちかまえていたように、詰め所でザワザワしていた同僚たちは、俺の姿をみるとすっ飛んできた。
「クロウか、ちょうどお前を呼びに宿舎へ人をやるところだった。ロッシュハウト公爵がいらしてる!」
「へっ?」
「すぐ衛士長室へ!」
プラチナブロンドに濃い青の瞳、年齢にふさわしい威厳と風格を備えた公爵は、俺の姿に目をみはるといきなり、デッレデレの笑顔になった。
「クロちゃん……!」
公爵、あんたもか!
クロウ「俺は黒ヒョウを守護獣に持つ猫型獣人であって、断じて黒猫のクロちゃんではない!」
だそうです。