23.即位そして婚姻へ
こうしてアウストリー公国は若き女王を迎えることとなった。
元々彼女は公太子の婚約者として知られた存在だったため、国内外ともに特に大きな混乱も批判も見られなかった。また即位と同時に婚約が発表されたが、その相手が“剣位騎士”ジークムント・アイヒホルンであったことから、こちらも特に混乱は見られなかった。むしろ“悲劇の令嬢”と“公国最強騎士”との婚約そして婚姻は貴族の間にも、そして国民の間にも好意的に受け入れられた。
なおフィデリオは一命を安堵されて新たにバーブスブルク伯爵家を興した。前王朝時代に不正を働いていた貴族家門の一部が取り潰され、それで空いた土地の一部を領地として賜わり、今後は一臣下として公国に仕えることになる。このフィデリオが興したバーブスブルク伯爵家が後に何度か転封を繰り返し、北方辺境伯家として定着することになるのだが、それはまだ先の話である。
ちなみに、フィデリオが将来結婚して娘を儲ければ、その娘をヴィクトーリアとジークムントの世継ぎに娶せて将来の公王妃とすることで内々に合意してある。そうすることで前王朝カール・グスタフ朝を受け継ぐ正統性も将来的に得られる見込みである。
公国政府の閣僚や官吏たちはほぼそのまま任用された。エステルハージ家には国政に関してノウハウがなかったし、ヴィクトーリア自身もまだまだ学ぶべき立場の年齢であったから、その周りを信頼の置ける実務に慣れた者たちで固めることを優先されたわけだ。
故に結果的にトップが替わっただけで公国の政務の実態はさほど変わらず、目新しさはないが、変化による混乱もなかった。もちろん、新たに任用するにあたっては個々人の素性や経歴などは徹底的に改められ、罷免される者も一定数出たから全くの元通りというわけではなかったが。
諸々のことを一気に決めてしまったおかげで、アウストリー公国は敵国である王政マジャルや帝政ルーシ、それにエトルリア連邦やシレジア侯国などにも隙を見せずに済んだ。マジャルなどは気付いた時には全てが終わっていて地団駄を踏んだと伝わっているが、結局表立っては動かなかったのでアウストリー公国としてもリアクションは取らなかった。
ヴィクトーリアとジークムントは約2年の婚約期間を経て、盛大な婚姻式を挙げた。ヴィクトーリア18歳、ジークムント23歳の時である。その頃までにはヴィクトーリアは女公爵として必要な教養や作法をほぼ履修し終えていて、ジークムントも公配として最低限のものは身についていた。
ヴィクトーリアの婚姻を機にウルリヒは辺境伯位を長男マインハルトに譲り、辺境伯領の副都ラストに館を建てて余生を送った。ちなみにラストはエステルハージの分家として伯爵家を興した次男リーンハルトの本拠地でもある。
「何だかあっという間だったな」
婚姻式とその後に開かれた婚姻披露宴を終え、公宮の私室へ戻ってきた公国騎士団長のジークムントがシャツの胸元を寛げながら呟いた。
「ああ、そうだな」
その横で、妻となった女王ヴィクトーリアも感慨深げだ。さすがに今日の彼女は鎧姿ではなく、公都一の職人が手織りで仕上げた豪奢な純白のウェディングドレスを纏っている。
その顔は、彼の隣に立つことにすっかり慣れてしまっていて、もはやあの日見せた恥じらいも赤面もない。
「それにしても、君は本当に美しくなった」
「そうだな…………っへ?」
「出会った頃はまだ若さが勝っていたが、2年経って本当に見違えるようだ。見目もそうだが、王としての激務に揉まれてなお凛と立つ、その心根が素晴らしい。君の夫となれたこと、本当に誇らしく思う」
「あああのそそそそれは褒め過ぎでは!?」
「だから褒め足らないと言っているだろう。━━愛している、ヴィクトーリア。今ここで改めて誓おう。君を一生涯愛すると」
ジークムントは妻の前に片膝をつき、背を伸ばし右手を差し伸べて真っ直ぐに愛を囁く。
「あ……その、ええと………」
ためらいながらも彼女は、差し出された彼の右手にそっと自分の右手を重ねた。
その手の甲に、彼がサッと唇を落とす。
「こ、こちらからも宜しくお願いする、だ、旦那様」
「ああ。必ず君を幸せにしてみせる」
ジークムントは立ち上がって彼女の腰を抱き寄せ、しっかりと抱きしめた。彼女は彼の背に手を回し、その逞しい胸板に顔を埋めて赤くなった顔を隠すので精一杯だ。
「しかし、君のその言葉遣いも変わらんな」
腕の中の彼女を見つめつつ、ジークムントが微笑う。その顔はあの日と変わらず穏やかで、そして熱を帯びたままだ。
その笑顔を向けられて、彼女の顔がますます赤くなる。
「いやそう言われても、これはもう生まれつきのもので…」
「違うだろう?」
「えっ?」
「それは、公の場に立つ貴女が身に付けている鎧だ。違うかね?」
「そ、それは………」
「そんなものはこの私室では必要ない。もう脱いでもいいんだよ」
「ジ、ジークさま………」
いつの間に見抜かれていたのか、全く気付かなかった。
そう。ヴィクトーリアは公太子の婚約者として、将来の公王妃として相応しくあらねば、誰からも認められる強さを身に着けなければと、これまで人前では常に武装していたのだ。剣を学び、鎧をまとっていたのもその一環であり、令嬢らしからぬ男言葉を用いていたのも女の身で舐められないようにするためであった。
もっとも当時の婚約者には全く伝わってはいなかったが。というより彼女が公私ともにそれで過ごしすぎて、誰もそれが作られた彼女だと気付くこともなかったのだが。
「それにな」
穏やかに微笑みながらジークムントは言葉を続けた。
「私たちには、このあとも大きな仕事が残っている」
「え、それは━━」
「ということでな。ルイーサ、あとは任せた!」
「任されましたぁ!」
どこに潜んでいたのかルイーサが現れて、ヴィクトーリアの腕を掴むやいなや「さあお嬢様、いえ女王陛下!ピッカピカに磨きますよ〜!」などと言いつつ部屋を連れ出そうとする。
「えっ、あ、いや待って!?何する気!?」
「まずは湯浴みです!そのあと香油をたっぷり使ってお肌も御髪もピッカピカにして、今日この日のために特注で作らせた超セクシーなナイトドレスでおめかししましょう!ささ、旦那様をお待たせしてはダメですからサッサと行きましょう!」
「えぇ!?いやちょっ、まっ、心の準備が!」
「そんなものは披露宴までに終わってます!」
「いやー!私まだ終わってないからぁ〜!」
「往生際が悪いですよ!もう観念しなさーい!」
「いやぁ〜!」
かくしてヴィクトーリアはルイーサはじめ公宮の侍女たちに髪の先から足爪の先端まで余すところなく磨き上げられ、ほぼ何も身に付けていないような薄絹のナイトドレスを着せられて主寝室のベッドに放置された。
そこへやってきたのがジークムントである。
彼も湯浴みを済ませ、薄絹のナイトコートを一枚羽織っているだけだ。
「さて、私たちの務めを果たそうか、我が妻よ」
「え、あ、ぅあ、」
「大丈夫、閨の作法もきちんと学んだだろう?あとは私に任せてくれればいいから」
「えと、その、あの、」
顔を真っ赤にしたままモジモジする新妻が可愛くて愛おしくて、ジークムントは彼女の艶やかな黒髪をそっと撫で、顎に手をやり顔を上げさせると、優しく彼女の唇を奪う。
そのまま後頭部と腰に手を添え、彼はそっと彼女をベッドに押し倒した。
「よよよよろしくお願いします?だっ旦那さま!」
「ああ、よろしく。我が最愛」
「最愛!?」
「最愛だとも」
「あっ━━!」
そうしてその夜、ふたりはちゃんと夫婦になった。




