22.まさかまさかの
「そもそも何故私なんだ!?公爵位なら父上が継げばいいだろう!?」
「だってわし、国のトップとか嫌じゃもん。面倒じゃし」
「子供みたいな我侭を言うな!」
「そもそもわしは戦のことしか分からんしな」
「だ、だったら!兄上がいるだろう!?」
「バカ、俺は次期辺境伯に決まっているだろう?子供の頃からそう決まっていて、それに合わせた教育しか受けとらん」
「じ、じゃあ、次男がいるだろう!?」
ヴィクトーリアの兄はふたりいる。9歳上の長男マインハルトと6歳上の次男リーンハルトだ。今は辺境伯領の留守を預かる司令官として、母オディーリアと領地を守り敵国マジャルに備えている。
ちなみに本当は3歳上に三男のレオンハルトがいたが、幼い頃に流行り病で亡くなっている。そしてそれ以外に彼女には姉も妹も弟もいない。
「リーンハルトはエステルハージの分家として伯爵家を興すことで本人も納得しておる。それに合わせて周りも動いとるから、今さら変えられんわ」
「だ、だからといって…!」
「諦めろトリア。お前は元々公王家に嫁入りする予定で、そのために公王妃としての教育も受けているだろう?俺たちのなかでお前が一番適任なんだよ」
マインハルトにそう言われて、ヴィクトーリアはぐっと言葉に詰まる。確かにそう言われればそうかも知れないが。
「だっだが、この文書は私の名前を間違っているじゃないか!こんなものは無効だ!」
そう。彼女のフルネームはヴィクトーリア・フォン・エステルハージであって、バーブスブルクの家名を名乗ったことなどないのだ。
「あのなあトリア」
だがマインハルトに呆れたように、諭すように指摘されて、またもや言葉が継げなくなった。
「俺たちの祖母が誰だか、知っているだろう?」
「え、ヴェローニカお祖母様は━━」
そう。ヴィクトーリア兄妹の祖母で、先代辺境伯である祖父アロンザの妻ヴェローニカは、公王カール・グスタフ1世の娘にしてカール・グスタフ2世の妹である。すなわちカール・グスタフ2世とアロンザの結んだ“血の盟約”によって輿入れしてきたバーブスブルクの姫なのだ。
つまりヴェローニカの子であるウルリヒにも、その孫であるヴィクトーリアにもマインハルトにも、バーブスブルク家の血が流れていることになる。
「だからお前は、まあ俺もリーンもだが、エステルハージであると同時にバーブスブルクでもある。どちらの家名を継いでも構わねえんだよ」
今度こそヴィクトーリアは否定できなくなった。だってそれまで否定してしまえば、大好きなヴェローニカの孫であることさえも否定することになるのだから。
だが、それでもヴィクトーリアは叫ばずにはおれない。
「だ、だが…………こんなの、」
「なんだよ、まだ何か━━」
「こんなの、私に面倒を押し付けただけじゃないかーーーっ!!」
ウルリヒもマインハルトも顔を背けたあたり、図星のようである。ついでにフィデリオまでもが同情の視線を向けていたりする。
喜んでいたのは「お嬢様が、女公爵………やたーっ、すごいっ!」と無邪気にはしゃいでいたルイーサだけであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さて、それでは今後のことを諸々決めんとのう」
調印を終え、ウルリヒがそう言った。
「……………これ以上、まだ何かあるというのか父上よ………」
人生で一番疲れた顔をしているヴィクトーリア。渋々と、本当に渋々と署名した目の前の文書に目を落としながら、それが回収されていくのを虚無の顔で見ている。
まあ人生で一番などと言っても、彼女はまだ16年しか生きてないのだが。そしてこの先もっと疲れる目に遭うことが確定している。
「女公爵として立つからには伴侶が必要じゃろ?」
「…………………………は?」
いやまあ確かにそれはそうだが、彼女は婚約破棄された挙げ句に先日その元婚約者を自分の手で処刑したばかりである。相手の心当たりなど当然なかったし、政略として婚約および婚姻せねばならないのは百も承知だが、正直今はそんな気分にはなれない。
だからせめて、しばらく間を置いてもらえないだろうか。そのくらいは我侭を言っても許されると思うのだが。
「ということでな、それも決めてしまおうと思ってのう」
そんなヴィクトーリアの願いも虚しく、ウルリヒはそう告げてパン、と手を叩く。それを合図に謁見の間の扉が開かれて、待機していたであろうひとりの男性が促されて入室してきた。
「こちらに参れと言われたのだが、本当にここでいいのだろうか?」
その男性を見て、またしてもヴィクトーリアは絶句するしかない。
だってそこに立っていたのはジークムントだったのだから。
「い、いや、いやいやいや!」
「なんじゃ嫌なのか」
「いやそうじゃなくて!そういう意味の『いや』じゃなくて!」
「嫌なのか好きなのかハッキリせい」
「すっ………!?」
「お嬢様ぁ、さっきからお顔が百面相でとっても面白いことになってます」
「いやうるさい黙れルイーサ!」
顔を赤くしたり青くしたり息が止まるほど絶句したりしているのに、ルイーサへのツッコミだけはスラッと出てくるヴィクトーリアである。何故だ。
「ていうか!なんでここでジークムント殿が出てくるんだ!?」
「あーそれがだな、『妻も婚約者もまだおらぬならうちの娘とかどうじゃろう』と辺境伯閣下に打診されていてだな」
「マジで!?いつの間に!?」
「軍使として陣中に来て、泊まってもろうた晩のことじゃな」
「いや早くないか!?」
「だってお前もジークムント卿も雰囲気良かったしのう。わしも娘を褒められて悪い気せんじゃったし」
「先に親が絆されるんじゃない!」
「女公爵の夫として、公国最強の剣位騎士殿なら文句も出んだろうしな。正直他の男にやるのは癪だが、こやつにならまあ、ギリギリ何とか」
「いや認めるのか兄様!?いつもあれほど『トリアは俺の嫁』とか言ってて、だから今まで婚姻もしてないくせに!」
「さすがに兄妹で婚姻できんことくらい分かっとるわ」
「いつもバカな兄様が常識的なこと言ってる!?」
「いやさすがにそれ酷くないかトリア?」
「で、お主らはどうなんじゃ?」
ウルリヒにそう言われて、ヴィクトーリアとジークムントは思わず顔を見合わせる。
「まあ私としては、とても名誉なことだとは思いますが………」
「建前はええから。本音を言うてみい?」
そう問われて、ジークムントの頬にかすかに赤みが差し、瞳に僅かながら熱が帯びたのを、ヴィクトーリアはハッキリと見てしまった。
「ええと、彼女の凛とした強さには惹かれるものがあり、その夫となる人がこの国でもっとも幸せな男になると思った気持ちは偽りではなく──」
無言のまま先を促されて、ジークムントの顔がどんどん赤くなる。ついに彼は観念したように言葉を吐き出した。
「………ええい!“奥義”を見切られたあの瞬間から、共に生きるならこの人しかいないと、私は!……貴女と夫婦となれるならそれに勝る喜びはない。ヴィクトーリア嬢、貴女はどうだろうか」
真正面から見据えられ、そう告げられて、ヴィクトーリアはすぐには言葉を返せなかった。
そんなにも前から。それってほぼ初対面じゃないか。でもそう言えば、私だって。
鼓動がうるさい。顔が熱い。真っ直ぐ彼の顔を見られない。
ついさっきまでそんな気分じゃないなどと思っていたのに、なんでこんな、私は。
「決まりじゃな」
やれやれといった雰囲気のウルリヒの言葉が、ヴィクトーリアの気持ちを何よりも代弁していた。




