05.正々堂々
最初に動いたのはヴィクトーリアだ。
騎士らしく頑健で大柄なジークムントに対して、ヴィクトーリアは同年代女性よりは長身ではあるものの、それでもジークムントより頭ひとつ分以上小柄だ。それに四肢も女性らしくほっそりしていて、そのぶん膂力には劣るがスピードには勝ると思われた。
姿勢を低く、ジークムントの懐に下段から飛び込むようにして距離を一気に詰めたヴィクトーリアは、その勢いのまま下から顔面へ向けて剣を突き出した。顔面への点の攻撃は咄嗟に対応することが難しい、対人剣術の基礎にして極意である。
「なっ!?」
だがそのヴィクトーリアの剣は、下から弾き飛ばされる。最初から下段へ構えていたジークムントの剣に防がれたのだ。
すかさず跳ね上がった剣が上段から襲い掛かってきて、ヴィクトーリアは身を投げ出して転がることにより辛うじて逃れた。
「くっ…!」
距離を取り、すかさず立ち上がって油断なく剣を構える。だがジークムントは追撃して来なかった。女だからと侮るか、そう憤った瞬間、ジークムントの姿が揺らめいて消えた。
瞬間、右の脇腹にぞわりと悪寒が走って、思考よりも先に反射神経が身体を左に飛ばせていた。右脇腹にチリリと痛みが走って、思わず目視で確認すると鎧の隙間から覗く騎士服が切り裂かれている。
もしもあの瞬間に反応できなければ、きっと右脇腹は大きく切り裂かれて致命傷となっていた。その事実にヴィクトーリアの心胆が冷える。
「今のを躱されるとは思いませんでした」
ジークムントはやはり、それ以上追撃してこなかった。それどころか言葉をかけてきた。
「まさか、今のは………魔術か!?」
「とんでもない。“魔力なし”の貴女に対して私が魔術を仕掛けることはありません」
膨らむ疑念に憤りを乗せて返したヴィクトーリアの言葉に、ジークムントは落ち着いた穏やかな声で否定してみせた。
世には“魔力なし”と呼ばれる人間がいる。
黒、青、赤、黄、白の五色に分類される魔力によって森羅万象の全てが構成されているこの世界において、人類もその例外ではない。全ての人間は五色いずれかの魔力の加護を持ち、それを身に受けて生を得る。
どの魔力の加護を得ているかは瞳の色に現れる。紅玉色のヴィクトーリアは赤の加護、紺碧のクラウスは青の加護だ。ちなみにジークムントの瞳は黒玉の色で、黒加護である。そして赤の加護は情熱、破壊、再生などを司る攻撃的な加護であり、青の加護は冷淡、慈愛、生命と癒やしなどを司る。そして黒加護は成長、回復、頑健などが主な加護になる。
だが人がその身に保有する魔力量には個人差がある。人体を構成する魔力のことを、他の動植物とは違うという意味で特に“霊力”などと称するが、その霊力を潤沢に得ている者もいれば自己の生命を維持する分だけしか持たない者もいる。全く保有しない(霊力ゼロ)ということはあり得ないので、自己の生命を維持する分だけ、つまり霊力が1しかない者のことを俗に“魔力なし”と言うのだ。
そしてヴィクトーリアは、その“魔力なし”であった。
魔力(霊力)を持たなければどうなるか。
日常生活には何ら支障はない。自己の生命は充分に維持されるし、身体能力にも影響はなく、それを理由に侮られたり差別されることもない。ただ単に「魔術が使えなくなる」だけである。
そもそも魔術というものは、生命体の体内に存在するとされる“霊炉”と呼ばれる器官で生成する霊力を燃料として起動するものだ。そうして起動させた魔術は詠唱することで効果や威力、方向性などを規定され、“霊痕”と呼ばれる身体の特定の部位から体外に放出され魔術として発動する。詠唱は公式として規定されていて誰でも習い覚えることができ、魔術は霊力さえあれば誰でも発動できるのだ。
だから霊力に余裕がある大半の人類は魔術を扱うことができる。詠唱を覚えて唱えさえすれば、誰でも発動させられるのだ。だが“魔力なし”は自己の霊力を生命維持に回すだけで魔術に回す余力がない。ゆえに魔術を覚えられても発動させることができないのだ。
そうした“魔力なし”は、どの時代でも概ね総人口のおよそ1割ほど存在すると言われている。
通常、人は平均して2から4、最大で8ほどの霊力を持つ。霊力1につき霊炉がひとつあり、霊炉ひとつごとに魔術をひとつ発動でき、生命維持分の1を除いた数値の分だけ魔術を同時に発動させ展開することが可能になる。
そして決闘において、その一方が“魔力なし”の場合、暗黙の了解としてお互いに魔術を使わないと決められている。“魔力なし”の者が使用を認めれば別だが、その場合でも使った側が卑怯と謗られるのが常である。
「貴女が“魔力なし”であることは周知の事実。ゆえにこの場で魔術を使うなどあり得ない」
ジークムントが魔術を使わないと明言したことで、ヴィクトーリアは多少の安堵を覚えた。僅かな攻防だけで彼我の実力差は明白であり、この上魔術まで使われれば彼女に勝ち目などなくなるだろう。
だがこの決闘において、少なくとも彼は正々堂々と臨もうとしている。その事実は劣勢な中でもヴィクトーリアの戦意を高揚させるに充分なものであった。
「疑って申し訳なかった。だが今の“技”が魔術でないとすれば」
「先ほどのは、私が師匠から伝授された“奥義”です。詳細は明かせないが、今まであれを繰り出して躱された事はない。貴女が初めてだ」
そう言って、ジークムントはそれまで表情の乏しかった顔に、明らかな喜色を浮かべた。それはつまり、彼の方でも彼女を好敵手と認めたことに他ならなかった。
そしてヴィクトーリアも釣られたように微笑む。そこからはもう、高い実力を持った者同士の技量の応酬であった。