18.公国の興廃はこの一戦にて決した
「貴様ら!公太子であるこの私に対するこのような狼藉、赦されるなどと思うなよ!」
荒縄できつく縛り上げられ、冷めた目つきで見下されてクラウスは吠えた。
「はっ。何とも無様だな。勝利の先導者の名が泣いているぞ」
そのクラウスの目の前、本陣天幕に据えられた陣中椅子に座って足を組み、肘掛けに頬杖をついて見下ろしているのはヴィクトーリアだ。
彼女の目は、どこまでも冷たかった。
「いまさら公太子の肩書がなんになる?貴様は今やただの敗将に過ぎん」
そう。無様に敗れたクラウスは囚われの身となって、勝者であるヴィクトーリアの目の前に引き出されて押さえつけられ跪かされているのだ。
後世にフランツェンブルク平原の戦いと称される野戦は、実のところ一瞬でケリが付いた。
互いの軍が1スタディオンの距離まで近付き、号令とともに双方敵陣に向かって突撃を開始したその瞬間に、クラウス軍後方の一部隊約6000名が辺境伯軍への降伏を宣言し離反したのだ。
それによりクラウス軍の士気は完全に崩壊した。まだ接敵すらしていない段階で、いきなり前後挟撃される形になったのだから無理もない。我も、我もと部隊単位で辺境伯軍への投降が相次ぎ、気付けばクラウスはわずか数百にまで減った手勢を連れて、戦場をひたすら逃げ回るしかなくなっていた。
全ては魔道砲で効果的に示威行為を成功させたヴィクトーリアと、密かに手勢をフランツェンブルク城内に侵入させ公国軍の士気を下げさせて回ったウルリヒの作戦がハマった結果であった。
なおフランツェンブルク城内に潜入していたのはルイーサの率いる隠密部隊である。彼女の統率は完璧で、彼女自身が現場で指揮を取らずとも配下の兵たちは十全に任務をこなせる熟練者揃いである。
そしてそのフランツェンブルク城内からはルイーサの部隊が脱出してきただけで、他には誰も出てこなかった。要するにグーゼンバウアー侯は共倒れになるのを嫌ってクラウスの軍を救援しようとしなかったのだ。
かくて、哀れクラウスは戦術も戦略もへったくれもなく、多勢に無勢と捕らえられ、そして敵主将であるヴィクトーリアの前に引き出される屈辱を味わうことになったのだ。
「クッ…!無能のクズどもが怖気づきさえしなければ、貴様になど…!」
「自分の人望のなさを棚に上げて、よく言う」
「なにを!」
静かに冷えるヴィクトーリアと、熱だけは高いままのクラウス。
「弱い犬熊ほどよく吠える、とはよく言ったものだな」
マインハルトも呆れるしかない。
「結局は3世陛下の危惧した通り、ダメな子のままじゃったのう、お主は」
やれやれ、といった様子で肩をすくめるウルリヒ。
幼い頃から我侭でプライドの高かったクラウスの将来を危惧して、ヴィクトーリアとの婚約を強く望んだのは公王自身だった。血の盟約以前の問題で、公王は幼い頃から優秀だった彼女に公私ともに息子を支えて欲しいと願ったのだ。
「なっ…!無礼であろう辺境伯!」
「わしにとっては、お主なんぞあくまでも盟友の倅に過ぎんわい」
「ご自身の蒔いた種です。潔くなされよ」
ジークムントもたまりかねて物申した。
「きっ貴様!いつまで経っても戻って来んと思ったら寝返ったか!恥を知れ!」
「そもそも私は、殿下についた覚えはない」
「なにおう!?」
「貴方は、あの決闘の場においてすら私の勝利を信じなかった。真剣勝負の神聖な決闘を穢され、私自身の誇りをも傷付けられたというのに、どうして私が貴方に従わねばならん?」
ぐっ、と言葉に詰まるクラウス。全ては自分の行ないが跳ね返って来ているだけなのだと、ここでも思い知らされるハメになった。
「だいたい、公国最強の騎士たるジークムント殿をたかが軍使として使うなど、それ自体が侮辱だと分からんか?」
「それについては気にしておりませんよヴィクトーリア嬢」
「ジークムント殿が気にしておらぬとしてもだ」
「なっ、ヴィクトーリア!いつの間にそやつと名を呼び合う仲に!?さては貴様、私の婚約者でありながら不貞を━━」
「私に隠れて半年もタマラ嬢と逢引していたお前に言われたくないわ!」
「勘違いしているようだが、私たちが互いに名呼びを許しあったのは昨夜のことだが?」
何か言えば言うだけ、自分自身にそのまま跳ね返ってくる。その現実がますますクラウスを打ちのめす。
だがそれでも、彼は言葉を止められなかった。止めてしまえば自分の非を認めることになってしまうからである。
「そ、そもそもあのような未知の兵器でこちらの士気を不当に下げておいて!卑怯だとは思わんのか!?正々堂々雌雄を決して━━」
「今さら!」
「いれ、ば………」
「どの口がそれを言うのだ貴様!!」
ヴィクトーリアの怒声が本陣天幕に響き渡り、その剣幕についにクラウスは押し黙る。急に立ち上がったせいでふらついたヴィクトーリアを、すかさず脇に控えたルイーサが支えた。
「不貞を働いたのも卑怯な手段を用いたのも、全部お主であってこの子ではないぞ小僧」
「本当にどこまでも、自分のことを棚に上げて他人を責めることしか出来ぬ能無しだな、お前」
「すでに公太子の地位以外に貴方の価値などない。最期くらい、らしくなされよ」
「う………あ………」
ウルリヒも、マインハルトも、ジークムントさえもが蔑むような目を向けてきて、今度こそクラウスは何も言えなくなる。
「報告!」
その時、ヴィクトーリアたちの本陣へ伝令が駆け込んできた。
「グーゼンバウアー侯が降伏!全軍を挙げて我が軍に従うと申しております!」
クラウスの軍10万がほぼ全て降伏したことで、老将はもはやこれまでと覚悟を決めたようだ。これで公都を守る兵力は事実上皆無となった。残るは公王の親衛騎士団約500名のみである。
この戦の勝敗をもって、事実上アウストリー公国は辺境伯エステルハージ家に征服されるに至ったのだった。




