窓際で待つ
手紙が届いた。
と言っても、真っ赤な楓だが。
秋からの手紙だと思った。
あんまりロマンチックな届き方じゃない。
ひらりと布団の上に落ちてくるとか、読んでた文庫本に被さってくるとかなら良かったんだけど、現実はそんなに甘くなかった。
ベッドと窓際の壁の3センチ程の深淵に呆気なく引きずり込まれた情熱的な手紙を、暇だった俺は救出することにした。
冷たい床を滑る指先に触れる柔らかい葉の感触。
もう少し…と更に体をかたむけた俺の左腕に、チクッと鋭い痛みが走った。
涙目になって目をやれば、銀色のポールから伸びる無数の透明な管。
それは俺の袖に入り込み、脆弱な俺の体をいつだってこの世につなぎ止めてくれている。
これは何本かズレたっぽいな 。
痛む左腕を揉みながら、ギリギリ掴み取った赤い楓を見てにんまりする。
それにしても本当に真っ赤だ。
ペンキで塗られたような均一さ、かつ鮮やかさに謎の感動を覚える。
俺はサイドボードをゴソゴソやって、お目当てのものを見つけると艶やかな楓にそれを滑らせた。
完成したソレを陽の光に透かす。
その出来栄えに鼻を鳴らして、クッションに背を預けた。
窓の外で楓たちがざわざわとゆれる。
次はイチョウとか降って来ないかなー…
※
ピーッピーッと忙しなく機械音がなり、バタバタと動き回る先生たちの喧騒がどこか遠くに聞こえた。
俺は祈るように目を瞑りながら泣く母さんの手を強く握りながら、眠る兄ちゃん顔を凝視していた。
『大丈夫、ちゃんと元気になって帰って来るから』
眩しく笑ってそう言った兄ちゃんの声がとても懐かしい。
明るくて面白くて、なんでも出来る大好きな兄ちゃん。
兄ちゃん、約束破るのかよ。
クリスマスには帰ってくるって言ったろ。
『えー、なんで忘れてんのさ。僕の誕生日だよ』
『そうだったかぁ?』
『ほんとに忘れてたの…?』
『ごめんごめん冗談。ちゃんと覚えてたって。プレゼント、用意しといてやるよ』
『ちょっと気が早くない?まだ10月だよ』
『いーの』
あきら、あきら、うわ言のように呟く母さんの声に、我に返った。
心電図モニターには、確実に弱くなっていく兄ちゃんの心音がはっきりと映し出されている。
母さんの兄ちゃんの手を握る強さが、反対側の俺にも伝わってくる。
俺も堪らず兄ちゃんの手を握った。
「兄ちゃ、」
ピーーーーーーーー
長い長い終わりのブザーが室内に冷たく響いた。
医者たちの掛け声よりも、お母さんの喚き声よりもずっと大きく聞こえた。
涙が出なかった。だって信じられなかったから。
なんで兄ちゃんが。なんで、こんな。
※
空っぽになった兄ちゃんのベッドに何か置いてあった。
僕は後ろ手で扉を閉めて、ダンボールを抱えたままふらふらとそれに近付いた。
「辞書…?」
何か、はみ出している。
脇にダンボールを置いて、僕は辞書の挟まっているページを開いた。
目に飛び込んで来たのは鮮烈な赤と、整った兄ちゃんの字。
それは、まだ生きている手紙。
脆く柔らかいそれを破れないようにそっと指先で撫でた。
『修斗、誕生日おめでとう』
懐かしい、兄ちゃんの思い出が蘇ってくる。
兄ちゃんは書道部だった。
兄ちゃんの書くすごくきれいな字が大好きで、小さい頃よく兄ちゃんの練習したあとの半紙を欲しがったものだ。
「…こんなんじゃ許してやらねぇよ、ばぁか……」
視界が滲んで、楓のすぐ側にぽたりとしずくが落ちた。
ずっしりと重い辞書を、何よりも大事に胸に抱いて、僕は泣いた。
兄ちゃんが居なくなってから初めて出た涙だった。
とめどなく溢れてきて、もう止まりそうにない。
声を上げて泣く俺を見て、勢いよく病室にやってきた母さんは安心したように泣いた。
熱い大きな手が背中を何度もさすった。
嗚咽が飲み込めなくて、なすがままに泣いたら呼吸が楽になった。
何かがストンと心に落ちてきたようだった。
窓の外で、楓がはらはらと散った。