04.決闘
その10日後。
あの日申し込んだ決闘の当日である。会場となった公城の軍事教練場に、ヴィクトーリアの姿があった。
さすがに決闘を申し込んだその場で戦うことはできず、日を改めて執り行うこととなっていた。ヴィクトーリアの方はいつでも準備万端だったが、タマラのほうがそうではなかったからである。
とはいえ、普段から父に従い魔獣討伐などで実戦を重ねているヴィクトーリアに対して、タマラは貴族院の授業で最低限の知識を得ているだけで、剣の扱いなど素人同然である。とても無理です勝てるわけありませんと泣いて嫌がるタマラだったが、それをクラウスがなだめすかして何とか了承させたのだ。
というのも、公国貴族同士の決闘行為は申し込まれれば、よほどの理由がない限り受けなくてはならないのだ。その代わり、勝利すれば勝者の主張が全面的に認められる。それがどんなに理不尽な主張であっても、勝者の言い分こそが正義となるのだ。アウストリー公国の貴族の生活の規範を定めた貴族典範にそう明記してあり、それは他のどんな法律や命令よりも優先されるのである。
ただし、タマラのような普通の貴族令嬢や幼い子供などは申し込まれてもまともに戦うことさえできない。そのため、そうした場合には代理人を立てることが認められていた。
それはヴィクトーリアも当然承知のことであり、彼女もタマラが誰か代理人を立てるだろうと想定していた。だが代理人として立てられるのは血縁者に限られており、彼女の知識にあるヴェーバー子爵家の縁者には名のある騎士はいなかった。
血縁者以外が代理人として認められない以上、クラウスはタマラの代理人として立てず、勝敗を見ていることしかできない。ヴィクトーリアとしては、決闘でタマラの代理人を負かして自分の主張を通すとともに、クラウスの悔しがる様を見られれば多少なりとも溜飲が下がるというものだ。
教練場に、タマラを伴ったクラウスが姿を現した。
クラウスとタマラの登場はあらかじめ立会人が定めた刻限ギリギリであり、すでにこの場には公王はじめこの決闘の行く末を見定めるべく多数の貴族たちが詰めかけていた。
なにしろ、公太子の婚約者が公太子の不貞相手に決闘を申し込んだ前代未聞の事態である。勝つのは実戦経験豊富な婚約者ヴィクトーリアで間違いなかろうが、それで面子を潰されるのは公太子であるクラウスなのだ。そのことが決着後にどう影響するのか、誰にも読めなかった。
おそらく公太子の不貞を潔癖で高潔なヴィクトーリアは赦さないだろう。一方で彼女は盟約を守るであろうことも容易に想像がついた。だとするならば婚約はそのままで、勝ったヴィクトーリアが文字通りクラウスを将来にわたって屈伏させるのか、あるいはクラウスの年若い弟に婚約者を乗り替えるのか。
「待たせたなヴィクトーリア」
「遅いぞクラウス」
互いに一言だけ交わし合う。ヴィクトーリアが『婚約者殿』でも『殿下』でもなく、名を呼び捨てたことで、見守る観衆たちも彼女がどうしたいのかある程度解ってしまった。
「で、タマラ嬢の代理人は誰になったのかな?」
「わ、わたくしの代理人には、この方を指名致しますわ!」
自分が戦うわけでないのに青褪めているタマラが手を差し伸べた人物に目をやって、居並ぶ観衆が一斉にどよめく。
「なっ………!?」
ヴィクトーリアも驚くほかはない。
そこに立っていたのはジークムント・アイヒホルン。先年、公国騎士団の騎士に与えられる中で最高位の称号である“剣位”を授与された、若き天才騎士だったのだから。
「まっ、待て!異議がある!」
慌てたように声を上げたのは公王カール・グスタフ3世である。
「アイヒホルン卿がヴェーバー子爵家の縁者だと!?確かなのか!?」
「間違いありませんよ、父上」
クラウスが余裕たっぷりの笑みで鷹揚に告げる。
「あっあの、わたくしの母がジークムント様のお母様と従姉妹で、その…!」
「ま、間違いありませぬ!アイヒホルン卿とヴェーバー子爵令嬢は母系のはとこに当たります!」
タマラの言葉に貴族名鑑を慌てて確認した戸籍局の官吏がそう告げたことで、それは事実と確認された。であるならば、代理人として問題なく認められる。
だが実は、これは裏技とも言えるものだった。男性社会、男系社会のアウストリー公国では、血縁者と言えば通常は男系の縁者を指す。広義では確かに母系の縁者も含むのだが、それはせいぜい母の兄弟や子女、つまり族父や従兄弟までである。そして決闘の際に代理人として指名されるのも男系の血縁者であることが当然だと考えられていた。
そこへ来て母方のはとこの指名である。通常、そんな遠縁には目を向けないし、現にこの場の誰も、ヴィクトーリアや公王でさえもがこのふたりを血縁者だと認識していなかった。
だが、より広義では確かに血縁者には違いない。数世代も遡らねばならないわけでもなく、例えば年配の者ならふたりの母が従姉妹同士であることを憶えている者もいるだろう。
「陛下。私は一向に構いませぬ」
意を決した表情で、ヴィクトーリアが言った。
「だが、だがなヴィクトーリアよ」
「今の私の実力が、剣位騎士どのにどこまで通じるか。いっそ楽しみですらあるのです」
ヴィクトーリアは微笑っていた。ただの消化試合の茶番だと思っていたものが、一転して強敵相手の神経ヒリつく真剣勝負の場となったのだ。一介の武人として、これほど胸の高鳴ることもない。
だって、決闘の場での本気の勝負なのだ。訓練や試合でならばきっとジークムントに手加減されることだろう。だがこれは決闘者同士の意地と尊厳を賭けた実戦であり、手を抜くことは赦されないし手にする武器も真剣以外に認められない。そして仮に決闘で敗者が亡くなったとしても勝者が罪に問われることもないのだ。
ヴィクトーリアとジークムントは静かに相対した。互いに騎士の正装で、まるで戦場での一騎打ちのようでもある。
両者とも両手剣であり、盾は持ち合わせない。
ジークムントの顔に、僅かながら逡巡の色が見て取れて、ヴィクトーリアはほんの少しだけ不満を抱いた。
よろしい、ならばひとつ本気にさせてやろうではないか。何を迷っているのか知らないが、そんな気の迷いなど消し飛ばしてくれよう。
彼女は自慢の漆黒の長髪を邪魔にならぬよう後頭部で素早く束ね、愛用の剣を抜いて、半身になって構えた。ジークムントも同様に剣を抜き、ヴィクトーリアへと正対する。
ヴィクトーリアは中段、ジークムントは下段。お互いに力を抜いて自然に構えている。
「はじめ!」
そうして、立会人の一声で決闘の幕が切って落とされた。