07.生還
気付いたとき、彼女の意識は真っ昏な闇の中にあった。
ここは、どこだ。
何も見えない、何も分からない。
自分がなぜ、こんなところにいるのかさえも。
それに身体も動かない。辺りを見回そうとするが、その視線さえも動かせている感覚がない。
・・・・・・・・さま
何かに喚ばれた気がして、彼女は意識をそちらに向けた。向けたつもりだった。
だが相変わらず何も見えず、何も分からず、自分がそちらを見ているのかすら覚束ない。
そもそも、どこだ此処は?
わたしはいま、何をしている?何をしていた?
誰か、灯りを点けてはもらえないだろうか。
……………じょうさま
また喚ばれた気がする。
今度は先ほどよりも明確に。
呼ばれたならば、返事をしなくては。
そう思って返事はしたものの、声が出せたか、そもそも口が動いたか知覚できない。
その時点でやっと、彼女は五感の感覚が全くないことに気付いた。
よくは分からないが、何となく、身体が無いのではないかと感じた。
そう、例えて言うならば魂だけになってしまったかのような。
体感したことなどないが、何となく、死ぬときはこうなんだろうな、と、それだけは心にストンと沁み入った。
「お嬢様!」
それは、明確に“声”として知覚した。
しかも、聞き覚えのある声だ。
これだけハッキリ聞こえたのだから、きっと彼女はすぐそこにいるはずだ。
なのにその姿は相変わらず見えないまま。
ああ、そうか。
目を開ければいいのか。
「ヴィクトーリアお嬢様!!」
うっすらと目を開けると、ようやく様々なものが知覚できるようになった。
光は感じず、肌に触れる空気は冷ややかで、あまり嗅ぎ慣れない異臭も漂っている。
だがそれでも、先ほどまでのような真っ昏ではなかった。間近に見知った侍女の顔が見えるくらいだから、光源はあるのだろう。
ルイーサ。
侍女の名を呼んだつもりだったが声は出なかった。代わりに出たのは掠れた吐息だけだ。
「無理にお声を出そうとなさらないで下さい。まずはお水を」
ルイーサはそう言うと、傍らに置いてあった水差しから直接水を口に含むと、ヴィクトーリアの肩口に手を差し込んで僅かに抱き起こした。
その時点でヴィクトーリアは初めて、自分が寝かされていることに気付いた。
頭に手を添えられ固定され、吐息を漏らしたまま開きっぱなしのヴィクトーリアの唇に、ルイーサが自分の唇を押し当ててきた。そしてゆっくりと、少しずつ、彼女が口に含んだ水を咥内に流し込んでくれる。
ルイーサの咥内で程よく温められたぬるい水がヴィクトーリアの咥内に沁み入って、それから喉に流れてゆく。それを半ば無意識に嚥下した。口移しで与えてくれたせいか、水は一滴もこぼすことなく全て胃の腑におさめることができた。
「ルイーサ」
開放された唇からは、今度はきちんと声が出た。
「はい、お嬢様。ご無事に気が付かれてようございました」
そう返事したルイーサの目には、涙が浮かんでいる。
「わたしは、」
「その、お嬢様は、決闘で敗れたのです」
少しだけ逡巡したルイーサの返事で、ようやくヴィクトーリアは全てを思い出した。
一瞬だけだったが不自然に動かなくなった身体。そのせいで防御が取れず、ジークムントの剣をまともに腕で受けることになってしまった。あの一瞬が明暗を分けたのは間違いない。
あれはジークムントの仕業ではない。それだけは明白だ。少なくとも彼は驚いていたし、自分と同様にこんな決着は望んでもいなかったはずだ。
そして、予想外のことに彼自身も動揺したのだろう。冷静だったならば引き止められたであろう攻撃動作をそのまま続行してしまったのだから。
彼女の胸を貫いた彼の剣は、だから彼にも止められなかったのだ。だが胸甲を貫いて彼女の胸に刺さり込んだ段階でようやく彼が我に返り、おそらくは全力で剣を止めた。
だから死なずに済んだのだろう。
「ジークムント様が決闘のお相手で、本当にようございました」
そう言ったルイーサの口から、ヴィクトーリアはあの後の顛末を詳細に知らされる事になった。